出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
明治20年代に徳富蘇峰(そほう)が行った主張。明治政府の表面的な欧化政策を批判し,実業に従事する民衆に基盤をおく近代化を唱えた。蘇峰は1887年(明治20)民友社を創立,「国民之友」を創刊,90年には「国民新聞」を発刊し,その思想を展開した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…こののち,明治20年代の大日本帝国憲法体制の創成期にこれらの政治党派とは距離をおいた言論人独自の文筆活動がさかんとなった。この時期の思想界の花形だった徳富蘇峰は民友社をひきいて雑誌《国民之友》と《国民新聞》などにより思想の近代化を唱え,彼のいう〈平民主義〉に多くの青年たちを共鳴させた。また二葉亭四迷や徳冨蘆花などによる文学の革新をも実現させた。…
…一方,〈平民同様〉とされた被差別部落民は,〈新平民〉などと差別されつづけていた。87年徳富蘇峰が民友社を創立して《国民之友》を創刊し,欧化主義,国粋主義に反対して平民主義を唱え,〈ミッドルクラス(中産階級)〉の支持を得ようとした。これに対し,中江兆民は翌年《東雲新聞》に〈新民世界〉を書いて平民主義は貴族を意識し,他方で〈新平民〉を差別する旧民主義ではないかと批判している。…
…このような愛山の活動を支えていたのは,旧幕の子弟としての反骨の姿勢と,《西国立志編》に由来する独立自助の精神,さらに逆境を克服して人間的向上を図る〈英雄〉の観念であった。愛山は活力と流動性に富んだ明治初期の社会状況を理想とし,みずからの立場を〈平民主義〉と称したが,そこには,硬直化しつつある明治後期の社会の再活性化と,その現実の担い手たるべき地方の青年たちの奮起を期待する念がこめられていたのである。【坂本 多加雄】。…
※「平民主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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