神社の祭事に関係する村落内の特権的な集団をさす学術用語。宮座の語は中世の確実な史料のうちからは発見されていない。近世に吉田家,白川家の管下にあった神職の関係しない村人たちだけの祭祀集団をさす語として用いられた。明治以降の祭祀集団の研究の進展により,上記の意味の学術用語として使用されるにいたった。
宮座は古代から中世の商工業や芸能などの〈座〉の成立と根底を同じくするが,のちには社殿での座席の意味と解されるようになった。宮座を意味する民俗語彙には,祭座,頭座,一族座,座衆,宮衆,宮講,神事講,結衆,座株,宮持,宮仲間,神官(じがん),社人衆,宮組,座仲間,頭仲間,祭仲間,宮筋,祝株(ほうりかぶ),モロトなどがある。現在,宮座は近畿地方を中心に,ほぼ越前・若狭(福井県),美濃(岐阜県),伊賀・伊勢(三重県)から西の中国,四国,北九州に分布しており,東日本にはその事例は多くない。
宮座の存在は15世紀には顕著となるが,その成立は,11,12世紀に求められる。それは律令的支配体制の解体・変質のなかで,荘園や寺社の在地支配のための番役や頭役などの負担体制と,本来的に支配のための側面をもつ在地の祭祀組織とがかかわったことによる。宮座は神事にあたっての座席の位置により宮座内部に上下の秩序がもたらされ,また座の数が限られることから宮座以外の者にたいし排他的な性格をもつものであった。こうして成立した宮座はまず荘内の名主や名田を構成単位として運営された。現在でも中国地方の山間部には名(みよう)を単位とする宮座がみられるのは幾多の変遷の結果ではあるが,注目すべきことである。14世紀以降の荘園制の解体と惣庄・惣村(惣(そう))の成立により地縁的な性格を強めた宮座の活動が近畿地方を中心に顕著にみられるようになった。そこでは左座と右座,東座と西座,横座・中座・下座,古座と新座というように重層的な構造をもつものがみられ,また宮座を構成する座衆が若衆,中老,おとな(乙名,老,年寄)という﨟次(ろうじ)により区分される例がみられた。この時期には惣村制を背景に宮座のおとな層が惣村の運営にあたることも多かった。江戸時代に入り,幕藩体制のもとに村落制度が確立されてくると,宮座も検地による屋敷地所有や土地所有,さらには家格制による本百姓体制にもとづきそれぞれ再編成されることが多かった。また中世に宮座のおとな層の行使していた村政への権能は制限され,その権能はもっぱら祭事に限定されるようになった。次いで近世中・後期における村落の変化と本百姓層の没落は宮座にも影響を及ぼし,座次争論や加入をめぐっての争論がみられるようになった。さらに明治政府の神仏分離にはじまる一連の国家神道化政策は宮座に変容をせまるものであった。現在,西日本の各地に宮座の慣行がみられるが,これは以上のような幾多の変容をとげた結果のものである。
宮座は主に男子により構成され,彼らは座衆,座人と呼ばれる。座衆は家を単位として加入するのが古い型であった。加入は座入りと呼ばれ,誕生とともに氏子帳に登録したり,座に届けが提出される。座入りの後にその年齢は一定しないが,烏帽子着(えぼしぎ)とか元服と呼ばれる儀礼がなされる例もみられる。座衆は年齢により若衆,中老,おとなに区分されることが多い。おとな衆はさらに﨟次により一﨟,二﨟,三﨟とか,一和尚,二和尚などと呼ばれ,その一﨟が座の責任者となる。祭事の執行にあたる神主には,一﨟がなる場合とおとな衆が1年交代でつとめる一年神主(いちねんかんぬし),年番神主の場合とがある。祭事執行に必要な準備にあたるのが頭屋(とうや),当屋,頭人,当人で,その選定は座衆のうちからの年齢順,家順,みくじによるなど各種の方法でなされる。神主と頭屋の機能が分化していない場合も多い。頭屋はきびしい潔斎(けつさい)の生活をおくり,神社から神体を自分の家に移し,次の祭りまで1年間まつることもある。頭屋になるとそれを示すために家の庭にオハケと呼ばれる竹や木にサカキ(榊)にしでをつけたものをたてる風習も,秋田,茨城から九州にいたる広い地域にみられる。頭屋は一軒の家としてうけるが,その家が一族の本家であると分家の家々がこれを援助し,これを助頭(すけとう)とか脇頭(わきとう)と呼ぶこともある。本頭と助頭が一族関係でなく,地区の1軒が本頭,他の家々が脇頭になっている例もあり,一族単位,地区単位の祭事負担であったものが,しだいに分化し家単位のものに推移した過程をうかがわせるものである。宮座の運営のために頭田(とうだ),座田(ざでん),宮田などと呼ばれる田地をもち,その耕作にあたっては下肥を用いないなどのきびしい制限があり,その田でとれた米を神供としていたが,農地改革によりそうした例も消えてしまった。
