共同通信ニュース用語解説 「名張毒ぶどう酒事件」の解説
名張毒ぶどう酒事件
1961年3月28日、三重県名張市葛尾地区の公民館で開かれた懇親会で、ぶどう酒を飲んだ
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1961年3月28日、三重県名張市葛尾地区の公民館で開かれた懇親会で、ぶどう酒を飲んだ
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1961年(昭和36)3月28日夕刻、三重県名張市葛尾(くずお)の公民館で開かれた住民の懇親会の席上、毒物が混入されたぶどう酒を飲んだ女性5名が死亡し、12名が重軽傷を負った事件。住民の一人奥西勝(おくにしまさる)(当時35歳)が殺人・同未遂罪に問われた。一審は無罪であったが、控訴審で逆転有罪となり死刑が言い渡された。奥西は再審請求を続け、一度は再審開始決定が出されたが、その後で取り消された。奥西はさらに裁判のやり直しを訴え続けたが、果たされないまま獄中死した。
[江川紹子 2018年4月18日]
懇親会は、名張市葛尾と隣接の奈良県山辺(やまべ)郡山添(やまぞえ)村の住民でつくられていた、生活改善クラブ「三奈の会」の総会の後に行われた。仕出しの折詰めや女性たちが持ち寄った料理がふるまわれ、男性用に日本酒、女性用には合成のぶどう酒が出された。乾杯後しばらくして、女性ばかりが次々に倒れた。5人はその場で死亡し、1人が一時重体となり、ほかに11人が中毒症状を呈した。女性参加者20人のうち、無事であったのはぶどう酒に口をつけなかった3人だけであった。
三重県衛生研究所の検査で、ぶどう酒には有機リン系のTEPP(テップ)剤が入った農薬が混入しているとわかった。
ぶどう酒の購入を決めた「三奈の会」会長、酒屋でぶどう酒を買い会長宅まで自転車で運んだ青年、それに会長宅から公民館まで運んだ奥西の3人が連日事情聴取を受けた。奥西の場合、自宅にも警察官がついてきて泊まり込みで監視するなど、任意捜査の段階から事実上の拘束状態であった。事件発生から6日後の1961年4月3日早朝、奥西は犯行を認め、逮捕された。
奥西は、捜査の最終段階で否認に転じたが、同年4月24日、殺人罪で起訴された。
[江川紹子 2018年4月18日]
検察側は、公民館からみつかったぶどう酒瓶の王冠についた傷が、奥西が歯で噛(か)んだときについたものだとする鑑定書を提出。これが、事件と奥西を結びつける唯一の物証であった。
犯行の動機について検察側は、奥西は同じ集落の女性との愛人関係が妻にみつかり、夫婦仲が悪くなり、愛人からも責められてやけくそになり、妻と愛人を一挙に殺して三角関係を清算しようした、と説明。「三奈の会」に出される女性用の酒に農薬ニッカリンTを入れることを思い立ち、公民館にぶどう酒を運んだ後、1人になった10分間に、酒瓶の王冠を歯でこじ開けて、ニッカリンTを注ぎ込んだ、と主張した。そして、ぶどう酒に農薬を入れる機会は、この10分間しかなかったとして、奥西に死刑を求刑した。
しかし、津地方裁判所(小川潤裁判長)は1964年12月23日、奥西を無罪とする判決を出した。判決は、農薬を入れる機会は、会長宅にぶどう酒が置かれていた1時間ほどの時間帯にもあると指摘。王冠の傷についても、4種類の鑑定の結果が一致せず、「これによって個人識別をするのは容易でない」「被告人の歯牙(しが)によってつけられたものか否かは不明」と判示した。また、家族や住民たちの証言をふまえ、奥西が妻と愛人を殺害しなければならないほど追い詰められていたとはいえない、として、検察側の示した動機にも疑問を呈した。捜査段階の自白調書については、犯行準備の状況が不自然で、犯行時の供述が変遷していることなど、信憑(しんぴょう)性に数多くの疑問符をつけた。
さらに、捜査段階での関係者や住民の調書は、途中で一斉に供述が変わり、奥西以外に毒を入れる機会がないという検察官の主張に沿うものとなっていたことについて、判決は「検察官の並々ならぬ努力の所産であり、このことは各該当の調書を一読すれば容易にこれを理解し得るところである」と述べて、暗に捜査の問題性を指摘した。
検察側は控訴。名古屋高等裁判所(上田孝造裁判長)は1969年9月10日、一審判決を破棄し、死刑を言い渡した。判決では、王冠の傷痕は奥西の歯形と一致するという、当時の法医学会の権威の一人であった松倉豊治(まつくらとよじ)・大阪大学医学部教授の鑑定を根拠に、傷跡は奥西の歯によるものと認定。捜査段階での関係者の供述が一斉に変わった点も、変更前の供述が「記憶違い」であり、変更後の供述を「十分信用するに足る」として、犯行の機会があるのは「約10分間、公民館内にただ一人でいた被告人以外ない」と判示した。さらに奥西の自白調書にも信用性を認め、三角関係の清算という動機も「被告人は、無口で、平素なにを考えているのかわからないような陰険な性格の持ち主であることが認められる」から、「荒唐無稽(こうとうむけい)なものでもなく、十分肯首し得られるもの」とした。
