大間崎(読み)オオマザキ

デジタル大辞泉 「大間崎」の意味・読み・例文・類語

おおま‐ざき〔おほま‐〕【大間崎】

青森県下北半島北西端の岬。本州北端津軽海峡をはさんで北海道汐首岬に対する。

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日本歴史地名大系 「大間崎」の解説

大間崎
おおまざき

下北半島の最北端に位置し、津軽海峡に突きだす。北の海上約五〇〇メートルに弁天べんてん島があり、崎との間をクキド瀬戸と称する。津軽海峡を隔てて西に函館はこだて(現北海道函館市)を望む。正保四年(一六四七)の南部領内総絵図に「大間崎 此所ヨリ松前地迄四里」とあり、船遠見番所がみえる。嘉永三年(一八五〇)の「東奥沿海日誌」に鳥居とりい岬とあり、藩政期末の「北奥路程記」にも鳥居崎とある。沖合には岩礁が多く、元文二年(一七三七)米二千俵余を積んだ船が遭難した(「破船書改」伊藤家蔵)。安永七年(一七七八)には尾花沢おばなざわ(現山形県尾花沢市)の城米を積んだ周防の船が沈没している(原始謾筆風土年表)

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改訂新版 世界大百科事典 「大間崎」の意味・わかりやすい解説

大間崎 (おおまざき)

青森県の北端,下北半島の北西端をなす岬。北緯41°31′で本州の最北端に当たり,津軽海峡を隔てて函館と相対する。江戸時代には本州から北海道に渡るには津軽半島三厩(みんまや)港か,または大間港が利用された。1964年,函館港との間にフェリーボートが就航し,北海道との距離を短縮した。岬の先端から600m,クキド瀬戸を隔てて弁天島があり,周囲約2kmの海岸は海食地形を示している。島の中央大間埼灯台がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大間崎」の意味・わかりやすい解説

大間崎
おおまざき

青森県北部,下北半島北西端の岬。北緯 41°32′47″に位置し,本州最北端。大間町に属する。背後標高約 10mの海岸段丘。狭いクキド瀬戸を隔てて,北方弁天島があり,島の中央の小高い丘に大間崎灯台がある。かつてはコンブ漁が盛んであった。1964年,大間―函館間にフェリーの運行が開始され,観光客が増えている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大間崎」の意味・わかりやすい解説

大間崎
おおまざき

青森県北東部、下北半島の北端にある岬。本州最北端。津軽海峡を隔てて北海道の函館(はこだて)と相対している。江戸時代は、本州から北海道に渡るには、津軽半島の三厩港(みんまやこう)か、大間崎の大間港から船に乗った。1964年(昭和39)函館港との間にフェリーボートが就航し、北海道との距離を短縮した。大間崎から800メートル沖合いの弁天島には大間埼灯台が置かれる。

[横山 弘]


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百科事典マイペディア 「大間崎」の意味・わかりやすい解説

大間崎【おおまざき】

青森県下北半島の北西端にある本州最北端の岬。北緯41°33′。津軽海峡を隔て北海道の汐首岬との間は約18km,沖約600mの弁天島に灯台がある。
→関連項目大間[町]

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世界大百科事典(旧版)内の大間崎の言及

【大間[町]】より

…人口6606(1995)。下北半島北西端に位置し,本州最北端にあたる大間崎は,津軽海峡を隔てて北海道汐首岬と対する。海岸段丘が発達し,段丘上には近世に南部藩営の奥戸(おこつぺ)牧場,大間牧場があった。…

※「大間崎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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