デジタル大辞泉 「安曇野」の意味・読み・例文・類語
あずみ‐の〔あづみ‐〕【安曇野】
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臼井吉見の長編小説。を舞台に明治から昭和の時代を描いた大河小説。昭和40年(1965)第1部刊。昭和49年(1974)、完結編である第5部刊。同年、第10回谷崎潤一郎賞受賞。
長野県中西部の市。2005年10月明科(あかしな),豊科(とよしな),穂高(ほたか)の3町と堀金(ほりがね),三郷(みさと)の2村が合体して成立した。人口9万6479(2010)。
安曇野市北東部の旧町。旧東筑摩郡所属。人口9771(2000)。松本盆地北東部,梓川と高瀬川との合流点に位置し,町の中央を犀(さい)川となって北流する。国道19号線とJR篠ノ井線が通じ交通の便がよい。江戸時代から発達した犀川舟運の河港として発達し,押野には松本藩の筏改番所が置かれ,高瀬川上流から送られる木材の検査を行った。中心集落の明科からは周辺町村へ道路が放射状に伸びており,付近一帯の商業の中心をなす。扇状地末端の豊富な湧水を利用したニジマスの養殖で知られる。
安曇野市東部の旧町。旧南安曇(みなみあずみ)郡所属。人口2万7079(2000)。松本盆地中央部に位置し,町域の大部分は犀川,梓川の沖積地が占める。中心集落の成相(なりあい)は江戸時代から糸魚川街道沿いの宿場町として発展,明治以降は郡政の中心地となった。かつては安曇米を産する水田単作地帯であったが,近年兼業化の進行とともに花卉,エノキタケの栽培,畜産なども導入された。工業も盛んで,精密機械,繊維など約100の工場が立地している。JR大糸線,国道147号線が町の西縁を,JR篠ノ井線,国道19号線が東部を走り交通の便がよいため,近年南接する松本市のベッドタウンとしても発展している。長野自動車道豊科インターチェンジ開通後,周辺に大型ショッピングセンターが進出した。
安曇野市北西部の旧町。旧南安曇郡所属。人口3万0966(2000)。松本盆地の北部に位置し,西部は飛驒山脈に連なる山岳地帯,東部は高瀬川に注ぐ中房川,烏川の扇状地である。中心集落の穂高は近世から糸魚川街道(千国街道)に沿った宿場町として発展した。一帯は古くから稲作が行われたところで,現在は烏川扇状地の豊富な湧水を利用してワサビ栽培やニジマスの養殖が行われ,特に穂高ワサビは全国的に名高い。常念岳,槍ヶ岳,穂高岳などの登山口にあたり,有明温泉(単純硫化水素泉,78℃),中房温泉もあって訪れる観光客が多い。町出身の荻原守衛の作品を展示する碌山(ろくざん)美術館,わさび園などを巡る信濃路自然歩道安曇野ルートが整備され,北アルプスと安曇野の自然を生かした観光開発も盛んである。電気機械などの工場も多い。JR大糸線,国道147号線が通じる。
安曇野市南西部の旧村。旧南安曇郡所属。人口8529(2000)。松本盆地西部に位置し,飛驒山脈の常念岳,蝶ヶ岳の東斜面にあたる山岳地帯が村域の8割近くを占め,東部の烏川扇状地上に集落がある。烏川扇状地はオケ堰,勘左衛門堰などの用水路の開削により近世以降水田化された。農業は米作中心であるが,近年野菜と花卉の栽培,肉牛肥育が増えている。烏川上流の須砂渡(すさど)は常念岳の登山口にあたる。臼井吉見文学館,ウェストン記念館などがある。
安曇野市南端の旧村。旧南安曇郡所属。人口1万6519(2000)。松本盆地の西部に位置し,黒沢川,梓川の複合扇状地上にある。南西部には黒沢山(2051m)がそびえ,村域は黒沢川扇状地の果樹・畑作地帯と,その下方に広がる緩傾斜の梓川扇状地の水田地帯に区分される。中心集落は一日市場(ひといちば)で,JR大糸線が通じる。米作のほか,リンゴ,ブドウ,イチゴ,エノキタケの栽培が行われる。松本市に近いため近年住宅地化が進み,人口は増大している。中萱(なかがや)には貞享年間(1684-88)に年貢減免を訴えて活躍した義民多田加助宅跡(県史跡)が残る。
執筆者:柳町 晴美
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
長野県中西部にある市。2005年(平成17)東筑摩(ひがしちくま)郡明科町(あかしなまち)、南安曇(みなみあずみ)郡豊科町(とよしなまち)、穂高町(ほたかまち)、三郷村(みさとむら)、堀金村(ほりがねむら)が合併して市制施行、安曇野市となる。飛騨山脈(北アルプス)の主稜線の東側を南北に走る常念山脈(じょうねんさんみゃく)の東麓から、松本盆地北西部の複合扇状地である安曇野の一帯を市域とする。市の東部を犀(さい)川が北に流れ、北東部で同川左岸に、南流する高瀬(たかせ)川、烏(からす)川を合わせて東流する穂高川、北流する万水(よろずい)川などが合流する。犀川の左岸をJR大糸線(北アルプス線)、国道147号(糸魚川街道)、右岸を篠ノ井(しののい)線、国道19号が走る。これらと交差しながら長野自動車道が通り、安曇野インターチェンジがある。明科地区に縄文時代の小谷城(こやじょう)遺跡、白鳳期の明科廃寺がある。穂高神社は、海神である綿津見命の子、穂高見命を祀る古社で、穂高見命の末裔とされる阿曇氏が奉祀した。中世には皇室領の矢原(やばら)荘、大穴(おおあな)荘などが成立。矢原荘の開発領主は大伴系細萱氏(ほそがやうじ)で、同氏は穂高神社の宮奉行を勤め、15世紀半ばから16世紀半ばには、同社改修造営の大檀那であった。穂高神社の社前を通っていた千国道(ちくにみち)は、現在の松本市域と新潟県糸魚川市方面とを結ぶ、古くからの要路で、戦国期になると、千国道の古道と重複しながら、穂高、細萱、成相(なりあい)を経て松本に通ずる道(糸魚川道)が整備された。松本と新町(しんまち)(長野市)を結ぶ犀川通船は、天保期に開かれ(明治30年代まで航行)、明科地区の押野崎(おしのざき)には松本藩の筏改番所が置かれた。
扇状地の水田は江戸時代に開削された矢原堰、拾ヶ堰(じっかぜき)などの用水路によって開田され、県内一の米作地となる。現在、豊科地区では北アルプスの豊富な湧水を利用したワサビ栽培、ニジマス養殖が行われ、市域の山麓一帯ではモモ、リンゴなどの果樹栽培が盛ん。下流で穂高川となる中房川(なかぶさがわ)の上流には、穂高温泉郷があり、烏川の流域では国営アルプスあづみの公園や県営烏川渓谷緑地などが整備されて、多くの観光客が訪れる。室町末期の松尾寺本堂(薬師堂)と江戸時代前期の曽根原家住宅は国指定重要文化財。穂高神社の御船祭は県指定無形民俗文化財。穂高温泉郷の一つ、中房温泉の膠状珪酸および珪華(こうじょうけいさんおよびけいか)は国指定天然記念物。面積331.78平方キロメートル、人口9万4222(2020)。
[編集部]
長野県中央部、松本盆地の北半分の平坦(へいたん)地をさす地方名。上高地(かみこうち)方面から流出する梓川(あずさがわ)以北の地域をいう。
[編集部]
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