一審の無罪判決で釈放されていた奥西は、高裁の有罪判決によりふたたび収監された。最高裁判所第一小法廷(岩田誠裁判長)は1972年6月15日、上告を棄却し、死刑が確定した。
[江川紹子 2018年4月18日]
死刑確定後、奥西は自力で再審請求を始めた。1973年4月15日(第一次)、1974年6月4日(第二次)、1976年2月17日(第三次)、同年9月27日(第四次)と名古屋高裁に申立てを行ったが、再審請求に必要な新証拠が付されていなかったため、いずれも2か月から8か月で棄却されている。
その後、日本弁護士連合会が支援を決め、弁護人がついた。1977年5月18日に申し立てた第五次再審請求で、弁護側は、確定判決の有罪根拠とした歯形鑑定は、事件現場からみつかった王冠の傷と、奥西が新たな王冠をかんだ再現実験でできた傷を、異なる倍率で写した写真を比較して「一致する」としていたことなどを明らかにした。さらに、双方の王冠の傷を立体的に解析し、三次元形状がまったく異なるとする鑑定を提出。また、関係者の新たな証言を分析して、奥西が公民館に10分間一人でいた事実はなかったと主張した。名古屋高裁(刑事第1部)は、死刑確定後初めて鑑定人などの証人尋問を行い、現場検証を実施した。
しかし、名古屋高裁(山本卓裁判長)は1988年12月14日、再審請求を棄却。王冠の傷に関する松倉鑑定の証明力は大幅に減殺されたとしつつも、「歯形が請求人(奥西勝)のものであっても矛盾はない」という程度の証明力は残されているとした。10分間問題については、「新証言をした証人たちが、なぜ再審段階で記憶を新たに思い出したのかが分からず、信用できない」と、新証言をことごとく退けた。一方、「自白の任意性や信用性は動かしがたい」とした。
弁護側は、これに対する異議を申し立てたが、名古屋高裁(刑事第2部、本吉邦夫裁判長)は、1993年(平成5)3月31日、これを棄却。最高裁第三小法廷(大野正男裁判長)も1997年1月28日、特別抗告を棄却した。
1月30日、弁護団は事件当時の名張警察署長が捜査の進捗(しんちょく)状況を把握するために作成していたノートを新証拠として、第六次再審請求を起こした。ノートの記載によると、10分間問題に関する重要証人が、当初は異なる証言をしていたとして、その証人の供述の信用性に疑問を投げかけた。
名古屋高裁(土川孝二裁判長)は1998年10月8日、「ノートの記載内容は、捜査員からのまた聞きにより記載されたもので信用性に乏しい」として再審請求を棄却。続く異議審(笹本忠男裁判長)も1999年9月10日、同じ理由で抗告を退けた。最高裁第一小法廷(町田顕裁判長)も2002年(平成14)4月8日、特別抗告を棄却した。
[江川紹子 2018年4月18日]
弁護団は2002年4月10日、第七次再審請求を行い、(1)ぶどう酒の瓶は王冠の上に貼ってあった封緘(ふうかん)紙を破らずに開栓することが可能であることを示す実験ビデオ、(2)ぶどう酒瓶に装着されていた四足替栓の足の極端な折れ曲がりは人間の歯では不可能であることを示す鑑定、(3)犯行に使用された毒物は、確定判決が認定した農薬ニッカリンTではないことを示す鑑定、など五つの新証拠を提出した。
現場となった公民館で封緘紙の切れ端がみつかっており、犯人がここで封緘紙を破り、開栓したうえで毒物を入れた、とする根拠の一つになっていた。弁護団は、王冠と封緘紙を再現して作成し、封緘紙を破らなくても開栓して毒物を入れることは可能であることを示す再現実験を行った。
また、弁護団はニッカリンTの現物を入手。専門家が分析したところ、ニッカリンTは製造過程で独特の副生成物ができ、それが不純物として製品に混入している。しかし、犯行に使われたぶどう酒の残りの分析では、その不純物が検出されていなかった。一方、新しいぶどう酒にニッカリンTを混ぜた対照実験では、わずかではあるが不純物が検出されている。このことは、犯行に使われた毒物がニッカリンTではなく、別のTEPP剤であることを示しており、確定判決には誤りがある、と主張した。
名古屋高裁(刑事1部、小出錞一裁判長)は2005年4月5日、「今回の新証拠(1)ないし(3)が提出されていたとすれば、確定判決の有罪認定には合理的な疑いが生じており、これを維持することはできない」として、再審開始と死刑執行停止決定を出した。
