生没年不詳。室町時代の応永(おうえい)期(1394~1428)に活躍した京都・相国寺(しょうこくじ)の画僧。当時相国寺にあった周文の師とも伝えられる。4代将軍足利義持(あしかがよしもち)の指導と援助で数々の画作に従事したと推定され、初期水墨画壇の中枢的役割を果たした。生前より画名高く、のちに長谷川等伯(はせがわとうはく)は『等伯画説』のなかで如拙を唐様(からよう)(宋元画(そうげんが))の開山と評し、その水墨画史上での指導的地位に言及している。如拙の号は、同時代の名僧絶海中津(ぜっかいちゅうしん)が「大巧(たいこう)は拙なるが如し」の意から命名したという。代表作に『瓢鮎図(ひょうねんず)』(国宝、京都・退蔵院)がある。これは「円くすべすべした瓢箪(ひょうたん)でぬるぬるした鮎(なまず)をおさえるには如何(いかん)」という禅の公案を図示したもので、将軍義持の命で制作されたもの。図上に大岳周崇(たいがくしゅうすう)、玉畹梵芳(ぎょくえんぼんぽう)など当時の五山を代表する禅僧31名が詩を寄せている。余白を大きくとった辺角景(へんかくけい)構図法や減筆の手法など、宋の院体画に学んだことが明らかで、以後のわが国の水墨画の進むべき道を決定づけた作品である。これ以外の如拙の作としては、『王羲之書扇図(おうぎししょせんず)』(京都国立博物館)、『三教図』(京都・両足院)などが著名。
[榊原 悟]
『松下隆章著『日本美術絵画全集2 如拙/周文』(1981・集英社)』
(山下裕二)
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室町時代の禅宗画家。生没年不詳。〈にょせつ〉ともよばれ,応永年間(1394-1428)に活躍期をもつ。足利将軍家と関係の深い相国寺開山の建碑計画に参与している。《三教図》(両足院)に著讃している絶海中津の讃文によれば,〈大巧は拙なるが如し〉の意から大巧如拙の名を得たという。代表作《瓢鮎(ひようねん)図》(退蔵院)は,足利将軍(義満あるいは義持)が〈如拙をして座右の小屛に新様をもって画かせた〉ことが讃文に記されている。現存作品は少ないが,当時舶載移入されていた中国南宋時代の院体画風を意識的に取り入れて作画したことが知られ,周文以下雪舟にいたる室町水墨画の先駆者として位置づけることができる。
執筆者:衛藤 駿
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生没年不詳。南北朝期~室町中期の画僧。道号は大巧(たいこう)。絶海中津(ぜっかいちゅうしん)が「老子」の「大巧は拙なるが如し」にちなんで名づけた。伝記は不明の点が多く,正規の禅僧かどうかも疑わしい。夢窓疎石(むそうそせき)の碑銘建立に参与したこと,足利義持の命で「瓢鮎図(ひょうねんず)」(国宝)を描いたことなどが知られ,足利将軍家と密接な関係をもち,相国寺にいたことはほぼ確実。雪舟(せっしゅう)により祖と仰がれ,狩野派などによって日本の漢画の祖としての地位を与えられた。「瓢鮎図」「王羲之(おうぎし)書扇図」(重文)は,将軍家所蔵の中国南宋の絵画の名品を参考にして描かれた。
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…足利将軍家と関係の深い相国寺開山の建碑計画に参与している。《三教図》(両足院)に著讃している絶海中津の讃文によれば,〈大巧は拙なるが如し〉の意から大巧如拙の名を得たという。代表作《瓢鮎(ひようねん)図》(退蔵院)は,足利将軍(義満あるいは義持)が〈如拙をして座右の小屛に新様をもって画かせた〉ことが讃文に記されている。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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