歌舞伎狂言。7幕12場。別名題《清水精舎(きよみずでら)東文章》《当流東文章》。4世鶴屋南北作。1817年(文化14)3月江戸河原崎座初演。配役は,桜姫のちに風鈴お姫を5世岩井半四郎,自休のちに清玄・釣鐘権助実は信夫の惣太・稲野谷半兵衛を7世市川団十郎,稚児白菊丸・稲野谷半十郎を岩井松之助,小雛・葛飾のお十を5世瀬川菊之丞,入間悪五郎・残月を大谷鬼次,局長浦を惣領甚六。題材は,《一心二河白道(いつしんにがびやくどう)》の〈清玄桜姫〉の世界と〈隅田川〉の吉田家のお家騒動を綯交(ないま)ぜ,これに当時(1807年),品川の遊女屋に,京の日野中納言の息女と称する遊女がいて評判になり,のちに偽物とわかり追放されたという巷間の話題を仕組んだもの。あらすじは,建長寺の自休と稚児白菊丸が心中し,自休が生き残る〈江の島稚児ヶ淵の場〉を発端に,17年後に,吉田家の息女桜姫と生まれ変わっていた白菊丸と,新清水の清玄となった自休とが再会する〈新清水の場〉を序幕とし,清玄の十念で,生まれつき開かなかった姫の右手が開き,誓いの香箱の片々が出る。桜谷草庵で,姫が剃髪せんとするところへ,許嫁の悪五郎の手紙をもってきた釣鐘権助の刺青(ほりもの)をみて,姫は子までなした男と知る。悪五郎は,清玄を不義の相手とし,清玄は因縁を観じて,姫とともに追放される。小雛と半十郎は,姫と兄松若の身替りとして討たれる。岩淵の庵室で,局長浦と役僧残月の世話になっている病気の清玄は2人に毒殺されるが,落雷で蘇生し,かどわかされてきた姫と再会する。心中を迫る清玄を姫は誤って殺す。墓掘りにきた権助と姫は連れ立って立ち退く。小塚原へ女郎に売られた姫は,清玄の幽霊から,権助が父や弟を殺した敵と知らされ,わが子とともに権助を殺し,家宝都鳥の一巻を奪い返す。風鈴お姫と呼ばれる女郎になった桜姫が,鉄火な伝法言葉と姫の言葉を混合したせりふを使う奇抜な趣向をはじめ,南北の得意な生世話の技巧を十分に生かし,筋も一貫し,文化期(1804-18)を代表する傑作となっている。
→隅田川物 →清玄桜姫物
執筆者:郡司 正勝
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歌舞伎(かぶき)脚本。時代世話物。7幕。4世鶴屋南北(つるやなんぼく)作。1817年(文化14)3月江戸・河原崎座(かわらさきざ)で、5世岩井半四郎の桜姫、7世市川団十郎の清玄(せいげん)と権助(ごんすけ)(二役)らによって初演。「清玄桜姫」「隅田川(すみだがわ)」の二つの世界に悪党釣鐘権助を配したもの。姫から女郎に堕(お)ちる異常な境遇のヒロインは、当時の品川に中納言(ちゅうなごん)の姫と自称した女郎がいたのをモデルにしたという。吉田家の息女桜姫は、自分を手籠(てご)めにした夜盗釣鐘権助に強くひかれ、再度の密会を佞臣(ねいしん)にみつけられて、罪をかぶった清水寺(きよみずでら)の僧清玄とともに晒(さら)し者にされる。かつて衆道の相手白菊丸を心中未遂で殺した清玄は、その生まれ変わりのしるしをもつ桜姫を激しく恋し、流浪のすえに岩淵(いわぶち)の庵室(あんしつ)で姫と再会すると無理心中を迫り、誤って殺される。姫は権助に売られて小塚原(こづかっぱら)の遊廓(ゆうかく)で風鈴(ふうりん)お姫とよばれる女郎になるが、清玄の亡霊に悩まされるうち、権助こそ親と弟の敵(かたき)信夫(しのぶ)の惣太(そうた)と知って、これを討つ。
風鈴お姫に、みやびなことばと女郎の卑しいことばをまぜこぜに使わせるなど、作者独特の才気を中心に、桜姫、清玄、権助の絡み合いで、愛欲の姿を鮮やかに描いた作。初演以後絶えていたのを、昭和になって復活、近年は5世坂東(ばんどう)玉三郎が得意とし、また前衛劇などでも取り上げている。
[松井俊諭]
『『鶴屋南北全集6』(1971・三一書房)』
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出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
…古くは土佐浄瑠璃の《一心二河白道(いつしんにがびやくどう)》があり,同じ外題で1698年(元禄11)に初演された近松門左衛門作の歌舞伎では,外題の示すとおり,女色男色の二道に狂う清玄が描かれた。この系統の鶴屋南北作《桜姫東文章》は,江の島の児ヶ淵伝説に基づいて,桜姫を清玄の念友であった稚児白菊の生れ変りとする因果譚の構成をとる。また〈双面(ふたおもて)〉の趣向を取り込んだものに,1757年壕越二三治作の《日本塘鶏音曾我(にほんづつみとりのねそが)》がある。…
…幕府当局からの狂言差止めは1812年(文化9)1月市村座《色一座梅椿(いろいちざうめとしらたま)》でも惹起し,その年中不当りが続いたが,翌13年3月森田座での《お染久松色読販(うきなのよみうり)》(半四郎のお染の七役)は大当りを占めた。 後期の代表作には,半四郎の〈女清玄〉の《隅田川花御所染(すみだがわはなのごしよぞめ)》(1814年3月市村座),お六・八ッ橋(二役,半四郎)と願哲(幸四郎)の《杜若艶色紫(かきつばたいろもえどぞめ)》(1815年5月河原崎座),公卿の息女が宿場女郎に転落した巷説を舞台化した《桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしよう)》(1817年3月河原崎座),俳優の日常生活を舞台化した〈世話の暫〉の《四天王産湯玉川(してんのううぶゆのたまがわ)》(1818年11月玉川座),菊五郎,幸四郎の亀山の仇討《霊験亀山鉾(れいげんかめやまぼこ)》(1822年8月河原崎座),菊五郎,半四郎,団十郎の不破名古屋と権八小紫の《浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなずま)》(1823年3月市村座),清元《累(かさね)》を含む《法懸松成田利剣(けさかけまつなりたのりけん)》(1823年6月森田座),その最高傑作である《東海道四谷怪談》(1825年7月中村座),深川五人斬事件を劇化した《盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)》(1825年9月中村座),また番付にみずから一世一代と銘うった最後の作《金幣猿嶋郡(きんのざいさるしまだいり)》(1829年11月中村座)などがある。その年11月27日没し,葬礼に際しては《寂光門松後万歳(しでのかどまつごまんざい)》と題する正本仕立ての摺物を配らせ,自分の手で死を茶化した。…
※「桜姫東文章」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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