中国,唐・宋時代の官田経営の一形態。辺境地帯で軍粮確保のために兵に耕作させる屯田に対し,営田は民を募集して耕作させ,州県の財政に充てるのをいったが,軍粮生産を目的とする場合も多く,両者の区別は必ずしも厳密ではない。兵屯に対し民屯の意にも用いられる。はじめ華北に多く,南宋になると金との国境線に沿って数多くおかれた。はじめ営田務がおかれ営田使が管轄したが,宋に入って営田が官の荘園として経営されるようになると,土豪層が監荘に充てられ,県知事・県尉が総監し,路の転運使に所属した。営田官荘は佃戸制経営が行われて,1荘5頃(けい),5家で1甲を組織,甲頭が置かれた。家屋・耕牛・農具・種子・食糧などを支給され,収穫は官4,佃戸6,ないしは折半であった。しばしば政策として営田が売り出されたが,豪民がこれを買い入れて豪民侵食の対象となり,大土地所有拡大の契機となった。
執筆者:柳田 節子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中国・日本古代の官による田地耕営。地方官が農民を募集して荒れ地を開墾耕作させ、収穫の半分ないし大部分を官の手に収めた。兵士による屯田と区別されたが、いずれも官営田として共通性があり、名称の混同もみられた。中国では南北朝時代から、唐、宋(そう)にかけて行われ、唐代では州の長官や節度使が営田使を兼ね、のちには中央の戸部の営田務が管轄した。唐後期以降に置かれた官荘も営田と似た性格をもつ。北宋の北西国境地方では、民兵の弓箭(きゅうせん)手を営田に使役した例もある。
日本では平安時代初期の9世紀に公営田(省営田、国営田を含む)が行われるとともに、王臣勢家、国郡司、富農による農地開発も私営田とよばれた。
[池田 温]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…辺境や新開地あるいは戦乱災害等による荒廃地に,兵士もしくは移住民を招来し開墾耕営に従事させ,収穫を官に納めて軍糧に供し,あるいは蓄積に充て,住民の安定と国庫の充実をめざす中国歴代の土地政策,またその耕地をいう。主体が兵士によるものを軍屯,一般民を主とするものを民屯とよび,唐・宋代には営田の語も互用された。屯田は官田の一種であり,屯兵・屯民にはおおむね一定面積が割り当てられ,種子,役畜,農具は官給,収穫の大部分を官収するのを基本とするが,年を経て家族をもち定着するにつれて田地私有化の傾向を生じ,民田に移行することが多かった。…
※「営田」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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