太平山(読み)オオヒラサン

デジタル大辞泉 「太平山」の意味・読み・例文・類語

おおひら‐さん〔おほひら‐〕【太平山】

栃木県栃木市中部にある山。標高343メートル。太平山神社があり、関東平野の眺望がよい。桜の名所。

たいへい‐ざん【太平山】

秋田県中西部の山。標高1170メートル。山頂に太平山三吉みよし神社の奥宮がある。

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日本歴史地名大系 「太平山」の解説

太平山
たいへいざん

琉球王国時代の宮古みやーくの別称。狭義には宮古島を称したと考えられるが、古くは宮古・八重山の総称であった。名称については、「パーカー航海日記」には、太平山は大きな平らかな山という意の中国語で、内部はまったく平坦であると記す。あるいは琉球王府側からの名称ともされる。太平山のほか(「歴代宝案」第二集目録上など)大平山(大島筆記)・太平島・太平山島などとも記される。「中山伝信録」によれば、太平山は麻姑山まーくさんともいうが、はじめ宮古でのち迷姑めーくとし、さらに麻姑に改めたという。同書では南七島として伊奇麻いきやま(池間島、現平良市)伊良保いらう(伊良部島)などとともに太平山(麻姑山)とあり、これは明らかに宮古島をさしている。一八四三年八重山に来航したイギリス船サマラン号の一行は、タイピンサン群島がタイピンサン(宮古島)クリーマー(来間島、現下地町)・イキマー(池間島)・ウーガミー(大神島、現平良市)からなるとみていたが、「サマラン号航海記」では一方で先島を「Meia-Co-Shimahs」とし、宮古島を「Tai-pin-san」、八重山を「Pa-tshung-san」とよぶとしている。

太平山
たいへいさん

秋田市の東にそびえ、標高一一七〇・六メートル。火山に似た秀麗な山であるが、花崗岩類よりなる基盤山塊が、火山噴出物である第三紀緑色凝灰岩に広く覆われたのち隆起した山地で、その後第三紀層が蝕去され、直接露出した基盤岩が壮年期の浸食をうけた結果、峻険な嶺線を形成し、つるぎ(一〇四四メートル)・太平山・ささ(一〇四五メートル)馬場目ばばめ(一〇三七メートル)などが屈曲しながら南北に連なる。

古くは太平を「おいだら」とよんだという。天明八年(一七八八)から寛政二年(一七九〇)まで久保田くぼた城下町に滞在した江戸の商人津村淙庵(正恭)は「雪のふる道」のなかで太平山を「おほだひらの高根」と記し、菅江真澄も山の名を「太平おほたひらといふ村の名より言ひうつれり」(久保田の落穂)としているので、「おいだら」は「おほたひら」の呼名をなまり伝えたものか。

太平山
おおひらさん

下都賀しもつが大平おおひら町境にある標高三四〇・二メートルの山で、東の平井ひらい区域に太平山神社が鎮座する。当山西方の晃石てるいし(四一九・一メートル)馬不入うまいらず(三四五・二メートル)のほか岩船いわふね山・三毳みかも山などを含めた東西に走る連山を古くは都賀山と総称した。旧暦七月末日の夜に登山し、おこもりをして八月一日を迎える八朔の奇習は、古代の歌垣の名残であろうという。太平山の雪は栃木八景の一。当山には天長年中(八二四―八三四)円仁によって開かれたと伝える太平権現(現太平山神社)・連祥院般若はんにや(現連祥院)大山だいせん寺・円通えんつう寺などの寺社があった。円通寺は永禄年中(一五五八―七〇)皆川氏によって川連かわつれ(現下都賀郡大平町)に移され、天正六年(一五七八)には皆川広照により栃木町に移転したという。

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改訂新版 世界大百科事典 「太平山」の意味・わかりやすい解説

太平山 (たいへいざん)

