[ 一 ]①の挙例「続日本紀」にも見えるように、七、八世紀の宮殿や主要な寺院は寄棟造りか入母屋造りであった。それを「あづまの屋」と呼んだのは、大陸から新しい建築様式が伝来する以前の建築が宮殿や神社が切妻造りで「真屋」と呼ばれ、民家が寄棟造りであったから以前の呼称がそのまま流用されたためであろう。催馬楽や和歌、「源氏物語」の巻名などでは、建築様式ではなく、もともとの茅葺きなどの粗末な家、田舎の家の意で用いられている。
庭園などに設けられた休息用の小建築で,亭(ちん)とも呼ぶ。方形平面で4本柱とするのが普通であるが,多角形や円形のものもあり,屋根は宝形造(ほうぎようづくり)(屋根)でカヤ(茅)や杉皮,板でふいたものが多い。壁は全くないか,ごく一部にあるだけで,内部に腰掛けを設ける。桂離宮の卍字亭は腰掛けが卍形に配置された四阿の例である。
四阿の〈阿〉は中国語では棟の意で,四阿は四方に棟のある建物,すなわち宝形造や寄棟造の建物をさす。日本古代でも四阿はそのような意味で使われ,切妻造の建物,すなわち真屋(まや)に対する言葉であった。この場合,真屋には〈真正の家屋〉,〈あずまや〉には〈へんぴな地の家屋〉という意味が含まれているが,これは神社建築に見られるような切妻造を高級視する習慣に基づくものであろう。しかし,中国では四阿の方を高級視し,日本でも宮殿や寺院はその考えで建てられている。
執筆者:大河 直躬
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庭園内に設けられた小建築。規模はおおよそ2坪(1坪は6尺平方、約3.3平方メートル)から3坪ぐらいまでのものが多い。休息や眺望を目的にしたものであり、回遊式庭園に設置される場合がほとんどである。また、庭園の点景にもなって雅致を添えもする。屋根は、四角、六角、丸形などあって、茅葺(かやぶ)きや杮(こけら)葺きにするが、ときには瓦(かわら)葺きもある。普通は四方の壁を吹き放つ。南北朝時代ごろ(14世紀)から置かれるようになったが(京都・西芳寺(さいほうじ)の潭北亭(たんほくてい)など)、江戸初期の大名庭園で大いに流行し今日に及んでいる。
[重森完途]
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…日本建築は,明治維新後の西洋建築の輸入により煉瓦造,石造が始まるまで,ながく木造であった。その様式は世界的に見れば,朝鮮建築とともに中国建築様式系の一部であり,その構造・形式の大部分は中国から伝来したものである。しかし日本で始められたものもあり,また細部の取扱い,曲線の性質,意匠の洗練さなどの面で,日本独自の様式をつくっている。日本古来の木造建築のうちでも,社寺建築はながく建築界の主流を占め,その構造もまた和風木構造のなかで最も高度な技術をもつものへと発達した。…
…屋根の代りに水平またはアーチ形の格子に葭簀(よしず)をのせたり蔓(つる)性植物をはわせたりした,藤棚のような日よけひさしや東屋をいう。つる棚と訳される。語源のペルグラpergula(ラテン語)はさしかけの軒店や部屋の張出し部などを指し,特殊な意味として学校の教室,日覆い,ブドウ棚等をも指した。とくにブドウ棚は古代ギリシアでは,ディオニュソス(バッコス)との関連から,演劇的な意味をもつ一種の舞台とみなされることがあり,この記憶がパーゴラ一般の性格にも影響を及ぼしているとみられる。…
…東屋(あずまや),離れ,あるいは博覧会場の展示館のような,独立棟の建物。本来は野営のためのテントを指し,形がチョウpapilio(ラテン語)に似ることから出たものという。やがて仮設の建物一般を指すようになり,現在では,機能や構造と関係なく,分棟形式で建てられた建物の一棟を指し,その配置形式を〈パビリオン・タイプ〉または〈パビリオン・システム〉と呼ぶ。こうした配置は,原始的集落や兵舎,入植地の家々など,応急的,仮設的な建物によく見られるが,近世ヨーロッパで,古典建築理論の影響により,建物の機能を整理し,一つの空間単位に一つの機能を当てる考え方が生まれ,また主屋に対し付属棟(翼部)――これをまたパビリオンと呼ぶ――を対称的に配置するような空間構成が好まれて,より整然とした形で再生してくる。…
※「四阿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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