動産・不動産をふくむ天皇家財産の総称。皇室財産設定の動きが始まったのは明治維新以後のことである。天皇を頂点とする国家機構が整備されてくるのにともない,明治政府は皇室の経済的基礎を確立する必要に迫られた。1876年木戸孝允の建言をはじめ,79年には宮内卿徳大寺実則が官有林の一部を皇室財産に編入すべき提議をおこなったが,その動きが本格化したのは自由民権運動の高揚した81年ころである。すなわち81年10月国会開設の詔を機に民権運動が高揚すると,憲法実施前に皇室財産を設定せよとの建議があいついだ。その中でも有名なのは,81年9月と82年2月に提出された右大臣岩倉具視の意見書である。岩倉は国会開設後,政府と政党との対立が激化することを予想し,陸海軍の経費や予算案が成立しない場合には皇室財産によって支弁できるだけの準備をととのえておく必要を説いた。さらに84年11月大蔵卿松方正義は,皇室財産には土地などの不動産のほかに株券その他の動産をふくめるべしとの建議をおこなった。これらの建議にそって,明治政府は1884-90年にかけて莫大な皇室財産を次々と創設した。まず1884-87年に政府所有の日本銀行・横浜正金銀行・日本郵船会社株を皇室財産に編入,憲法施行のころには約1000万円に達した。次に,1885年には宮内省内に御料局が設置され,89年佐渡,生野両鉱山が皇室へ移譲され,89-90年には府県,北海道をあわせて350万町歩の山林原野が皇室財産に編入された。これら御料財産のうち一部は皇室典範第45条により世伝御料として天皇の地位に付属して永世に伝えられるものとなった。世伝御料とされたものには,宮城・皇居・御所・各離宮・木曾その他の御料地・正倉院宝庫などがある。こうして天皇は憲法実施のころには日本最大の財産所有者となった。
さらに90年以降は帝国憲法第66条の規定によって,定額300万円の皇室費が毎年国庫より支出されることになった。ついで98年第2次山県有朋内閣のとき,日清戦争で獲得した償金約3億円のうち2000万円が皇室会計に繰り入れられた。また毎年国庫より支出される皇室費は,日露戦争後の1910年度予算より450万円に増額された(この額は第2次大戦終了時まで変わらなかった)。しかし莫大な皇室財産も終戦時までなんら変りなく保有されつづけたわけでない。工場払下げ概則にもとづく佐渡・生野鉱山の三菱合資会社への払下げ(1896),御料林136万町歩の北海道庁への無償下付(1895),明治末~大正年間にかけての農地,市街地の払下げ・売却など皇室財産も幾多の消長をたどった。第2次大戦前の皇室経済は,全体としてみれば国庫支出による皇室費と御資部の保有する有価証券の配当利子収入および御料局管轄下の御料林からの林野収入の三つに支えられていたといってよい(なお,御料局は1908年帝室林野管理局,24年帝室林野局と改組された)。
1945年8月敗戦の結果,皇室財産は連合軍総司令部によって解体された。まず45年9月22日付の〈降伏後における米国初期の対日方針〉は〈皇室財産は占領の諸目的達成に必要な措置から免除せられることはない〉と明記し,ついで同年11月18日総司令部は日本政府にたいして皇室財産凍結指令を発し,総司令部の事前の承認のない限り,経常費をのぞく全皇室財産の取引を封鎖すると命じた。しかしながら皇室財産をどう処理するかは,新憲法における天皇の地位の規定と密接な関連をもつ。そこで総司令部はマッカーサー憲法草案を急きょ作成し,皇室財産については〈世襲財産以外の皇室財産はすべて国に属する。皇室財産から生じる収益はすべて国庫の収入とし,法律の定める皇室の支出は,予算に計上して国会の議決を経なければならない〉という案を提示した。これにたいし日本側はさまざまな抵抗を示したが,結局,現行日本国憲法第88条〈すべて皇室財産は,国に属する。すべて皇室の費用は,予算に計上して国会の議決を経なければならない〉,および第8条〈皇室に財産を譲り渡し,又は皇室が,財産を譲り受け,若しくは賜与することは,国会の議決に基かなければならない〉の二つの条文となった。これによって純然たる私的財産を除く皇室財産の大部分は国の所有となり,また皇室は贈与等により再び莫大な財産を集積する道を断たれたのである。終戦時の皇室財産の総額は総司令部発表で約16億円(美術品,宝石等を含まない),財産税納付のさいの財産調査(1946年3月3日現在)によれば約37億円と評価されている。かくして皇室財産解体の第1段として,47年2月財産税法が適用され皇室財産の90%にあたる約33億円が徴収された。ついで財産税納入後残る10%の皇室財産は,憲法第88条の発効とともに国に帰属することとなった。
→皇室領
執筆者:中村 政則
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国有財産から独立した皇室の所有する財産。1876年(明治9)帝室費・皇族費が宮内省費から区別されて皇室財産独立の道が開けた。議会開設以前に議会の干渉をうけない皇室財産の確立が急務とされ,膨大な皇室財産の設定と整備がなされた。皇室財産は世伝御料と普通御料にわけられ,土地・山林・建物などの不動産,有価証券などの動産その他からなる。御料林からの収益,有価証券の利子配当金は国庫支出金をはるかに上回っていた。第2次大戦後,皇室財産の解体が進められ,大部分は財産税として物納された。日本国憲法の発効により,純然たる私有財産を除きすべての皇室財産は国有財産に移管されたが,皇居など一部は皇室用財産として皇室の用に供されている。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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