歌枕など諸国の名所を選び,連作として屛風絵や障子絵に描いたものを名所絵と呼ぶ。月次絵(つきなみえ)や四季絵とともに,日本の風景・風俗を描いたやまと絵の主要なジャンルをなした。和歌に詠まれた名所の興趣深い情景を描き出し,主題となった和歌をそれぞれの画中の色紙形に能筆をもって書き込んだり,あるいは描かれた名所絵を前に,その風情を歌に詠じ合って興じたもので,やまと絵障屛画の常として和歌と絵画とが深く結びついていた。特に名所絵にあっては,画題となった名所はすでにひろく歌に詠みつがれ,その伝統の中で観念的にはぐくまれた特定のイメージに従って描かれて,実在の景物とはかかわりをもたなかった。そして春日野といえば若菜摘,吉野山は春霞というように,名所と特定の景物,さらには年中行事や四季の観念が付与され,それらが分かち難く結びあい,生彩に富んだ絵画的イメージとして定着していった。こうした名所絵は多くの場合,数ヵ所が組み合わされ,同時に月次絵さらに四季絵としての構成をあわせもつものであり,まさにやまと絵障屛画の主体をなしたといってよい。
やまと絵の発生を示す史料としては,《古今集》秋下の詞書がよく知られている。名高い在原業平の〈ちはやぶる神代もきかず竜田川……〉などが,清和天皇の貞観年間(859-877),陽成天皇が東宮であった870年ころに〈たつた(竜田)河にもみぢながれたるかた〉を描いた屛風絵を詠んだ歌としたもので,ここではすでに名所絵と四季絵とが,実質的に一致している。
こうした屛風歌や障子歌は,9世紀後半から始まって,おびただしい数が当時の歌集に収められており,平安時代の障屛画の盛大な様相を示している。なかでも歴代天皇の大嘗会(だいじようえ)の際の大嘗会屛風は,最も公的な行事の場を飾るものとして,10世紀以降の記録によれば,各時期の代表的歌人,書家,画家によって制作され,悠紀(ゆき)方・主基(すき)方各国郡の名所18ヵ所をそれぞれ6帖の屛風に描いたものであった。しかし,名所絵も11世紀以降,屛風歌そのものの制作の衰えとともに本来の生命力を失っていった。鎌倉時代の名所絵では,1207年(承元1)後鳥羽院の御願寺,最勝四天王院の障子に,全国から選ばれた46ヵ所に及ぶ名所絵が描かれ,また1295年(永仁3)ころ伊勢で制作された《新名所絵歌合絵巻》が現存する名所絵として注目される。しかし,それらの各名所絵の情景は,平安以来の現実からかけ離れた観念的イメージの域にとどまっており,現地の風物を実際の観察に基づいて,そのままに描き出した名所絵の成立は,中世末から近世初めの京名所扇面画や,洛中洛外図屛風の盛行,さらには近世中期以降の実用的な名所図会などまでまたなければならなかったといえよう。
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執筆者:田口 栄一
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…とくに際だって注目されるのは,他の画派にあってはつねに主要な関心事である風景画と花鳥画の両分野の,浮世絵における成立と流行である。風景画には,特定の土地の風光の美とそこに営まれる人々の暮しぶりを紹介しようとした名所絵と,旅する人の目で宿駅や道中の景観と風俗とを描いた道中絵の二様があり,いずれも人事と深くかかわりをもった人間臭い風景描写を特色としている。また花鳥画においても,日常身近な動植物を題材に選び,図上に俳句や和歌を讃するなどして季節の詩感をしみじみと伝えた,親しみやすい表現がとられた。…
…これらやまと絵障屛画は,その画題の構成法によって,はやくからいくつかの形式に分けられてきた。変化に富んだ四季の景趣や,12ヵ月折々の風物行事を連続的に描いた四季絵や月次(つきなみ)絵,さらに歌枕として名高い各地の名所を四季の移り変わりと重ね合わせて連作とした名所絵である。また月次絵,名所絵の両者を統合整備したものとして大嘗会屛風が重要である。…
※「名所絵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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