最新 心理学事典 「司法精神医学」の解説
しほうせいしんいがく
司法精神医学
forensic psychiatry
刑事精神鑑定は,その実施時期により起訴前鑑定と公判鑑定に区分される。前者には,1~2回程度の面接と最低限の検査による簡易鑑定と,裁判所の許可のもとに数ヵ月の期間をかけて行なう本鑑定がある。また,公判鑑定が裁判所によって命じられる鑑定であるのに対し,被告人と相談のうえで弁護人から依頼される鑑定を私的鑑定とよぶ。
鑑定に携わる者は「学識経験のある者」(刑事訴訟法)としか定められていない。また,その目的は「裁判上必要な実験則等に関する知識経験の不足の補給のため」(昭和28年最高裁判決)であるから,実際には心理学や医学などの専門家が,自らの経験に立脚して精神鑑定を実施することになる。
刑法39条は,「心神喪失者の行為は,罰しない」「心神耗弱者の行為は,その刑を減軽する」と定めている。心神喪失insanityとは,「精神の障害により事物の理非善悪を弁識する能力又はその弁識に従って行動する能力のない状態」であり,心神耗弱quasi-insanityとは「精神の障害がまだこのような能力を欠如する程度には達していないが,その能力が著しく減退した状態」である(大審院昭和6年判決)。事物の理非善悪を弁識する能力を弁識能力といい,その弁識に従って行動する能力を制御能力という。両者を合わせたものが責任能力criminal responsibilityである。責任能力が皆無(責任無能力)という鑑定結果は心神喪失を示唆し,大幅に損なわれている(限定責任能力)という鑑定結果は心神耗弱を示唆する。心神喪失ないし心神耗弱に該当するか否かについての最終判断は,裁判所の評価に委ねられている(昭和58年最高裁決定)。
責任能力に関する検討は,生物学的要素と心理学的要素の両面から行なわれる。前者は精神医学的診断およびその重症度というほどの意味であり,必ずしも脳病変などの生物学的基盤を意味するものではない。後者は弁識能力や制御能力自体を指すことばであり,心理学的というよりは規範的とよぶべきとの指摘もある。心理学的要素を判断することは不可能であるから,生物学的要素に基づいて責任能力を推定し,その積み重ねにより精神鑑定と法律判断との間の合意(コンベンション)を形成すべきと考える立場を不可知論という。反対に,動機・計画性・違法性の認識などを検討することにより,心理学的要素についての判断は可能とする立場が可知論である。厳格な可知論は有責に傾きやすいという批判がある。そのため,まず生物学的要素から責任能力を推定し,次いで心理学的要素の検討結果を参照しながら当初の推定について検証する,混合論的方法を採用する鑑定人も少なくない。責任能力鑑定は犯罪事実の存在を前提とするものであるから,犯行の根本的な部分で事実関係に争いがある場合や,冤罪が争われている場合は決して実施してはならない。
責任能力鑑定が犯行時の精神状態についての鑑定であるのに対し,訴訟能力鑑定evaluation of competence to stand trialは現在の精神状態についての鑑定である。訴訟能力とは,「被告人としての重要な利害を弁別し,それに従って相当の防御をすることのできる能力」である(平成7年最高裁決定)。訴訟能力を欠く状態を心神喪失の状態とよぶが,ここでいう心神喪失とは,刑法39条におけるそれとは異なる。訴訟能力を欠く状態としての心神喪失が続いている間は,公判手続を停止しなければならない(刑事訴訟法314条1項)。なお,訴訟能力に関しては,心神耗弱という中間概念はない。
訴訟能力は,「合理的な程度で理性的に理解しつつ,弁護人と相談するのに十分な能力」および「自己に対する手続きを,実際的かつ理性的に理解する能力」から構成される。これら二つの能力についての判断基準を,ダスキー基準Dusky standardとよぶ。ただし,日本の現状は,「諸外国の状況も参考にしながら,事例を積み重ねていくことによって,明確な判断基準が確立されることが期待される」段階にとどまっている(平成7年度版『最高裁判所判例解説』)。訴訟能力に疑いのある人の自白には,つねに誘導の恐れがつきまとい,ひいては冤罪の土壌となりうる。ここに,訴訟能力鑑定の重要な意義がある。日本で訴訟能力が問題とされた事例は聴覚障害者の場合以外には少なかったが,しだいに精神遅滞・自閉症・認知症などの事例においても訴訟無能力とする裁判例が見られるようになりつつある。なお,訴訟無能力により公判停止になった場合,公判停止期間が長引き,かつ回復可能性がまったくなければ,検察官による公訴取り消しにより公訴棄却となりうるという見解を,最高裁は取っている。
最後に,情状鑑定evaluation of mitigating factorsとは,兼頭吉市(1977)によると「訴因事実以外の情状を対象とし,裁判所が刑の量定,すなわち被告人に対する処遇方法を決定するために必要な智識の提供を目的とする鑑定」である。ちなみに,情状とは公訴事実の存在を前提として刑の量定にあたり参酌される事情をいう。また,訴因事実以外とは「被告人の素質,経歴,家庭その他の環境,犯行前後の心理状態等」を指す(昭和35年最高裁刑事局長通達)。
情状鑑定について,多田元(1977)は「被告人を人間として理解することを意図するもの」という。したがって,心理学になじみやすい鑑定であるといえよう。とりわけ少年事件では要保護性の有無が重要であるため,情状鑑定の果たす役割が大きい。なお,要保護性とは,少年の健全育成のために保護処分が必要であるというほどの意味であり,累非行性・矯正可能性・保護処分相当性の3条件より成立する。 →裁判心理学 →犯罪 →犯罪心理学
〔高岡 健〕
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