宇下人言(読み)うげのひとごと

日本大百科全書(ニッポニカ) 「宇下人言」の意味・わかりやすい解説

宇下人言
うげのひとごと

江戸後期の政治松平定信(さだのぶ)の自叙伝題名は「定信」の2字を、4字に分解したもの。定信が御三卿(ごさんきょう)の田安(たやす)家に生まれた1758年(宝暦8)から、白河(しらかわ)松平家に養子入りして白河藩主となり、さらに老中となって寛政(かんせい)の幕府改革を断行、老中を解任される1793年(寛政5)までを記述した半生記である。生い立ち、交友、白河藩政などを詳記しているが、本書眼目は、寛政の改革についての記述にある。そのことは、「此書付(このかきつけ)、子孫老中になり候(そうろう)ものは一覧有之(これある)べし」と、定信が自筆していることからも明らかであろう。寛政の改革や定信の思想などを解明するうえに、欠かせぬ重要資料である。

竹内 誠]

『松平定光校訂『宇下人言・修行録』(岩波文庫)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「宇下人言」の意味・わかりやすい解説

宇下人言 (うげのひとこと)

寛政改革中心人物松平定信の自叙伝。1巻。1758年(宝暦8)の誕生から93年(寛政5)の老中辞職に至るまでを記す。内容は,生い立ち,学芸,交友,白河藩政,寛政改革へと及び,当時の政治・社会状況,改革の主体勢力,定信の考えなどを知ることができる貴重な史料である。書名は定信の2字を分解してつくったもの。〈岩波文庫所収
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「宇下人言」の意味・わかりやすい解説

宇下人言
うげのひとごと

松平定信の自叙伝。1巻。定信の生まれた宝暦8 (1758) 年から寛政5 (1793) 年の老中辞職までを叙述。寛政の改革の推進者としての定信の政見や思想を知るのに好都合の史料でもある。叙述意図は「此書付,子孫老中になり候ものは一覧有之べし (中略) 家老たりとも一寸見候事も不相成候事」と定信みずから書いていることから明らかであろう。特に天明,寛政年間 (1781~1801) の政治情勢を研究するうえでは必見のもの。なお書名は「定信」の字を,それぞれ「宇下」「人言」と分けたものである。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「宇下人言」の意味・わかりやすい解説

宇下人言【うげのひとこと】

松平定信の自叙伝。1巻。1793年老中辞職後,幼年から退職までの政治生活を中心に記す。白河藩政,寛政改革にも言及。書名は定信の2字を分けてつけたもの。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「宇下人言」の解説

宇下人言
うげのひとごと

松平定信の自叙伝。1巻。1758年(宝暦8)の誕生から93年(寛政5)老中辞職直前までの生い立ち,学問,交友,みずからの藩政や幕政などについて,子孫の参考のために記した半生記で,秘書として伝えられた。題名は定信の2字を分解したもの。老中辞職後あまり遠くない時期の執筆と推定される。定信の半生や思想を知るためだけでなく,寛政の改革を研究するのに不可欠の史料。「岩波文庫」所収。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「宇下人言」の解説

宇下人言
うげのひとこと

江戸後期,松平定信の自叙伝
1793年刊。1巻。自己の出生から老中辞職までを執筆。寛政の改革前後の事情を知るのに貴重な史料。書名は「定信」の2字を分解したもの。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

今日のキーワード

排外主義

外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...

排外主義の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android