執筆者:西垣 晴次
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村氏神の経営や神事執行に関して、独占的な権利をもつ氏子内の集団組織。神事組合。宮座という呼称については、神前の限られた座席を占めることのできる仲間の意味であったともいわれるが、中世の油座・紙座など経済的な座(同業組合)の組織と密接な関係をもつ。経済的な座と神事組合としての宮座と、どちらが元かは明らかでないが、古くは村の組織として座に相当するものがあり、村氏神を中心に政治も経済も運営されていたのが、それぞれ独立したために神社中心の組織だけが宮座として残されたのであろう。宮座という呼び方は15世紀(室町時代中期)ごろから盛んに使われるようになってくる。現在、宮座とよんでいるのは、近畿から北九州にかけての地方に限られているが、同様の組織ははるかに広く分布しており、宮仲間、当(とう)仲間、祭り仲間、結(むすび)衆、宮衆、社人衆、宮株、当株、諸戸(もろと)、宮筋、宮方、宮講など種々の呼び方がある。
滋賀県高島市のある集落を例にとると、氏神の神事を務める宮座が二つある。古くからの土着の人々が組織しているのをモロト株、途中で村外から移住してきた人々のをワキ株という。モロト株は神事に費用がかかるので、その負担に耐えるだけの資産をもっていなければならない。昔はモロトとワキとの差別が判然としており、互いに縁組みをすることもなかった。青年会の入会式のようなときでも、ワキ株の息子は年齢が上であっても、部屋を打ち抜いた中敷より上座には座れなかった。1944年(昭和19)までは、山と田の持ち地の評価が総額100円以上で、元からこのムラに住み着いている者をモロトといった。太平洋戦争が終末に近づいて、ムラの男が兵役に狩り出され、神事を務める人が少なくなってしまったので、地価30円までとしてモロトの範囲を広げた。
この例で明らかなように、宮座は一株・一族で構成された形から、住民の移動によって複数の座が並立することがあり、その様相は各村の事情によって各様である。一つの宮座のなかでは年齢による序列があるほか、家柄や経験年数も重視され、「おとな」「中老」「若衆」などの階層を区別する例が多い。近代に専業神職制が成立する以前は、宮座のなかから神主(かんぬし)を選び、交替制のものを一年神主とよんだ。いずれにしても宮座の抱える独占・差別は現代社会に受け入れられにくく、存続が困難な場面が多くなっている。
[井之口章次]
『肥後和男著『宮座の研究』(1941・弘文堂)』▽『萩原龍夫著『中世祭祀組織の研究』(1962・吉川弘文館)』▽『高牧実著『宮座と村落の史的研究』(1986・吉川弘文館)』▽『安藤精一著『近世宮座の史的展開』(2005・吉川弘文館)』
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村の氏神や鎮守神を祭り,神事祭礼を行う村人の祭祀組織。おもに西日本に広く分布。中世農民の自治的共同組織である惣が成長してくる鎌倉後期以降,座衆・講・結衆などといわれる村の祭祀組織も顕著となる。惣の自治的組織は,政治的・経済的運営と同時に,宗教的活動の担い手でもあった。宮座は,乙名(おとな)・中老・若衆と年齢階梯的に組織され,神事・祭礼を実行するときは,頭役(とうやく)を定める当番制をとった。頭役には多くの場合,乙名成(なり)をへた年寄衆があたった。近世の宮座は,家格制による特権的・階層的なものになった。
