刑法、民法などの法律には精神障害や精神能力に関連した規定があり、その適用に関係して裁判官や検察官などが判断に困ることがある。そのような場合に、裁判官などが専門家(通常、精神医学者)に命令ないし依頼して行われる精神医学的ないし心理学的な検査と、それに基づく判断を精神鑑定という。厳密には裁判官が命令する場合に限られるが、捜査機関、たとえば検察官が依頼する場合も広く精神鑑定という。精神鑑定が問題になるのは、刑法では責任能力、民法では行為能力、不法行為能力、後見・保佐開始の審判、刑事訴訟法では訴訟能力、証言能力などの場合である。実際上、もっとも重要で、ときに鑑定人相互の間に、あるいは鑑定人と裁判官などとの間に意見の相違が生じることがあるのは、刑法上の責任能力の場合である。責任能力は、被告人または被疑者の、自らの犯行に対して責任を負うことができるだけの精神能力であり、通常人は特別な例外状態にない限り、完全な責任能力を有すると考えられる。
責任能力がまったく失われている場合は責任無能力(わが国の刑法では心神喪失)といい、責任能力がまったくは失われてはいないけれども著しく減退している場合は限定責任能力(わが国の刑法では心神耗弱(こうじゃく))という。裁判で責任無能力と判定されると、無罪が言い渡され、限定責任能力と判定されると、わが国の場合では刑が軽減される。責任能力があるかないか、あるいは著しく減退しているかどうかは、裁判官、検察官などの法律家の決定事項であり、精神鑑定はそのような決定の基礎を提供するものである。責任能力の減喪(責任無能力や限定責任能力)が問題になるのは、わが国の刑法では精神障害者、未成年者の場合であるが、未成年者については、14歳未満の者は罰しないという規定があるため、精神鑑定が必要になることはまれである。
したがって、責任能力に関して精神鑑定が必要になるのは通常、精神障害者の場合である。精神障害者の責任能力については、次のようなだいたいの判定基準がある。
(1)統合失調症(精神分裂病)、そううつ病などの精神病では、それらの診断がつけばただちに責任無能力で、病状の軽重や、症状と犯行との関連性を考慮する必要はない。
(2)老年期痴呆(ちほう)、頭部外傷などによる精神障害では、精神障害の程度によって責任能力の減喪が決められる。
(3)知的発達障害では、主として知能程度が問題になり、一般に軽度(知能指数69~50)には限定責任能力が、中等度(49~20)には限定責任能力ないし責任無能力が、重度(19以下)には責任無能力が認められる。
(4)アルコール酩酊(めいてい)では、スイスのビンダーH.Binder(1899―1989)の酩酊の分類に従い、単純酩酊には完全責任能力が、複雑酩酊には限定責任能力が、病的酩酊には責任無能力が認められる。
(5)性格異常(精神病質)、性欲倒錯、心因反応、神経症にはそれぞれ完全責任能力が認められる。
[中田 修]
『懸田克躬、武村信義、中田修編『司法精神医学』現代精神医学大系24巻(1976・中山書店)』▽『山上皓編『精神鑑定』(1996・ライフ・サイエンス)』▽『小田晋著『司法精神医学と精神鑑定』(1997・医学書院)』
日本では現在,精神科医の行う鑑定には,刑法および民法にもとづく責任能力,行為能力,証言能力を鑑定するいわゆる司法精神鑑定(司法鑑定)と,精神保健福祉法にもとづく措置入院の要否の判定とがあり,精神鑑定というと一般には前者を指す。措置入院の要否の判定では,本人が精神障害者であってみずからを傷つけるか,他人に危害を与えるおそれがあるかの判定(そのおそれがあることを2名以上の精神保健指定医が認めれば措置入院となる)が主であるのに対し,司法精神鑑定は,裁判所や検察官が被告人や被疑者の犯行時の精神状態の判断や,訴訟関係者の行為能力や証言能力の判断を求めて精神科医に鑑定を依頼し,その結果を資料とするものである。鑑定人は精神医学に通暁し,同時に法律についての知識もあって鑑定に興味をもち,客観的な立場をとれることが要求される。鑑定の経過は,たとえば刑事事件では,被告人(被疑者)を適当な施設に鑑定留置し,できるだけ多くの参考人や参考書類を調査し,被告人(被疑者)との面接を繰り返す。さらに身体および精神状態を検査し,必要に応じて心理検査,脳波検査,飲酒検査などを行い,それらの結果をまとめて鑑定書として提出するか,口頭で結果を報告する。鑑定書は多くは緒言,家族歴,本人歴(学歴,既往歴,生活史など),身体的現在証,精神的現在証,考察と説明,鑑定主文の順で記載される。刑事の鑑定では,責任能力の有無,程度(心神喪失,心神耗弱(こうじやく),有責)が問われることが多いが,精神科医の鑑定結果はあくまでも裁判官(検察官)に対する判断資料の提供である。民事では行為能力の程度の判断,禁治産・準禁治産の判断を求められることが多い。
→鑑定
執筆者:保崎 秀夫
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…外国の立法例には生物的要素だけによる生物学的方法を採用するものもあるが,日本の現行刑法は両要素を必要とする混合的方法によっている。責任能力は法律上の観念であり,裁判官は精神鑑定を命じないで判断してもよく,また精神鑑定の結果にも拘束されないとされている。しかし多くの場合には精神鑑定の結果が採用されている。…
※「精神鑑定」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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