デジタル大辞泉 「坊中」の意味・読み・例文・類語 ぼう‐ちゅう〔バウ‐〕【坊中】 《「ぼうぢゅう」とも》1 町の中。まちなか。「―に経行して」〈盛衰記・二八〉2 僧坊の中。寺の中。「ここの―かしこの在家に引き入り」〈太平記・三六〉 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「坊中」の意味・読み・例文・類語 ぼう‐ちゅうバウ‥【坊中】 〘 名詞 〙 ( 「ぼうぢゅう」とも )① まちなか。町の中。[初出の実例]「坊中(バウヂウ)に経行して、暁に望んで行方を知らず」(出典:源平盛衰記(14C前)二八)② 寺のなか。寺院の中。また、寺のなかの人々。寺中。[初出の実例]「名吉と云魚を八喉かひて、坊中へとりいれんとするに」(出典:九冊本宝物集(1179頃)九) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本歴史地名大系 「坊中」の解説 坊中ぼうちゆう 佐賀県:東松浦郡相知町牟田部村坊中[現在地名]相知町大字牟田部字坊中岸(きし)岳の東山麓と霧差(きりさし)山の間に坊中川(松浦川の小支流)が流れる。この川の左岸を牟田部(むたべ)坊中と称する。ここは岸岳城が築城される以前の修験者の道場の置かれた場所で、中世には多くの坊が建ち、宮地(みやじ)の地名も残る。だが岸岳城の中心が徳須恵(とくすえ)(現北波多村)や佐里(さり)に移るとともに、さびれた村となった。寒冷地のため、藩政期に氷室が設けられた。天保四年(一八三三)、この地区から石炭層が発見されて以来、炭鉱の町として、昭和の初めまで賑いを示し、明治一八年(一八八五)には月産一二〇万斤の出炭をみた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「坊中」の意味・わかりやすい解説 坊中ぼうちゅう 熊本県北東部,阿蘇山の火口原北部,阿蘇谷にある阿蘇市の地区。阿蘇登山の玄関口で,JR豊肥本線阿蘇駅 (旧坊中駅) がある。地名はかつて阿蘇山頂にあった西巌殿寺 (1871登山口付近に移転) の坊舎 36坊にちなむ。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
日本大百科全書(ニッポニカ) 「坊中」の意味・わかりやすい解説 坊中ぼうちゅう 熊本県阿蘇市(あそし)黒川(くろかわ)のうち、豊肥(ほうひ)本線阿蘇駅から阿蘇山往生(おうじょう)岳北山裾(やますそ)にある西厳殿寺(さいがんでんじ)に至る一帯の呼称。天正(てんしょう)の兵乱で僧坊が廃墟(はいきょ)と化したのを、加藤清正が現在の地に再興したのが呼称の由来。山上の古坊中に対し、麓坊中(ふもとぼうちゅう)ともよぶ。現在、阿蘇登山道路が通じる。[山口守人] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例