安然(読み)アンネン

デジタル大辞泉 「安然」の意味・読み・例文・類語

あんねん【安然】

平安前期の天台宗の僧。円仁遍昭に学び、のちに比叡山五大院に住し、台密たいみつ教理を大成。生没年未詳。著「悉曇蔵しったんぞう」など。阿覚大師

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精選版 日本国語大辞典 「安然」の意味・読み・例文・類語

あん‐ぜん【安然・晏然】

  1. 〘 形容動詞ナリ活用タリ 〙あんじょ(晏如)
    1. [初出の実例]「面謁相隔。思如三秋。炎気已過。惟居子起居晏然」(出典本朝文粋(1060頃)七・送大江以言状長保〈藤原行成〉)
    2. 「別の奇特なく、安然(アンセン)として化す」(出典:米沢本沙石集(1283)一〇末)
    3. [その他の文献]〔荀子‐議兵〕

あん‐ねん【安然】

  1. 〘 形容動詞ナリ活用タリ 〙 安らかなさま。精神的な平安。安心
    1. [初出の実例]「Annen(アンネン)〈訳〉内面的な平穏、安心。文書語」(出典:日葡辞書(1603‐04))
    2. [その他の文献]〔晉書‐簡文帝紀〕

あんねん【安然】

  1. 平安前期の天台宗の僧。近江の人。円仁、遍照に学ぶ。後年、比叡山の五大院に住んで、五大院大徳と称し、台密を大成。「瑜祇経疏(ゆぎきょうそ)」「悉曇蔵(しったんぞう)」などを著す。阿覚大師。承和八年(八四一)生。没年未詳。

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改訂新版 世界大百科事典 「安然」の意味・わかりやすい解説

安然 (あんねん)
生没年:841(承和8)-?

平安前期の天台宗の僧。天台密教(台密)の大成者。五大院先徳,後世阿覚大師と尊称される。近江国の人。最澄の俗系とも伝える。幼時に叡山にのぼり,円仁の弟子となって顕密を学び,後に道海,長意,湛契(高向公輔)から三部大法(胎蔵界,金剛界,蘇悉地)を受け,悉曇(しつたん)を学んだ。入唐求法を志し,877年(元慶1)官符が下されて大宰府に行くための食料と駅馬が給されたが,入唐は果たされなかった。882年遍昭について受法し,884年遍昭の奏請で伝法阿闍梨(あじやり)が置かれることになり,門弟の中から惟首,安然の2名が任じられた。以後の安然については,叡山五大院を住房として,伝法と著作活動に専念したことしかわかっていない。没年は不詳であるが,延喜初年ころと考えられ,入寂の地は叡山西塔,近江国近松寺,出羽国時沢などと伝えるが明らかでなく,安然に先立って相模国に同名の僧侶の存在が知られ,伝承に混乱を生じている。安然は円仁,円珍によって進められてきた天台宗密教化のあとをうけて,課題となっていた天台宗における密教の位置を明確にし,新しい教学体系を完成させた。円珍が主張した密教優位の立場をさらに発展させ,密教の中に天台宗も包含されるとして,天台の伝統であった四教教判を否定し,四教の上に密教をおいて五教教判をうち立て,みずから天台宗を改めて真言宗と称する。すなわち,一仏,一時,一処,一教をたてて,三世十方一切の仏教を摂するもので,大日如来によって諸仏菩薩の説法の時処は包含され,いっさいの教法は真言の一教に摂取されると説く。ここに真言宗は,天台宗を含めた諸宗を超越するものとして位置づけられる。さらに東密については空海の〈十住心論〉〈顕密論〉を論破して台密の優位を主張する。安然の教学をもって台密は完成し,以後これを超える教学は出なかった。主要な著作に《悉曇蔵》《教時問答》《教時諍論》《菩提心義抄》などがある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「安然」の意味・わかりやすい解説

安然
あんねん
(841―915?)

