双蝶々曲輪日記(読み)フタツチョウチョウクルワニッキ

デジタル大辞泉 「双蝶々曲輪日記」の意味・読み・例文・類語

ふたつちょうちょうくるわにっき〔ふたつテフテフくるわニツキ〕【双蝶々曲輪日記】

浄瑠璃世話物九段竹田出雲三好松洛並木千柳宗輔そうすけ)らの合作。寛延2年(1749)大坂竹本座初演。吾妻与五郎情話を背景に、相撲取り濡髪長五郎放駒長吉達引たてひき義理人情世界を描いたもの。

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精選版 日本国語大辞典 「双蝶々曲輪日記」の意味・読み・例文・類語

ふたつちょうちょうくるわにっきふたつテフテフくるわニッキ【双蝶蝶曲輪日記】

  1. 浄瑠璃。世話物。九段。竹田出雲、三好松洛、並木宗輔合作。寛延二年(一七四九)大坂竹本座初演。近松門左衛門作「寿門松(ねびきのかどまつ)」による山崎与五郎と藤屋吾妻の恋に、濡髪長五郎、放駒(はなれごま)長吉の二人の力士の達引をからませたもの。三段目「相撲場」、八段目「引窓」などが有名歌舞伎化されて、多くの書替狂言が生じた。通称双蝶蝶」。

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改訂新版 世界大百科事典 「双蝶々曲輪日記」の意味・わかりやすい解説

双蝶々曲輪日記 (ふたつちょうちょうくるわにっき)

人形浄瑠璃。世話物。9段。1749年(寛延2)7月大坂竹本座初演。竹田出雲三好松洛,並木千柳(並木宗輔)合作。《摂陽奇観》にある角力取の濡れ紙長五郎が,武士を殺害した罪で捕らわれた事件に拠っているらしい。角書に〈関取濡髪名取放駒〉とあり,〈長〉の字を名に持つ2人の力士,濡髪長五郎と放駒長吉を主人公としたので,《双蝶々》の名題がつけられた。1718年(享保3)正月大坂竹本座初演の近松門左衛門作《山崎与次兵衛寿の門松》の山崎与次兵衛の世界をかり,25年正月大坂豊竹座の《昔米万石通》(西沢一風,田中千柳合作)を粉本にした吾妻与次兵衛物の一作である。遊女吾妻とその相手山崎与五郎,遊女都とその情人南与兵衛の2組が交錯しながら主筋が展開し,2組の駆落ちをめぐって,与五郎がひいきの人気力士の濡髪長五郎をからませ,喧嘩,殺し,濡れ場,意見事,道行と続く。

 歌舞伎に移されてからは,二段目の〈角力場〉と八段目の〈引窓〉が人気を呼び,現在でもよく上演されている。角力場では,長五郎が,与五郎と吾妻のために,敵役肩入れをしている放駒長吉にわざと角力を負けてやるが,長吉は長五郎の申入れをことわり喧嘩となる。力士同士の角力場の喧嘩達引(たてひき)が一つの見せ場となっている。〈引窓〉では,心ならずも人殺しをした長五郎が,実母のところに逃げてくるが,母は南与兵衛の父のもとへ後妻に嫁いだため,南与兵衛あらため南方十次兵衛の義母になっている。十次兵衛は与力で長五郎を捕らえねばならない立場にあり,母は十次兵衛妻おはや(前身は遊女都)とともに長五郎をかくまっているので,そこに義理にからんだ葛藤が生じる。天窓の明りを利用した時間の経過のなかで,義理の親子,兄弟,夫婦の人情の機微がよく描かれていて,情愛深い見せ場となっている。母親が長五郎の前髪を剃り,人相を変えて逃がそうとし,十次兵衛が手裏剣で長五郎の片頰のほくろを落とす手順などがそれである。歌舞伎では,同じ1749年8月に京の布袋屋梅之丞座で上演され,53年(宝暦3)5月に大坂三枡大五郎座(角の芝居),74年(安永3)9月に江戸中村座で上演され,いずれも好評を博した。書替狂言も多く,1808年(文化5)正月江戸市村座の《春商恋山崎(はるあきないこいのやまざき)》や10年8月市村座の《当龝八幡祭(できあきやわたまつり)》などがある。
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百科事典マイペディア 「双蝶々曲輪日記」の意味・わかりやすい解説

双蝶々曲輪日記【ふたつちょうちょうくるわにっき】

浄瑠璃,また,これに基づく歌舞伎劇。二世竹田出雲,三好松洛,並木千柳作。1749年初演。山崎与五郎と遊女吾妻の恋物語に,力士濡髪長五郎と放駒(はなれごま)長吉の達引(たてひき)をからませた作。両力士が対決する〈角力場(すもうば)〉,お尋ね者になった濡髪が,義兄南与兵衛(なんよへえ)の情によって助けられる〈引窓〉が有名。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「双蝶々曲輪日記」の解説

双蝶蝶曲輪日記
ふたつちょうちょう くるわにっき

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
作者
竹田出雲 ほか
補作者
並木吾八 ほか
初演
寛延2(江戸・中村座)

双蝶蝶廓日記
(別題)
ふたつちょうちょう くるわにっき

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
双蝶蝶曲輪日記
初演
寛延2(江戸・中村座)

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世界大百科事典(旧版)内の双蝶々曲輪日記の言及

【相撲物】より

…江戸時代の娯楽生活に大きな一画を占める角界と相撲取りをモデルとして,人気俳優に演じさせることは興行政策上にも有利であったところから,多くの相撲狂言が現れた。浄瑠璃では1725年(享保10)1月大坂豊竹座初演の《昔米万石通(むかしごめまんごくどおし)》(西沢一風,田中千柳作)が知られ,これを粉本とした《双蝶々曲輪日記(ふたつちようちようくるわにつき)》(1749年7月大坂竹本座),また《関取千両幟》(1767年8月竹本座),《関取二代勝負附(せきとりにだいのしようぶづけ)》(1768年9月大坂亀谷芝居)などがある。歌舞伎では《浪花曙烏(なにわのあけぼのちぶみのからす)》(雷電源八の喧嘩。…

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