日本歴史地名大系 「大熊村」の解説
大熊村
でつくまむら
万暦一五年(一五八七)一〇月四日の琉球辞令書(大熊ノロ文書)に「なせまきりのたいくまのろ」とみえ、当地のノロ職に「もとののろのめい」、つまり元のノロの姪である「まくも」が任じられている。「まくも」が「まくもい」であれば、「ま」も「くもい」も敬称である。当地の松岡家は大屋子を歴任した家で喜志統と称される。嬉姓喜志統親方系譜(奄美大島諸家系譜集)によれば、嘉靖年間(一五二二―六七)の初め喜志統は
大熊村
おおくまむら
大熊村
おおぐまむら
大熊村
おおぐまむら
大熊村
おおくまむら
- 長野県:中野市
- 大熊村
北東南は山地に囲まれ、西方は
初出は嘉暦四年(一三二九)三月の諏訪社上社の頭役結番に関する記録(「鎌倉幕府下知状案」守矢文書)で、八番五月会分として「
また同年に大熊が玉垣一間半所役の記事がみえる(「大宮御造栄之目録」諏訪大社上社文書)。寛正二年(一四六一)四月、地頭大熊出羽守高家が同社花会明年の頭役にあてられてより以後、花会・五月会・御射山の頭役を勤めているが、寛正六年以後は、高梨氏が地頭になっている。天正七年(一五七九)二月八日、武田勝頼は弥彦社祝等をして大熊郷などに筑摩郡
大熊村
おおぐまむら
大熊村
おおくまむら
大熊村
おおくまむら
- 富山県:魚津市
- 大熊村
大熊村
おおくまむら
大熊村
おおくまむら
大熊村
おおくまむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報