平安中期の天台僧。最澄(さいちょう)の苗裔(びょうえい)。生地は出羽(でわ)(山形・秋田県)とも相模(さがみ)(神奈川県)ともいわれるが近江(おうみ)(滋賀県)の人か。慈覚(じかく)大師円仁(えんにん)、遍昭(へんじょう)僧正などより顕密の秘法を受け、884年(元慶8)元慶寺座主(がんぎょうじざす)となる。晩年は叡山(えいざん)五大院に住したので五大院先徳と称され、また阿覚(あかく)大師とも称される。示寂地にも諸説あり、餓死したともいわれる。『教時諍論(きょうじじょうろん)』2巻、『教時問答』4巻、『悉曇蔵(しったんぞう)』8巻、『普通授菩薩戒(ぼさつかい)広釈』3巻など100余部を著し、円仁、円珍の後を受けて天台密教を体系化し、真言宗の東密(とうみつ)に対する台密(たいみつ)を大成した。

[中尾良信 2017年5月19日]

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朝日日本歴史人物事典 「安然」の解説

安然

没年:没年不詳(没年不詳)
生年:承和8(841)
平安初期の天台宗の僧,天台密教の大成者。一説に延喜1(901)年頃没。五大院大徳,後世に阿覚大師と尊称される。近江国(滋賀県)の人,最澄の俗系とも伝える。幼時に叡山に登り,円仁の弟子となって顕密を学び,のちに道海,長意,湛契(高向公輔)から三部大法(胎蔵界,金剛界,蘇悉地)を受け,悉曇を学び,元慶寺の遍昭のもとで研鑽をつんだ。入唐求法を志し,貞観19(877)年食糧と駅馬を給されて大宰府に向かったが果たせなかった。元慶8(884)年遍昭が朝廷に願い出て,元慶寺に伝法阿闍梨位が置かれることになり,惟首と共に任じられて密教を教授している。以後の安然は,叡山五大院を住房として,伝法と著作活動に専念したらしい。円仁,円珍の天台宗密教化を推し進めて,大日如来を諸仏菩薩の最高位に置き,一切の教法は真言の一教に摂取され,天台宗も包括されると説き,さらに空海の「十住心論」「顕密論」および諸宗の教学を論破して,台密を優位に置き,天台宗における密教の位置を明確にして教学体系を完成させた。入寂の地は叡山西塔,近江国近松寺,出羽国(山形県)立石寺,時沢などの諸説があって確定しない。<著作>『悉曇蔵』『教時問答』『菩提心義抄』<参考文献>虎関師錬『元亨釈書』,『園城寺伝記』,橋本進吉「安然和尚事蹟考」(『史学雑誌』20編8号),上杉文秀『日本天台史』

(西口順子)

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百科事典マイペディア 「安然」の意味・わかりやすい解説

安然【あんねん】

五大院大徳,密教大師とも。近江(おうみ)の人。最澄(さいちょう)と同姓の出身という。円仁(えんにん),遍昭(へんじょう),円珍(えんちん)について天台宗の密教を学び,その教義の大成に努力,台密(たいみつ)教学を完成させた。入唐(にっとう)を志したが不成功。元慶(がんぎょう)寺に住した。著書《教時問答》《菩提(ぼだい)心義抄》《悉曇蔵(しったんぞう)》《八家秘録》など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安然」の解説

安然 あんねん

841-? 平安時代前期-中期の僧。
承和(じょうわ)8年生まれ。天台宗。近江(おうみ)(滋賀県)の人。最澄の同族。比叡(ひえい)山の円仁(えんにん)に師事,のち元慶(がんぎょう)寺の遍昭(へんじょう)にまなぶ。元慶8年元慶寺座主,伝法阿闍梨(あじゃり)。天台密教の教義を大成した。没年は延喜(えんぎ)15年(915)ごろともいわれる。通称は五大院大徳,阿覚大師。著作に「悉曇(しったん)蔵」「教時諍論(じょうろん)」など。

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普及版 字通 「安然」の読み・字形・画数・意味

【安然】あんぜん

ゆっくり。

字通「安」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の安然の言及

【悉曇蔵】より

…平安時代の僧,安然の著で,日本における古代悉曇学の集大成。8巻。…

【密教】より

…この課題は,弟子の慈覚大師円仁,智証大師円珍らに継承され,彼らは相次いで入唐して組織的な密教を将来した。安然(あんねん)は,天台系の密教の大成者といわれる。天台系の密教は,両部に《蘇悉地経》を加えた三部の相承を基本とする点を特色とし,東密に対して台密と呼ばれる。…

※「安然」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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