出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
大阪府和泉市上代町に所在する前方後円墳。信太山丘陵の北端に南西面して築かれる。全長85m,後円部径57m,前方部幅34mをはかる。葺石(ふきいし),埴輪を有する。1951年に,末永雅雄が中心となって発掘調査を行い,後円部で主軸に平行する粘土槨3基を検出した。副葬品として,中央槨から中国鏡,玉類,碧玉腕飾類,筒形石製品,刀剣,農工具などが,東槨から中国鏡,玉類,鍬形石,筒形石製品,五銖銭,甲冑,刀剣,矛,鉄鏃,盾,巴形銅器,農工具が,西槨から中国鏡,玉類,銅鏃,鉄鏃,甲冑,刀剣がそれぞれ出土した。出土品のうちで中央槨の画文帯神獣鏡は,卑弥呼がはじめて魏に朝貢した景初3年(239)の年号銘をもつ点で注目を集めた。しかし,古墳の営造年代は4世紀後葉にあたる。報告者は,被葬者の性別について,中央槨を女性,東槨および西槨を男性と想像したが,その可能性は低くない。なお,出土品は1972年に国の重要文化財に指定された。
執筆者:川西 宏幸
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
大阪府和泉(いずみ)市上代(うえだい)町にある、墳丘の長さ85メートルの前方後円墳。通称信太山(しのだやま)丘陵北西端にあって、海岸平野や大阪湾を見下ろす景勝の地に地形を利用して築かれている。第二次世界大戦中に墳丘の各所が掘り荒らされたので、末永雅雄(すえながまさお)と森浩一(こういち)が1945年(昭和20)に予備調査を行い、50年と51年に後円部の埋葬施設を発掘した。後円部頂上には3個の粘土槨(ねんどかく)が並置されており、いずれも内部にコウヤマキ製の木棺を納めていた。とくに中央槨の木棺は長さが8.5メートルもあり、その内外から銅鏡、玉類、碧玉(へきぎょく)製品、鉄製刀剣などが出土し、棺外の槨の中に景初(けいしょ)(?)3年銘の平縁(ひらぶち)の神獣鏡があった。景初3年(239)は、卑弥呼(ひみこ)が魏(ぎ)に遣使して銅鏡100面などを与えられた年にあたるが、銅鏡そのものの製作年代については4~5世紀ごろとする説がある。東槨と西槨には甲冑(かっちゅう)を副葬し、東槨には巴(ともえ)形銅器をつけた盾や中国の五銖銭(ごしゅせん)などがあった。
[森 浩一]
大阪府和泉市上代にある古墳前期の前方後円墳。墳長85m,後円部径57mで,埴輪・葺石(ふきいし)をもち,周濠の跡がある。後円部に3基の粘土槨(かく)があり,中央棺は長さ8.7mの割竹形木棺,東・西棺は4mの箱形木棺。3棺の内外から,三角縁神獣鏡・画文帯神獣鏡などの鏡6面をはじめ,玉類・鍬形石・石釧(いしくしろ)・車輪石・筒形石製品,衝角付冑(しょうかくつきかぶと)・短甲などの武具,刀剣・槍・銅鏃・鉄鏃などの武器,各種の農工具類など豊富な副葬品が出土。画文帯神獣鏡は景初3年(239)銘をもち,刀剣などとともに中央槨の西側粘土中にあった。東棺内では五銖銭(ごしゅせん),水晶製大型切子玉のほか,槨外におかれた巴形(ともえがた)銅器を装着した盾も注目される。景初3年銘の鏡は「魏志倭人伝」中の卑弥呼(ひみこ)が下賜されたという鏡との関連から,多くの議論をよんでいる。国史跡。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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