秋田県中部,秋田市東部北端の山。古くは〈おいだらやま〉ともいった。標高1171m。太平山地を代表する山で,前岳,中岳,奥岳などからなる。山体は新第三系の花コウ岩類と,これを覆うグリーンタフが主体で,地貌は険しく,美しい。山頂付近は灌木・草本帯で,標高900m以下はブナ林が卓越し,北側ではおもに秋田杉,南側ではミズナラが加わる。古来,山岳信仰の対象となり,山頂に太平山三吉(さんきち)神社がある。信仰圏は県内一円から北海道方面に及び,秋田市赤沼の里宮は1月17日の梵天祭でにぎわう。近世には秋田藩の重要な木材・薪炭の供給地で,藩は山守を置き,植林にも力を注いだ。西麓に仁別(にべつ)国民の森,太平山スキー場,仁別レジャーランド(1989年閉鎖)などがあり,現在は太平山リゾート公園となっている。
執筆者:

《秋田郡村々神社調》には,山頂に薬師堂がまつられ修験の宝泉院が別当の任に当たっていたとあり,伝説では秋田郡太平元正寺の薬師が山頂に飛来したと伝える。現在山頂にまつられている太平山三吉神社は,その名が示すように,太平山の山神と三吉霊神とが合わせまつられたものである。三吉は山鬼の変化したもので,修行によって神通力を得た山人をまつったものともいい,あるいは〈みよし〉とも読むのは大和吉野山を模倣した三吉野の意であるともいわれている。いずれにしても,江戸時代後期から明治期にかけて流行神的様相を呈して信仰が広まっており,秋田市,大仙市,仙北市,仙北郡などを中心に多数勧請(かんじよう)されている。しかしその範囲からして,本来は山麓部の氏神的性格をもった神であったといえる。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「太平山」の意味・わかりやすい解説

太平山
たいへいざん

秋田県の中央,出羽山地中部の太平山地の主峰。秋田市上小阿仁村の境にそびえる。標高 1170m。古くは「おいだら山」と呼ばれた。壮年期の山で,河谷の浸食が著しい。河川は花崗岩の山地を流れるため清流で,里に近い仁別峡,三内峡,岨谷峡などは景勝地として有名。標高 800mまでは秋田杉,それ以上はブナの森林となる。太平山を中心とする一帯は太平山県立自然公園に指定されている。

太平山
おおひらさん

栃木県南部,足尾山地南東端の山。標高 343m。古生代チャートなどから成る。山頂に太平山神社があり,一帯はサクラ,ツツジの名所。太平山県立自然公園の中心地。

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[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクション 「太平山」の解説

たいへいざん【太平山】

秋田の日本酒。酒名は、秋田市の霊峰太平山に由来。「天巧」は蔵元独自の生もと造りで醸す純米大吟醸酒。ほかに純米酒本醸造酒、普通酒などがある。全国新酒鑑評会で受賞実績多数。原料米は山田錦美山錦など。仕込み水は白洲野台地の地下水。蔵元の「小玉醸造」は明治12年(1879)みそ、しょうゆの醸造で創業。大正2年(1913)酒造開始。所在地は潟上市飯田川飯塚字飯塚。

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事典 日本の地域遺産 「太平山」の解説

太平山

(栃木県栃木市)
日本夜景遺産」指定の地域遺産。
太平山神社や展望台から県下随一といわれる栃木市を中心とした夜景を望める

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報

デジタル大辞泉プラス 「太平山」の解説

太平山(たいへいざん)

秋田県、小玉醸造株式会社の製造する日本酒。純米大吟醸酒「天巧」、純米吟醸酒「津月」などがある。全国新酒鑑評会で金賞の受賞歴がある。

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世界大百科事典(旧版)内の太平山の言及

【大平[町]】より

…国道50号線沿いにある大平工業団地には,いすゞ自動車栃木工場が72年から操業を始め,関連工場も進出している。町の北西にそびえる太平山は県立自然公園に指定され,南斜面にはブドウ園が多い。中腹にある大中寺は曹洞宗の名刹(めいさつ)で,上田秋成の《雨月物語》でも知られる。…

【太平山地】より

…北は米代川,南は雄物川によって限られ,西は秋田平野に向かって徐々に低くなる。山地中央部には最高峰の白子森(1179m)をはじめ,太平山(1171m),大仏岳(1167m),馬場目岳(1037m)と,おおむね標高1100m前後の峰が連なり,広大な山地を形成している。定高性を示す山稜の各所に浸食平たん面を残す一方,米代川と雄物川の支流の小河川による浸食作用が活発で,深い峡谷が刻まれて早壮年期山地の特徴を示す。…

※「太平山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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