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贄/牲 ニエ

デジタル大辞泉の解説

にえ〔にへ〕【×贄/牲】

神に供えるささげ物。また、天子に献上する魚や鳥などの食物。その年の新穀などを奉るのにもいう。
進物。贈り物。会見のときの礼物。
「かの歌女もし我心に協(かな)わば、我はこれを―にせん」〈鴎外訳・即興詩人
あることをするために払われる物や労力。犠牲。いけにえ。
「で、まだかまだかと、美しい―のみを迫る」〈鏡花・白鷺〉

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百科事典マイペディアの解説

贄【にえ】

神または天皇に供する食料品及びその制度で,魚貝・鳥獣・果実などの生鮮・加工品が中心。語源は神と首長が新穀を共食する新嘗(にいなめ)に関係する。令制下では一部が調(ちょう)の雑物(ぞうもつ)などに組み込まれたが,大膳職(のち内膳司)に属した贄戸などの貢納物(《延喜式》の諸国貢進御贄)と,諸国からの貢納物(《延喜式》の諸国例貢御贄)もあった。
→関連項目国栖

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世界大百科事典 第2版の解説

にえ【贄】

神または首長さらに天皇,貴人などへ供する魚鳥獣果実を中心とした食物。〈にえ〉は,共同体の収穫や獲得物を神または首長にささげる初物貢献儀礼の〈には〉〈にへ〉など新嘗(にひなめ)にかかわる語といわれ,共同体において,田からの初穂とともに神や首長にささげる山野河海の獲物の初物という性格をもっていた。さらに共同体間において,征服された共同体の土地からとれた食物を征服者へ貢献することによって服属のあかしとする,服属貢献物の性格もあった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説


にえ

神などに供える神饌(しんせん)をさす場合と、天皇の食膳(しょくぜん)に供されるために諸国から調進される食物をさす場合がある。制度上では後者が重要である。贄の制度は『古事記』『風土記(ふどき)』の伝承のなかに記されており、律令(りつりょう)制度が導入される以前、大和(やまと)朝廷の時代からあった日本独自の制度といわれ、征服された人々が征服者に食物を貢進する服属儀礼の一種と考えられている。律令制度が整備されてゆくと、古い「贄」の制度は再編され、一部は調(ちょう)となり残りは贄となったが、租(そ)・庸(よう)・調などと異なり、令の規定外の制度として存続した。律令制下で贄の制度が残された理由については、調に含めにくいもの、たとえば生鮮食品が残ったという説と、服属儀礼が伝統として、もしくは積極的に支配装置として残ったという説がある。『延喜式(えんぎしき)』の規定によると、贄には「年料」の贄、節句の宴にあてる「節料(せちりょう)」の贄、10日ごとに貢進する「旬料(しゅんりょう)」の贄があり、木簡(もっかん)では、月ごとに貢進される「月料」の贄が確認される。その内容は魚貝類、海藻を中心に動物の肉、果物があり、生鮮食品のみとはいえないが、贄の本質は即応性、季節性にあったとみられる。また、律令に規定されなかったのは、律令を超越した天皇の食物であったためという。そのため収納事務には、大蔵省は関与せず、宮内省が検領の事務にあずかり、収納場所も内膳司(大膳職)ないし、内裏の贄殿(にえどの)というように天皇家の家産的色彩を強く帯びていた。荷札としての贄木簡には国・郡・郷名まで記載し、個人名は記していないのが普通で、記す場合も「海部(あまべ)」の集団名が記されており、特定の集団を対象とした制度とみられ、その集団の成員は贄人(にえひと)と称し、平安後期には特権的集団として活動した。やがて贄の制度は消滅するが、中世においても江人(えひと)、網曳(あみひき)、鵜飼(うかい)など(供御人(くごにん))、天皇に結び付く集団が存在した。贄については不明な点が多いが、現在発掘が進行中の平城宮や藤原京および地方官衙(かんが)で出土している木簡によって、しだいに全容が明らかになると考えられる。[飯沼賢司]
『直木孝次郎著『贄に関する2.3の考察』(『律令国家と貴族社会』所収・1969・吉川弘文館) ▽東野治之著『木簡が語る日本の古代史』(岩波新書) ▽東野治之著『日本古代木簡の研究』(1983・塙書房) ▽勝浦令子「律令制下贄貢納の変遷」(『日本歴史』352号所収・1977・吉川弘文館) ▽鬼頭清明著『御贄に関する一考察』(『続律令国家と貴族社会』所収・1978・吉川弘文館)』

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世界大百科事典内の贄/牲の言及

【調】より

…ミツキ(ミは神または天皇に関する接頭語)は本来,朝廷に貢上するものであったと推測される。また大化前代からミツキとともにニヘ((にえ))が貢上されていたが,ミツキが繊維製品を中心とするのに対して,ニヘは海や山の収穫物(食物)を主とした。646年(大化2)の大化改新詔では〈田之調〉(1町につき絹1丈,絁(あしぎぬ)2丈,布4丈)と〈戸別之調〉(1戸につき貲布1丈2尺)を定め,調の副物として塩と贄を貢することとした。…

【天皇】より

…このように天皇は平民の全共同体の首長,オホヤケ(公)として,姓をもつことなく,暦,元号を制定し,時間の支配者の立場に立ちつつ,位階によって支配層を秩序づけていた。 一方,後者は律令の規定からはずれた(にえ)の貢献として制度化された。天皇に直属する江人,網曳などの海民や鵜飼いなどの献ずる贄をはじめ,諸国から徴収される贄も山野河海の産物であり,国ごとに特定された非農業民の集団がそれを貢献したが,贄は本来的には天皇の食膳に供せられる性格のもので,天皇家自体の経済を支えるものであった。…

【御厨】より

…御厨の名称は文献上では8世紀末ごろから見られるが,近江国筑摩(つかま∥ちくま)御厨のように天智天皇時代に建立されたという伝承をもつものもあり,実際にはもっと古くから存在していたと考えられる。古代の律令体制の下で天皇の穀類以外の食料品調達を支えていたのは,大膳職のち内膳司に従属する雑供戸(贄戸(にえこ)とも呼ばれ,江人,網引,鵜飼などからなる)の貢進物や諸国が貢進するなどであった。雑供戸は律令制下の身分は品部(しなべ)であったが,時代が下るに従い一般公民となり,9世紀末にはもともとの品部の系譜を引くもの以外の者も含む贄人として再編成されるようになった。…

※「贄/牲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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