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奝然 ちょうねん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

奝然
ちょうねん

[生]?
[没]長和5(1016).3.16. 京都
平安時代中期の東大寺の僧。藤原真連の子。幼くして東大寺に入り,東南院で三論その他を学んだ。永観1 (983) 年東大寺と延暦寺信書をたずさえて,宋商船に便乗して入宋し,翌年太宗に謁し,紫衣を賜わり,法済大師の号を受けたという。五台山その他を巡拝して,寛和2 (986) 年『釈迦如来像』や大蔵経 5048巻および『十六羅漢画像』をもって帰朝永祚1 (989) 年東大寺に住したが,のち京都嵯峨清涼寺建立した。現在清涼寺に安置されている『釈迦如来像』は,その将来仏で,国宝に指定されている。

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デジタル大辞泉の解説

ちょうねん〔テウネン〕【奝然】

[?~1016]平安中期の三論宗の僧。京都の人。永観元年(983)入宋、大蔵経三国伝来といわれる釈迦(しゃか)像を持ち帰った。帰国後、嵯峨に清涼寺を建てようとして果たせず、弟子が建立。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

奝然 ちょうねん

938-1016 平安時代中期の僧。
承平(じょうへい)8年1月24日生まれ。観理に真言と三論をまなび,元杲(げんごう)から灌頂(かんじょう)をうける。永観元年宋(そう)(中国)にいき,大蔵経(だいぞうきょう)五千余巻や釈迦像などをもって帰国。永延3年東大寺別当。没後,弟子の盛算(せいさん)が京都に清凉寺をたて,奝然がもちかえった釈迦像を安置した。長和5年3月16日死去。79歳。京都出身。俗姓は秦。日記に「奝然在唐記」。

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世界大百科事典 第2版の解説

ちょうねん【奝然】

938‐1016(天慶1‐長和5)
平安中期の三論宗の僧。俗姓は藤原氏。東大寺に学び,972年(天禄3)同僚の義蔵と仏法興隆を誓い,入宋(につそう)を志す。983年(永観1)宋の商人の船に乗って渡海。五台山などを巡礼し,皇帝の太宗から法済大師の号と紫衣を賜り,かつ新雕の大蔵経(だいぞうきよう)を与えられ,台州で優塡王(うでんのう)が栴檀(せんだん)で造ったという釈迦の瑞像(ずいぞう)を模刻し,986年(寛和2)帰国した。翌年,比叡山に対抗する意図をもって,京都の西の愛宕(あたご)山を五台山と号し,持ち帰った釈迦の瑞像を安置する伽藍(がらん)を建てて清凉寺と称することを奏請した。

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大辞林 第三版の解説

ちょうねん【奝然】

938?~1016) 平安中期の三論宗の僧。983年入宋し、大蔵経五千巻、三国伝来といわれる釈迦像などを携えて帰国。東大寺別当を務めたのち、洛西嵯峨に清涼寺建立を企てたが果たせずに寂す。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説


ちょうねん
(938?―1016)

平安時代の三論(さんろん)宗の僧。俗姓は藤原氏。京都の人。幼くして東大寺に入り、東南院の観理(かんり)に三論を学び、石山寺の元杲(げんごう)に密教を受けた。983年(永観1、一説に982年)8月に宋(そう)の商船に乗り入宋(にっそう)し、翌年(べんけい)に入って太宗にまみえて紫衣(しえ)と法済(ほうさい)大師の号を賜る。ついで五台山などを巡礼し、987年(永延1、一説に986年)2月に帰国した。宋版大蔵経5000巻、釈迦(しゃか)像(インドの優填(うてん)王が刻した栴檀(せんだん)の釈迦像を模刻したもの)、十六羅漢(らかん)画像などを将来する。989年東大寺別当に任命されて3年間奉職した。のち弟子の盛算(じょうさん)が嵯峨(さが)の棲霞寺(せいかじ)境内に釈迦堂を建立して清凉寺(せいりょうじ)と号し、然の将来した釈迦像を安置した。この像は、三国伝来の栴檀瑞像として信仰を集めた。[伊藤隆寿]

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367日誕生日大事典の解説

奝然 (ちょうねん)

生年月日:938年1月24日
平安時代中期の東大寺の僧
1016年没

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世界大百科事典内の奝然の言及

【大蔵経】より

…これは宋朝による正法流布の功徳事業であったので,西夏,高麗,日本などの近隣諸国に国際友誼の意味をこめて贈与された。983年の年末に入宋した東大寺僧の奝然(ちようねん)は,離京に際して新撰の大蔵経481函5048巻と新訳経典40巻などを賜ったのである。この大蔵経の下賜をうけた高麗は,11世紀前半に覆刻版を出し,その版木が元軍による兵火で焼失すると,13世紀中葉には再雕本を完成させた。…

※「奝然」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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