国忌(読み)こっき

精選版 日本国語大辞典 「国忌」の意味・読み・例文・類語

こっ‐き コク‥【国忌】

〘名〙 皇祖先皇母后などの命日。この日は政務休み追善供養法要を行ない歌舞管弦をつつしんだ。時代によって廃止されたり、置かれたりした。こき
令義解(718)職員「卿一人。〈掌本姓。〈略〉国忌〈謂。先皇崩日也〉〈略〉及諸蕃朝聘事〉」
建武年中行事(1334‐38頃)三月「中の午日石清水臨時祭なり、国忌にあたりたらば下のむまなり」 〔元稹‐辛夷花詩〕

こ‐き【国忌】

源氏(1001‐14頃)賢木「しも月のついたちころ御こきなるに、雪いたうふりたり」

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デジタル大辞泉 「国忌」の意味・読み・例文・類語

こっ‐き〔コク‐〕【国忌】

皇祖先帝母后などの命日。政務を休み、仏事を行い、歌舞を慎んだ。こき。
「二十九日、―なりければ御神楽かぐら止められ」〈盛衰記四四

こ‐き【国忌】

こっき(国忌)」に同じ。

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改訂新版 世界大百科事典 「国忌」の意味・わかりやすい解説

国忌 (こっき)

〈こき〉ともいう。先帝の没した日に相当する日に,国の行事として追善供養の仏事を寺院で行うこと。687年(持統1)の天武天皇一周忌の国忌の斎が最初。翌年には国忌に必ず衆僧に食事を供養する斎会を設けることを定め,702年(大宝2)には国忌の日に政務を休むことを制度化した。一方,国忌を先々帝,天皇の父母,皇后等の命日にも逐次広げていったので,国忌の増加につれて国忌による政務の渋滞が起こり,ついに791年(延暦10)には中国の九廟の制に倣って,逐次古い方の国忌を廃して新しい方の国忌を置くことにした。村上朝以後,天智・光仁・桓武・仁明・光孝・醍醐の6帝と,その時々に加除された母后に限定されていったが,1244年(寛元2)を最後に国忌の廃置は絶え,やがて国忌自体も消滅した。《延喜式》には,治部省の主管のもとに所定寺院で寺僧100人による転経礼仏法要の執行と,これに対する図書寮の香華支給および大蔵省の布施物支給,参詣すべき役人の定数,不参役人に対する罰則等を定めている。国忌廃絶以後も,皇室における天皇周忌の仏事は所定寺院で幕末まで行われていた。明治初年に神武天皇と先帝以前数代の天皇の没した日に相当する日を,各天皇祭と祭日に制定したが,この天皇祭を国忌と呼んでいる書物もある。
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普及版 字通 「国忌」の読み・字形・画数・意味

【国忌】こくき

国の喪。

字通「国」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の国忌の言及

【国忌】より

…先帝の没した日に相当する日に,国の行事として追善供養の仏事を寺院で行うこと。687年(持統1)の天武天皇の一周忌の国忌の斎が最初。翌年には国忌に必ず衆僧に食事を供養する斎会を設けることを定め,702年(大宝2)には国忌の日に政務を休むことを制度化した。…

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