民友社(読み)ミンユウシャ

デジタル大辞泉 「民友社」の意味・読み・例文・類語

みんゆう‐しゃ〔ミンイウ‐〕【民友社】

明治20年(1887)徳富蘇峰とくとみそほうが創立した出版社雑誌国民之友」を発刊、同23年「国民新聞」を創刊。初め平民主義主張、のち国家主義的傾向に転じた。徳冨蘆花竹越与三郎山路愛山国木田独歩らが参画

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精選版 日本国語大辞典 「民友社」の意味・読み・例文・類語

みんゆう‐しゃミンイウ‥【民友社】

  1. 明治二〇年(一八八七)に徳富蘇峰が創立した出版社。雑誌「国民之友」を発行。同二三年には「国民新聞」を発刊。初め、国粋主義欧化主義に反対して平民主義を主張し、当時の進歩的思想家の論説や欧米の社会問題などを掲載したが、日清戦争後、論調を転換した。社員には弟の徳富蘆花をはじめ山路愛山・竹越与三郎(三叉)・内田魯庵・国木田独歩らがおり、昭和八年(一九三三)まで続いた。

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百科事典マイペディア 「民友社」の意味・わかりやすい解説

民友社【みんゆうしゃ】

1887年徳富蘇峰が創立した思想結社および出版社。《国民之友》《国民新聞》などを発行。社員に湯浅治郎山路愛山竹越与三郎国木田独歩徳冨蘆花ら。自由・民主・平和を基調とする平民主義を掲げ,青年知識層の支持を得て明治中期の言論思想界に大きな影響を与えた。しかし,日清戦争の前後から徳富蘇峰が国家の対外的膨張を強調する国権主義へと転じ,政治的立場も在野から政府寄となったため支持を失い《国民之友》は1898年廃刊,《国民新聞》は桂太郎との提携を強め,〈御用新聞〉と評された。このため新聞社は日露講和と大正政変の2度にわたって民衆の焼打にあった。→日比谷焼打事件
→関連項目社会小説宮崎湖処子

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「民友社」の意味・わかりやすい解説

民友社
みんゆうしゃ

1887年(明治20)徳富蘇峰(とくとみそほう)が湯浅治郎の協力を得て創業した出版社。アメリカの総合雑誌『The Nation』を模した『国民之友』(1887~98)は、平民主義を標榜(ひょうぼう)し進歩的な評論誌として評判で、続く『国民新聞』『家庭雑誌』『The Far East』も好評であったが、日清(にっしん)戦争後、蘇峰が桂(かつら)太郎内閣の藩閥政治を支援し、出版物に国家主義的論調が多くなるにつれて、大衆の支持を失うに至った。蘇峰のもとに集まった同人には、竹越三叉(たけごしさんさ)、塚越停春(つかごしていしゅん)、森田思軒(しけん)、宮崎湖処子(こしょし)、山路愛山(やまじあいざん)、徳冨蘆花(とくとみろか)らがおり、遅れて国木田独歩(くにきだどっぽ)が加わった。図書出版では、蘆花のベストセラー『不如帰(ほととぎす)』『自然と人生』、伝記書『十二文豪』、海外思想を紹介した「平民叢書(そうしょ)」、蘇峰の『近世日本国民史』など、同人の著書を中心に、政治、思想、文学にわたり刊行し、明治・大正期の文芸界に大きい影響を与えた。1933年(昭和8)民友社は明治書院に吸収合併され終焉(しゅうえん)する。

[大久保久雄]

『並木仙太郎編『民友社三十年史』(1917・民友社)』『杉井六郎・今中寛司・同志社大学人文科学研究所編『民友社の研究』(1977・雄山閣出版)』『平林一・山田博光編『民友社文学の研究』(1985・三一書房)』

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改訂新版 世界大百科事典 「民友社」の意味・わかりやすい解説

民友社 (みんゆうしゃ)

