日本歴史地名大系 「喜光寺」の解説
喜光寺
きこうじ
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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奈良市菅原(すがはら)(現あやめ池南)町にある法相(ほっそう)宗薬師寺派の寺。通称は菅原寺(すがわらでら)。山号は清涼山(しょうりょうざん)。寺伝では715年(霊亀1)菅原氏の菩提(ぼだい)寺として建立されたと伝えるが、一説に721年(養老5)元正(げんしょう)天皇が寺史(てらのふびと)乙磨(おとまろ)の旧宅を行基に施与したのを、行基は地名にちなんで菅原寺と号し、畿内(きない)49院の本寺として鎮護国家を祈り仏法道場となして教学を研鑽(けんさん)したと伝える。のち聖武(しょうむ)天皇行幸の際、本尊阿弥陀仏(あみだぶつ)の眉間(みけん)から瑞光(ずいこう)が放たれ、歓喜光寺の寺号を天皇から賜ったという。
その後隆替を重ね、興福寺一乗院の流れに属し法相を伝えたが、1897年(明治30)以降は法相宗薬師寺派に属して現在に至っている。寺域は荒廃し、わずかに金堂を残すのみである。金堂は、東大寺大仏殿を建立するにあたり、その10分の1の大きさでつくられたと伝え、「試みの大仏殿」ともよばれ、本尊の阿弥陀如来坐像(にょらいざぞう)とともに国の重要文化財に指定されている。
[里道徳雄]
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