〈こき〉ともいう。先帝の没した日に相当する日に,国の行事として追善供養の仏事を寺院で行うこと。687年(持統1)の天武天皇の一周忌の国忌の斎が最初。翌年には国忌に必ず衆僧に食事を供養する斎会を設けることを定め,702年(大宝2)には国忌の日に政務を休むことを制度化した。一方,国忌を先々帝,天皇の父母,皇后等の命日にも逐次広げていったので,国忌の増加につれて国忌による政務の渋滞が起こり,ついに791年(延暦10)には中国の九廟の制に倣って,逐次古い方の国忌を廃して新しい方の国忌を置くことにした。村上朝以後,天智・光仁・桓武・仁明・光孝・醍醐の6帝と,その時々に加除された母后に限定されていったが,1244年(寛元2)を最後に国忌の廃置は絶え,やがて国忌自体も消滅した。《延喜式》には,治部省の主管のもとに所定寺院で寺僧100人による転経礼仏法要の執行と,これに対する図書寮の香華支給および大蔵省の布施物支給,参詣すべき役人の定数,不参役人に対する罰則等を定めている。国忌廃絶以後も,皇室における天皇周忌の仏事は所定寺院で幕末まで行われていた。明治初年に神武天皇と先帝以前数代の天皇の没した日に相当する日を,各天皇祭と祭日に制定したが,この天皇祭を国忌と呼んでいる書物もある。
執筆者:石田 茂輔
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…先帝の没した日に相当する日に,国の行事として追善供養の仏事を寺院で行うこと。687年(持統1)の天武天皇の一周忌の国忌の斎が最初。翌年には国忌に必ず衆僧に食事を供養する斎会を設けることを定め,702年(大宝2)には国忌の日に政務を休むことを制度化した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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