検察側の異議申立てを受け、名古屋高裁(刑事2部、門野博裁判長)は2006年12月26日、再審開始決定を取り消し、再審請求を棄却した。封緘紙を破らずに開栓した可能性については、「いくら周到で緻密(ちみつ)な犯行をねらった犯人といっても、この方法をそう簡単に思いつくとは思われない」と退けた。また、農薬の不純物に関しては、当時の鑑定技術では検出できなかった可能性もあるとして、証拠としての明白性を認めなかった。さらに、捜査段階での自白を重視し、「当然極刑が予想される重大殺人事件であり、そうやすやすとうその自白をするとは考えにくい」などとして、再審開始を認めなかった。
これに対し最高裁第三小法廷(堀籠幸男裁判長)は2010年4月5日、異議審の決定は、不純物の不検出について科学的な検討が十分されていない点を指摘し、事件当時の鑑定を再現するなど審理を尽くすべき、として名古屋高裁に差し戻した。
差戻し異議審では、事件当時の製法を元にニッカリンTを再製造し、当時のペーパークロマトグラフ試験による鑑定を行おうとしたが、すでに使われなくなったこの手法で鑑定を行える専門家がみつからず断念。ニッカリンTの成分分析などの鑑定を新たに行った。その結果、ニッカリンT水溶液には問題の不純物が含まれていたが、さらに毒物を検出しやすくするための「エーテル抽出」を行うと、不純物は検出されなかった。
2012年5月25日、名古屋高裁(下山保男裁判長)はこの結果から、事件当時の鑑定でも、ペーパークロマトグラフ試験の前にエーテル抽出が行われていたとして、弁護側の新証拠(3)は「ニッカリンTではないと証明するほどの証拠価値はない」と判断。同じ手法で行われた当時の対照実験では不純物が検出されている点については、この物質ができる前の段階の物質が検体にわずかながら残っていて、ペーパークロマトグラフ試験の濾紙(ろし)につける過程で新たに加水分解が起きたために問題の不純物が生成されたと考えれば矛盾しない、と判断した。
そのうえで、ぶどう酒に農薬を混入できた者は、奥西以外にはないとの判断はいささかも動かず、自白は根幹部分が十分信用できるなどとして、再審開始を取り消した当初の異議審決定を支持した。
最高裁第一小法廷(桜井龍子裁判長)も2013年10月16日、弁護側の新証拠は「事件に使われた毒物がニッカリンTであることと矛盾しない」などとして特別抗告を退け、11年半に及んだ第七次再審請求審を終わらせた。
[江川紹子 2018年4月18日]
奥西は2012年5月初めごろ、体調を崩した。肺炎と診断され、拘置されていた名古屋拘置所の病舎で治療を受けていたが、第七次再審請求審の差戻し異議審の決定直後に症状が悪化。高熱を発し、同月27日夜に救急車で外部の病院に搬送されて入院した。さらに6月11日、東京都八王子市の八王子医療刑務所に移送された。
弁護団は2013年11月5日に、第七次再審請求の毒物鑑定を補強する鑑定などを新証拠として、名古屋高裁に第八次再審請求を申し立てるとともに、検察側の未開示証拠を開示させるよう求めた。これに対し名古屋高裁は2014年5月28日、第八次の請求は第七次と同一の証拠関係で同一の主張をするものであり、再審の請求権は消滅しているとして請求を棄却した。
異議審も、2015年1月9日に棄却。弁護側は最高裁に特別抗告していたが、同年5月15日、それを取り下げ、毒物に関する新たな鑑定結果などを新証拠に第九次再審請求を名古屋高裁に起こした。
奥西の病状はさらに悪化し、一時は危篤状態となったものの、第八次再審の取下げと第九次の申立て書面にはかろうじて自署でサインをした。しかしその後も高熱が続き、2015年10月4日、89歳で死亡した。
請求人の死亡に伴い、第九次再審請求審は終結。2015年11月6日、奥西の妹が請求人となって第十次再審請求を起こしたが、2017年12月8日名古屋高裁はそれを棄却。妹は異議を申し立てた。
[江川紹子 2018年4月18日]
本件をめぐっては、さまざまな映像作品が制作されているが、2013年2月には、俳優の仲代達矢(なかだいたつや)(1932― )が奥西役を、樹木希林(きききりん)(1943―2018)が母親役を演じた映画『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』(監督・斉藤潤一、配給・東海テレビ放送)が公開された。
[江川紹子 2018年9月19日]
(2015-10-7)
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