子村(読み)ずしむら

日本歴史地名大系 「子村」の解説

子村
ずしむら

[現在地名]高槻市辻子一―三丁目・西冠にしかんむり一―三丁目・春日かすが町・若松わかまつ町・松川まつかわ町・須賀すが町・のぼり町・つつみ町・北大樋きたおおひ町・大冠おおかんむり町一丁目・同三丁目・東和とうわ町・深沢ふかざわ町一―二丁目

中小路なかしようじ村の南西にあり、檜尾ひお川右岸に位置する。中央を辻子井路が流れ、これに沿って南北の道が集落内を通り、東折して中小路・野中のなか方面に至って枚方ひらかた街道に合し、西折すれば西冠村・下田辺しもたなべ村の大坂街道に結ばれる。その分岐点の小字が辻ノ内・辻ノ前で、周辺に辻ノ南・辻ノ西・辻ノ東がある。村名の「辻子」は街道の分岐点の辻の意。村領は野中・中小路両村と錯綜している。条里制の遺称とされる小字に十三・三十六がある。中世は冠庄近世には初め冠村に含まれた(→冠村


子村
ずしむら

[現在地名]逗子市逗子一―七丁目

東に清水しみず(田越川)が流れ、北は山野根やまのね村・久野谷くのや村、南東桜山さくらやま村、西は小坪こつぼ村に接する。「承久記」にみえる三浦胤義遺児四名が処刑された「手越の河端」は田越たごえ川清水橋のたもとといわれる。「風土記稿」は北条氏康の臣山中上野某が預った「三浦厨子城」の地に比定する。天正一八年(一五九〇)三月七日の北条家朱印状写(県史三)によれば、北条氏は豊臣秀吉軍の小田原攻めに際し、「豆師」の町人商人・細工人に至るまで、武器を用意して防戦に励むよう命じた。

天正一九年一一月日の延命寺宛朱印状(相中留恩記略)には「豆子郷」とあり、正保国絵図に「豆子」、元禄国絵図に「逗子村」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「子村」の意味・わかりやすい解説

子村
こむら

親村本村(ほんむら))から分かれて新しくできた村で枝(えだ)村ともいう。近世の新田開発に際し、本村から分かれて計画的に設定された新田集落で、地縁的、血縁的に親村とつながりがあり、神社菩提寺(ぼだいじ)も同一である場合が多く、親村との間の本支関係を示している。しかし、檀那寺(だんなでら)を自村に建てるなど、親村からの離脱を図る傾向もみられた。

[中田榮一]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「子村」の意味・わかりやすい解説

子村
こむら

新たに土地を開拓してつくられた集落で,住民の出身地の村を親村というのに対していう。枝村,娘村ともいう。近世の新田開発に多くみられる。たとえば武蔵野台地や利根川下流の農村では,江戸時代に開拓された新田がその親村の地名や開拓事業の中心となった人の名にちなんで「何々新田」と呼ばれたところが多い。子村は,親村の社寺を勧請したり,冠婚葬祭や年中行事などの際,親村と深い関係をもったりした。

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