1887年1月,徳富蘇峰が熊本の大江義塾の関係者を中心に東京赤坂に設立した思想結社および出版社。同年2月総合雑誌《国民之友》(社名は本誌に由来する)を創刊,同誌は藩閥政治と貴族的な欧化政策に反対して平民主義を掲げ,徳富らがその担い手と期待する〈田舎紳士〉をはじめとする青年知識層の支持を得て,明治中期の言論思想界に多大の影響を与えた。このほかの定期刊行物としては社名を変えてはいるが,90年《国民新聞》(国民新聞社),92年《家庭雑誌》(家庭雑誌社),96年には英文版《国民之友》として《The Far East》を創刊した。また,《国民叢書》《平民叢書》などをはじめとする書籍を出版し,社会主義・社会問題論を中心とする海外の新思想の紹介につとめた。しかし,日清戦争後,徳富の政府接近が変節視され,民友社は2度も民衆の焼打ちにあい,《国民之友》は凋落,98年8月《国民新聞》と合併するという名目で廃刊となる。以後,民友社は系列の国民新聞社の出版部的存在となり,1933年にその出版販売が明治書院に委託されるにいたって事実上出版活動を終えた。おもな社員には湯浅治郎,人見一太郎,山路愛山,竹越与三郎,国木田独歩らがいたが,活発な寄稿家としては植木枝盛,横山源之助,中江兆民らがあげられる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「民友社」の意味・わかりやすい解説

民友社
みんゆうしゃ

徳富蘇峰が平民主義を標榜する雑誌『国民之友』を発行するためにつくった出版社。 1887年創立。『国民之友』『国民新聞』その他を発行して自由民権運動敗退後の進歩的平民主義思想の発展に寄与した。しかし日清戦争 (1894~95) を契機に政府当局との妥協がみられるようになるとともに影響力を失い,『国民新聞』だけの発行にとどまることになった。以後,次第に国家主義的な傾向をたどったが,そのため世論の攻撃を受けるようになり,1913年には政界と縁を切り,29年には『国民新聞』を手放して民友社の使命は終った。蘇峰の弟蘆花,宮崎湖処子,人見一太郎,竹越三叉,内田魯庵,山路愛山,国木田独歩らが参画した。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「民友社」の解説

民友社
みんゆうしゃ

1887年(明治20)1月に徳富蘇峰を中心に結成された思想結社・出版社。同年2月,雑誌「国民之友」を創刊して平民主義を唱えた。図書出版事業にも乗り出し,また「国民新聞」の国民新聞社,「家庭雑誌」の家庭雑誌社とともに新聞社・出版社グループを形成した。98年,蘇峰の帝国主義への転向で「国民之友」「家庭雑誌」の廃刊を余儀なくされ,民友社は図書出版と印刷に事業を縮小し,1945年(昭和20)の敗戦により事実上消滅。

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旺文社日本史事典 三訂版 「民友社」の解説

民友社
みんゆうしゃ

1887(明治20)年,徳富蘇峰が創立した思想結社・出版社(〜1929)
1887年に雑誌『国民之友』,'90年『国民新聞』を発行。平民主義を唱えて明治20年代の思想界・文学界に大きな影響を与えた。社員に山路愛山・徳冨蘆花 (ろか) らがいた。

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世界大百科事典(旧版)内の民友社の言及

【国民之友】より

徳富蘇峰によって設立された民友社から,蘇峰みずから主筆となって1887年(明治20)に発刊された総合雑誌。誌名はアメリカの《ネーション》誌からとられた。…

【ジャーナリズム】より

…こののち,明治20年代の大日本帝国憲法体制の創成期にこれらの政治党派とは距離をおいた言論人独自の文筆活動がさかんとなった。この時期の思想界の花形だった徳富蘇峰は民友社をひきいて雑誌《国民之友》と《国民新聞》などにより思想の近代化を唱え,彼のいう〈平民主義〉に多くの青年たちを共鳴させた。また二葉亭四迷や徳冨蘆花などによる文学の革新をも実現させた。…

※「民友社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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