大原富枝(読み)オオハラトミエ

デジタル大辞泉 「大原富枝」の意味・読み・例文・類語

おおはら‐とみえ〔おほはら‐〕【大原富枝】

[1912~2000]小説家高知の生まれ。結核による闘病生活のなか作品を発表し、「ストマイつんぼ」で女流文学賞受賞。「婉という女」で毎日出版文化賞・野間文芸賞受賞。他に「イェルザレムの夜」「地上を旅する者」など。平成10年(1998)芸術院恩賜賞受賞。芸術院会員

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大原富枝」の意味・わかりやすい解説

大原富枝
おおはらとみえ
(1912―2000)

小説家。高知県生まれ。高知女子師範学校中退。1941年(昭和16)上京して『文芸首都』の同人となり、『若い渓間』(1943)が『改造』の懸賞小説に当選したが、戦争と病気で文壇進出を阻まれた。結核による長い闘病の体験は『ストマイつんぼ』(1956)に結実した。また社会から隔離されて生きる者の苦しみは、40年の幽獄生活を耐えた野中婉(えん)の生涯への共感となり、『婉という女』(1960。毎日出版文化賞・野間文芸賞)を生んだ。『正妻』(1961)、『於雪(おゆき)――土佐一条家の崩壊』(1970)などは、同郷の土佐の女をモデルにした作品。1976年にはカトリック洗礼を受け、聖地巡礼の旅をもとに紀行小説『イェルザレムの夜』(1980)を、イエス方舟(はこぶね)事件を題材に『アブラハム幕舎(ばくしゃ)』(1981)を書き、宗教的思索を深めた。初期作品以来のモチーフである、負の人生を生きた女の生涯へのこだわりは一貫しており、ハンセン病と闘いながら凄絶な歌を残した歌人を『忍びてゆかな――小説津田治子』(1982)に、純粋であるがゆえに苛酷(かこく)な運命を強いられる明治生まれの庶民の女を『地上を旅する者』(1983)に重厚な筆致で描いた。若いころから好きな短歌の分野では、アララギ派の女性歌人2人を伝記小説『今日ある命――小説・歌人三ヶ島葭子(みかじまよしこ)の生涯』(1994)と『原阿佐緒(あさお)』(1996)にまとめ、『詩歌(うた)と出会う時』(1997)で近代歌人と俳人24人を論じた。ほかに自伝小説『眠る女』(1974)、『地籟(ちらい)』(1984)、『ハガルの荒野』(1986)、『彼もまた神の愛(め)でし子か――洲之内(すのうち)徹の生涯』(1989)、『草を褥(しとね)に――小説牧野富太郎』(2001)などがある。1991年(平成3)高知県本山町に大原富枝文学館開館。1998年日本芸術院賞恩賜賞受賞。芸術院会員。

[江刺昭子]

『『彼もまた神の愛でし子か――洲之内徹の生涯』(1989・講談社)』『『今日ある命――小説・歌人三ケ島葭子の生涯』(1994・講談社)』『『原阿佐緒』(1996・講談社)』『『詩歌(うた)と出会う時』(1997・角川書店)』『『草を褥に――小説牧野富太郎』(2001・小学館)』『『大原富枝全集』全8巻(1995~96・小沢書店)』『『婉という女・正妻』(講談社文庫)』

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20世紀日本人名事典 「大原富枝」の解説

大原 富枝
オオハラ トミエ

昭和・平成期の小説家



生年
大正1(1912)年9月28日

没年
平成12(2000)年1月27日

出生地
高知県長岡郡吉野村(現・本山町)

学歴〔年〕
高知女子師範中退

主な受賞名〔年〕
女流文学者賞(第8回)〔昭和32年〕「ストマイつんぼ」,毎日出版文化賞(第14回)〔昭和35年〕「婉という女」,野間文芸賞(第13回)〔昭和35年〕「婉という女」,女流文学賞(第9回)〔昭和44年〕「於雪―土佐一条家の崩壊」,勲三等瑞宝章〔平成2年〕,日本芸術院賞恩賜賞(文芸部門 第54回 平9年度)〔平成10年〕

経歴
9歳で母と死別。在学中にかっ血し、10年近く結核の療養生活を送る。23歳から小説を書き始め、昭和10年「氷雨」で文壇にデビュー。12年「祝出征」で芥川賞候補に。16年生家の没落を機に29歳で上京、「文芸首都」同人として文学修業をする。戦後も病いを抱えた身で生計のために働きつつ小説を書き続け、32年「ストマイつんぼ」で第8回女流文学者賞を受賞。以後「婉という女」「於雪―土佐一条家の崩壊」などの話題作を発表。51年64歳でカトリックの洗礼を受け、イエスの方舟事件を題材にした「アブラハムの幕舎」を発表。ほかに「地上を旅する者」「地籟」「詩歌と出会う時」などの作品や、「大原富枝全集」(全8巻 小沢書店)がある。蔵書や記念品を出身地の本山町に寄贈、平成3年大原富枝文学館としてオープン。また大原富枝文学賞を設けた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大原富枝」の意味・わかりやすい解説

大原富枝
おおはらとみえ

[生]1912.9.28. 高知,吉野
[没]2000.1.27. 東京,中野
作家。高知女子師範学校在学中に結核に罹患して中退し,10年近い療養生活のなかで小説を書き始めた。1938年に『祝出征』が芥川賞候補になり,1941年に上京。『ストマイつんぼ』(1956)で女流文学者賞を受賞。『婉(えん)という女』(1960,毎日出版文化賞,野間文芸賞)で,土佐藩家老野中兼山の失脚後,幼時から 40年間の幽閉生活を強いられた娘婉の生涯をたどりながら絶対的な孤独を描き,悟りの境地に達した婉を通して自己の世界を確立した。1976年にカトリックの洗礼を受け,『アブラハムの幕舎』(1981),『地上を旅する者』(1983)などが生まれた。ほかに,『於雪―土佐一条家の崩壊』(1970,女流文学賞)など。1990年勲三等瑞宝章,1998年恩賜賞・日本芸術院賞を受け,同年日本芸術院会員。1991年高知県本山町に大原富枝文学館が開館。

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百科事典マイペディア 「大原富枝」の意味・わかりやすい解説

大原富枝【おおはらとみえ】

小説家。高知県生れ。高知女子師範中退。結核との長い闘病生活の間に作品を発表していたが,戦後結核が再発し,1957年,その経験をもとに書いた《ストマイつんぼ》で女流文学者賞を受賞,文壇での地位を確立した。1960年,1944年以来資料を集めていた,野中兼山の娘,婉(えん)の生涯を描いた《婉という女》で毎日出版文化賞と野間文芸賞を受賞。他に《於雪》《正妻》《地上を旅する者》など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大原富枝」の解説

大原富枝 おおはら-とみえ

1912-2000 昭和-平成時代の小説家。
大正元年9月28日生まれ。ながく結核とたたかいながら創作をつづけ,昭和13年「祝出征」が注目される。32年「ストマイつんぼ」で女流文学者賞,35年野中兼山の娘をえがいた「婉という女」で毎日出版文化賞,野間文芸賞。51年カトリックに入信。平成10年芸術院恩賜賞。平成12年1月27日死去。87歳。高知県出身。高知女子師範中退。

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367日誕生日大事典 「大原富枝」の解説

大原 富枝 (おおはら とみえ)

生年月日:1912年9月28日
昭和時代;平成時代の小説家
2000年没

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