改訂新版 世界大百科事典 「奥島」の意味・わかりやすい解説
奥島 (おくしま)
近江国蒲生郡(現,滋賀県近江八幡市)の地名。戦国時代以前は琵琶湖に浮かぶ独立した島で,奥島荘を形成。江戸時代の地誌《近江国輿地志略》には〈北庄の西北にあり,地続きあらず,葭沼(よしぬま)ありて間隔たる〉とある。奥島は王浜,白部,円山,奥島,北津田,中庄の村からなり,古代にはムベ,氷魚(ひうお),フナ,マス,阿米魚(あめうお)を朝廷に貢納する御厨(みくりや)であった。室町時代,奥島荘民は薁(郁子)(むべ)供御人と称されている。島はムベ,魚のほか材木,石灰,石材,イグサを産出するので有名で,イグサは奥島畳表,八幡円座,灯心に加工される。奥島は中世を通じて延暦寺領荘園で,鎌倉時代には荘官と荘民との間で琵琶湖岸の魞(えり),網の設定をめぐって紛争が継続して起きており,南北朝時代以降にも延暦寺が荘民を非法に駆使したことで抗争が繰り返されている。島には長命寺,大島奥津島神社があって,とくに大島奥津島神社の文書は,中世奥島荘民の共同体結合を示す史料として著名である。1262年(弘長2)の荘隠規文には共同体の秩序を乱す悪口を吐く者は,妻女,子息でも荘外へ追放され住宅を焼却されることを定めている。山野藪沢,魞,漁網の共同体所有が荘民結合の背景にあり,これを犯す者への抵抗の姿勢が堅持されていた。荘民は農業,漁業,林業だけではなく,嶋郷市を介して商品流通に関与しており,荘内で非農業生産の占める割合は大きい。住民の社会生活全般は室町・戦国時代を通じて大島奥津島神社の宮座の厳重な規制下におかれていた。
執筆者:仲村 研
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報