日本歴史地名大系 「大神山神社」の解説
大神山神社
おおがみやまじんじや
当社の里宮・奥宮は本来独立した別の神社であったと考えられ、明治初年神仏分離の際、廃絶となった大智明権現を奥宮、尾高の二宮大明神を里宮とする大神山神社が新たに成立した。一方、大山中腹の奥宮とは別に、古くから山麓の現
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
当社の里宮・奥宮は本来独立した別の神社であったと考えられ、明治初年神仏分離の際、廃絶となった大智明権現を奥宮、尾高の二宮大明神を里宮とする大神山神社が新たに成立した。一方、大山中腹の奥宮とは別に、古くから山麓の現
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鳥取県米子(よなご)市尾高に鎮座。主神は大己貴神(おおなむちのかみ)(大国主命(おおくにぬしのみこと))、相殿に少彦名神(すくなひこなのかみ)、須佐之男神(すさのおのかみ)、大山津見神(おおやまつみのかみ)を祀(まつ)る。社伝によると、当初は大山(だいせん)(大神山)の中腹に鎮座していたが、延久(えんきゅう)・承保(じょうほう)(1069~77)のころ大山寺の僧徒が両部神道(りょうぶしんとう)を唱えて山麓(さんろく)に移し、その後1680年(延宝8)現在地に遷座したと伝える。837年(承和4)従(じゅ)五位下を授けられ、867年(貞観9)には正五位上になっている。『延喜式(えんぎしき)』神名帳には小社として名をみせ、「おおみわのやま」と読まれていたという。後醍醐(ごだいご)天皇が船上山(せんじょうさん)に遷幸された際には、朝敵退散の祈願を込められたといわれている。また修験(しゅげん)道場としても栄えたが、明治の神仏分離により大山中腹に奥宮(西伯(せいはく)郡大山(だいせん)町)が置かれた。1871年(明治4)国幣小社に列した。例祭は、春季が4月29日、秋季は10月9日。
[落合偉洲]
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…最も多いのはシジュウカラ,ヒカラなどで,ついでアオゲラ,セキレイの類が多い。 大山は古来山岳信仰の対象とされ,中腹に大神山(おおかみやま)神社と天台宗大山寺がある。江戸期,大山寺は幕府より3000石を与えられ,14坊42塔頭(たつちゆう)があった。…
※「大神山神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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