堀河百首(読み)ホリカワヒャクシュ

デジタル大辞泉 「堀河百首」の意味・読み・例文・類語

ほりかわひゃくしゅ〔ほりかはヒヤクシユ〕【堀河百首】

平安後期の歌集。長治2年(1105)ごろ成立か。堀河天皇の時、藤原公実きんざね源俊頼・源国信らを中心に、当時の代表的歌人大江匡房まさふさ藤原基俊ら16人が詠んだ百題による百首歌集成後代の組題百首の規範とされ、重んじられた。堀河院御時おんとき百首和歌。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「堀河百首」の意味・わかりやすい解説

堀河百首
ほりかわひゃくしゅ

平安後期、堀河天皇のとき、源俊頼(としより)、源国信(くにざね)らが中心に、当時の有力歌人に詠進させた百題による百首歌(組題百首)の集成。1105年(長治2)から1106年の間に成立か。当初、藤原公実(きんざね)、大江匡房(まさふさ)、源国信、源師頼(もろより)、藤原顕季(あきすえ)、藤原仲実(なかざね)、源俊頼、源師時(もろとき)、藤原顕仲(あきなか)、藤原基俊(もととし)、隆源(りゅうげん)、肥後紀伊河内(かわち)の14人、のちに源顕仲永縁(えいえん)が加わり、題ごとに部類した。『堀河院御時百首和歌』『堀河院太郎百首』『堀河院初度百首』などの名称もある。和歌史上最初の大規模な組題百首の試みとして後代に規範とされ、題詠習作の際に取り組む形式として尊重された。内容面でも、新しい歌題には堀河朝歌壇の新風が多様に反映して、時代色の断面をうかがわせている。

[近藤潤一]

『橋本不美男・滝沢貞夫著『校本堀河院御時百首和歌とその研究 本文研究篇』(1976・笠間書院)』『橋本不美男・滝沢貞夫著『校本堀河院御時百首和歌とその研究 古注索引篇』(1977・笠間書院)』


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百科事典マイペディア 「堀河百首」の意味・わかりやすい解説

堀河百首【ほりかわひゃくしゅ】

平安末期,1105年―1106年頃に成立した組題百首和歌。源俊頼の企画,藤原公実の勧進により,堀河天皇に奉ったか。歌題の構成は,春20,夏15,秋20,冬15,恋10,雑20題,計100題で,14名(15名,16名の伝本もある)の歌人が各題1首の100首を詠進。組題百首として和歌史上初のもので,後代への影響も極めて大きく,この歌題が中世以降,題詠の範として定着していった。また,堀河百首の清新な歌風は中世和歌への先駆とも見なされる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「堀河百首」の意味・わかりやすい解説

堀河百首
ほりかわひゃくしゅ

平安時代後期の百首歌。『堀河院百首』『堀河院御時百首和歌』『堀河院初度百首』『堀河院太郎百首』ともいう。康和4 (1102) ~5年頃詠んだものを,長治1 (04) 年頃堀河天皇に献詠したものか。源俊頼藤原基俊ら当時の歌人 14名の百首歌を収める。ほかに,永縁,源顕仲のうち1名を加えた 15名のもの,両者を加えた 16名のものがある。春 (立春~三月尽) 20首,夏 (更衣荒和祓) 15首,秋 (立秋~九月尽) 20首,冬 (初冬~除夜) 15首,恋 10首,雑 20首の 100題 100首を各人が詠んでいる。「組題百首」の初めで,のちの百首歌の題の典拠となり,後世への影響が大きい。

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