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…1492年(明応1),近江国蒲生郡奥島荘掟にさた人・政所とともに〈おとな〉の3人が署判を加えているし,1467年(応仁1)丹波国桑田郡山国荘の沙汰人地下長男が署判して,共有山林を枝郷に売却している。 近江国得珍保(とくちんのほ)今堀郷の宮座において,1488年(長享2)に6人の老人が宮座の負担を免除されているが,この6人の老人は老人成(官途成(かんとなり))を通過した者のうちの年齢上位者である。この長男成・老人成とは村落共同体の若衆が一定の年齢階梯に達したとき,規定の負担を全うすることによって老人衆の集団に入る儀式をいい,村人成(もろとなり),官途成,大夫成,衛門成,兵衛成ともいって,たとえば,左近将監,五郎大夫,太郎左衛門,二郎兵衛などの名称が共同体内で公認されるのであり,江戸時代にはこの名称が家固有の屋号になるものもあった。…
…また,アイルランドのクラッヘンも同族によって構成されている場合が多い。他方,地縁関係の最も典型的なものはヨーロッパ中世の三圃制・二圃制の村落であり,日本中世の遺制といわれる古い型の宮座は,中世名主間の平等な地縁関係をもつ村落を示しているといわれる。日本では東北日本に族縁関係の強い同族型集落が多いのに対して,西南日本に地縁関係の強いフラットな講型集落が多い。…
…そこで村集会が開かれるし,裁判も行われる。集会所のこのような祭政一致の機能は,日本の場合でもみられ,例えば近畿を中心に西日本に分布する神社祭祀組織である宮座では,現在も若干のこっているように,村の〈会所〉が神社の境内にあるのが古いかたちであった。座衆が当番制で宮世話をする当屋制は元来,村世話の一部であったとみてよい。…
…鎌倉時代の領主たちの中では,全体として女性に大きな権利が認められ,姻戚が重んぜられるが,東国では家長,惣領が大きな力をもつのに対し,西国のほうが女系,姻戚を重視する傾向が強く,西国に広くみられる一時的訪婚(婿入婚)に対し,東国では早くから嫁入婚であったという説も提出されている。村落についても,西国においては百姓名の名主になるような本百姓,老(おとな)を中心に座的な構造をもち,宮座が広く見いだされるが,東国には宮座は未発達で,大きな中心的なイエに小さなイエが結びついた同族的な村落が多いといわれているのである。さらに,西国では職能が世襲される傾向が東国に比べると強く,それが〈職の体系〉を支えたとも考えられる。…
…室町幕府や江戸幕府,大名家では重臣を年寄,家老,老中と称している。また室町時代,江戸時代を通じて宮座,商工業の座,株仲間の重役も年寄と称されており,江戸時代の村落でも庄屋や名主(なぬし)を補佐する役人を村年寄といい,都市の行政単位である町内の行政を担当し,支配機構の末端をになう役人を町(ちよう)年寄と称した。宮座の年寄も老人,宿老と同義語で,若衆,中老などの年齢階梯を通過したものが,最終の年齢集団の年寄衆(老人)に入り,加入順に一老(いちろう)(一﨟(いちろう),一和尉(いちわじよう),一和尚(いちわじよう)),二老,三老などと称され,一老を勤仕したあと年寄から引退する。…
…日本のものをアフリカや日本周辺諸地域と比較するには,文化格差が大きく,いまのところ有効な考察が期待できないが,原理的な類比は可能である。 こうした視点で日本の年齢集団=年齢階梯制を民族学(文化人類学)的にみると,若者組を主とする若者階梯型と長老組を主とする長老階梯型(宮座)の2類型に分けることができる。前者はいうまでもなく一般に若者組とよばれているものだが,これもよく調べると,その前後に少年組,中年組,老年組が顕在的あるいは潜在的に存在し,表1の西伊豆の伊浜のように漁労組織や消防団として村落社会で枢要な機能を果たしているし,若者組の財産(若衆山)ももっている。…
…家族内部にあって,老人は家族の儀礼や祭祀,とくに祖先祭祀の主要な担い手であり,村落においては氏神祭祀の主たる遂行者となる。近畿地方に濃密に存在する神社祭祀組織である宮座(みやざ)において,老人が年齢順に神主や当屋(とうや)を務めるのはその一例である。このように老人は青年,成人,壮年とは異なる社会的価値をもち,社会の重要な構成員のひとつであった。…
※「宮座」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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