小説家。大正4年2月28日、岐阜市に生まれる。父は仏具師。県立岐阜中学(現、岐阜県立岐阜高等学校)卒業後、旧制第一高等学校に入学。中学時代より文学少年で、高校でも文芸部委員となり、福永武彦(たけひこ)、中村真一郎、加藤周一、矢内原伊作(いさく)(1918―1989)と知り合う。1941年(昭和16)東京帝国大学文学部英文科卒業。東大時代は岡本謙次郎(1919―2003)、矢内原伊作、宇佐美英治(1918―2002)らと同人雑誌『崖(がけ)』により、『死ぬと云(い)ふことは偉大なことなので』(1939)、『往還』『公園』(ともに1940)などを発表。ロシアの作家ゴーゴリから強い影響を受ける。卒業後は私立日本中学に勤めるが、1942年徴兵されて一兵卒として華北戦線に従軍し、暗号兵の教育を受ける。北京の燕京(えんきょう)大学に常駐していた情報機関に所属していたが、第二次世界大戦の終戦で1946年(昭和21)に帰国し、郷里の岐阜県庁や岐阜師範学校、あるいは千葉県の佐原(さわら)女学校、都立小石川高等学校に勤め、1954年以降は明治大学で英語・英文学の教員を定年まで続ける。
1948年に大学時代の同人誌仲間を中心に岡本謙次郎、宇佐美英治、原亨吉(こうきち)(1918―2012)、矢内原伊作、白崎秀雄(1920―1993)らと『同時代』を創刊し、『汽車の中』(1948)、『燕京大学部隊』(1952)などを発表。同誌掲載の『小銃』(1952)が『新潮』同人雑誌推薦号に載り、好評を博し文壇にデビューした。以後ユーモアと風刺をきかせた小説『吃音(きつおん)学院』(1953)、『星』『アメリカン・スクール』『城砦(じょうさい)の人』『馬』(いずれも1954)などを精力的に発表し、1955年『アメリカン・スクール』で芥川(あくたがわ)賞を受賞。弱者の心理、劣等生の悲しみ等をユーモラスに描く作風に特徴がある。彼と前後して文壇に出た安岡章太郎、吉行淳之介、遠藤周作、庄野潤三らとともに第三の新人の一人と目された。
しかしその一方、カフカ的傾向の作品も多く、寓話(ぐうわ)的抽象世界の造形は注目に値する。1957年ロックフェラー財団の招きで渡米。1965年の『抱擁家族』で谷崎潤一郎賞受賞。『私の作家評伝』(1972~1975)などの評論や保坂和志(かずし)(1956― )との共著『小説修行』(2001)がある。また、小説の新しい可能性を追究した『美濃』(1981)、『月光』(1984)、『平安』(1986)や14年間かけて完結した大長編『別れる理由』上中下(1982)は小説と現実との関係を意欲的に問い直した前衛的作品である。1987年には、『抱擁家族』『別れる理由』に続く第三部『静温な日々』を発表した。1990年代に入ると、「老い」をテーマにして、新聞連載の長編『うるわしき日々』(1997)、作品集『こよなく愛した』(2000)、小島信夫に縁のある三つの土地で語り始められる連作小説集『各務原(かかみがはら)・名古屋・国立(くにたち)』(2002)を著した。2006年(平成18)には『残光』を発表。1994年文化功労者。
[松本鶴雄]
『『小島信夫全集』全6巻(1971・講談社)』▽『『墓碑銘・燕京大学部隊』(1983・福武書店)』▽『『平安』(1986・講談社)』▽『『寓話』(1987・福武書店)』▽『『静温な日々』(1987・講談社)』▽『『こよなく愛した』(2000・講談社)』▽『『各務原・名古屋・国立』(2002・講談社)』▽『『小銃』(集英社文庫)』▽『『私の作家評伝』(潮文庫)』▽『『抱擁家族』『殉教・微笑』『うるわしき日々』(講談社文芸文庫)』▽『『月光・暮坂――小島信夫後期作品集』(講談社文芸文庫)』▽『『アメリカン・スクール』改版(新潮文庫)』▽『『残光』(新潮文庫)』▽『『別れる理由』1~3(小学館文庫)』▽『大橋健三郎他編『小島信夫をめぐる文学の現在』(1985・福武書店)』▽『千石英世著『小島信夫 ファルスの複層』(1988・小沢書店)』▽『江藤淳著『成熟と喪失』(講談社文芸文庫)』▽『小島信夫・保坂和志著『小説修業』(中公文庫)』
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