自由民権運動の規制を目的とした法律。1878年7月政府は愛国社の再興を目ざす自由民権運動の高まりに対抗して,政治結社,集会に対する警察官の視察と,民心扇動,国安妨害と認めるものの禁止を命じた。しかし自由民権運動は国会開設請願運動として全国的に高揚を見せ,80年3月には国会期成同盟が結成された。こうした状況に対して政府は同年4月5日集会条例を制定し,政談演説会,政治結社は事前に警察署に届け出て許可をうけること,警察署は国家の安全に害ありと認めたときは許可しないこと,会場監視の警察官に集会解散権を与えること,軍人・教員・生徒の政治活動を禁止すること,集会の広告,政治結社相互の連絡,屋外集会を禁止することなどを定め,弾圧体制を強化した。ついで同年12月には警視長官,地方長官に政治結社解散権と管内での1年間演説禁止権を与えるように,同条例を改正した。さらに81年10月から82年にかけて自由党,立憲改進党をはじめとする民権政党が結成されると,82年6月内務卿に1年以内の全国での演説禁止権を付与し,政治結社の支社設置を禁止し,他社との連絡を禁止するとの改正追加を行った。82年中の集会条例違反者は86人,集会・結社の解散は351回で,この条例は集会・結社の自由を奪い,自由民権家たちの活動を大きく制約した。帝国議会開設に先だつ90年7月制定の集会及政社法,さらに1900年3月の治安警察法へと継承された。
→自由民権
執筆者:大日方 純夫
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自由民権運動の弾圧を目的とした明治時代前期の法律。西南戦争後、政談演説会などを通じて自由民権運動は広がり、1879年(明治12)から80年にかけて国会開設請願運動として空前の高揚をみせた。こうした状況に直面した政府は、80年4月5日この条例を制定した。内容は、政談演説会・政社は事前に警察署に届け出て認可を受けること、会場監視の警察官に集会解散権を与えること、軍人・教員・生徒の政治活動を禁止すること、などであった。同年12月、警視長官・地方長官に政治結社解散権と管内における1年以内の演説禁止権を与えるように改正。82年6月には、内務卿(きょう)に1年以内の全国での演説禁止権を与え、政治結社の支社設置を禁止するなどの改正を行った。集会・結社の自由を奪うこの条例が自由民権運動に及ぼした障害の大きさは計り知れない。90年7月25日公布の集会及政社法に継承された。
[大日方純夫]
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明治前期の政治集会と政治結社を規制した法令。1880年(明治13)4月5日公布。全16条。内容は,政治集会・政治結社の警察署への届出および認可制,警察官の集会解散権,警視総監・地方長官の結社解散権,軍人・警察官・教員・生徒の集会・結社への参加禁止,屋外政治集会の禁止,他社との連結通信の禁止など。自由民権派による国会開設運動の全国的な高まりに対処するための条例。82年6月3日の改正で全19条となり,支社の設置の禁止,内務卿の結社・集会禁止権などきびしい規制が追加された。90年7月,集会及政社法の公布により廃止。
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