平安前期の天台宗の僧。天台密教(台密)の大成者。五大院先徳,後世阿覚大師と尊称される。近江国の人。最澄の俗系とも伝える。幼時に叡山にのぼり,円仁の弟子となって顕密を学び,後に道海,長意,湛契(高向公輔)から三部大法(胎蔵界,金剛界,蘇悉地)を受け,悉曇(しつたん)を学んだ。入唐求法を志し,877年(元慶1)官符が下されて大宰府に行くための食料と駅馬が給されたが,入唐は果たされなかった。882年遍昭について受法し,884年遍昭の奏請で伝法阿闍梨(あじやり)が置かれることになり,門弟の中から惟首,安然の2名が任じられた。以後の安然については,叡山五大院を住房として,伝法と著作活動に専念したことしかわかっていない。没年は不詳であるが,延喜初年ころと考えられ,入寂の地は叡山西塔,近江国近松寺,出羽国時沢などと伝えるが明らかでなく,安然に先立って相模国に同名の僧侶の存在が知られ,伝承に混乱を生じている。安然は円仁,円珍によって進められてきた天台宗密教化のあとをうけて,課題となっていた天台宗における密教の位置を明確にし,新しい教学体系を完成させた。円珍が主張した密教優位の立場をさらに発展させ,密教の中に天台宗も包含されるとして,天台の伝統であった四教教判を否定し,四教の上に密教をおいて五教教判をうち立て,みずから天台宗を改めて真言宗と称する。すなわち,一仏,一時,一処,一教をたてて,三世十方一切の仏教を摂するもので,大日如来によって諸仏菩薩の説法の時処は包含され,いっさいの教法は真言の一教に摂取されると説く。ここに真言宗は,天台宗を含めた諸宗を超越するものとして位置づけられる。さらに東密については空海の〈十住心論〉〈顕密論〉を論破して台密の優位を主張する。安然の教学をもって台密は完成し,以後これを超える教学は出なかった。主要な著作に《悉曇蔵》《教時問答》《教時諍論》《菩提心義抄》などがある。
執筆者:西口 順子
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平安中期の天台僧。最澄(さいちょう)の苗裔(びょうえい)。生地は出羽(でわ)(山形・秋田県)とも相模(さがみ)(神奈川県)ともいわれるが近江(おうみ)(滋賀県)の人か。慈覚(じかく)大師円仁(えんにん)、遍昭(へんじょう)僧正などより顕密の秘法を受け、884年(元慶8)元慶寺座主(がんぎょうじざす)となる。晩年は叡山(えいざん)五大院に住したので五大院先徳と称され、また阿覚(あかく)大師とも称される。示寂地にも諸説あり、餓死したともいわれる。『教時諍論(きょうじじょうろん)』2巻、『教時問答』4巻、『悉曇蔵(しったんぞう)』8巻、『普通授菩薩戒(ぼさつかい)広釈』3巻など100余部を著し、円仁、円珍の後を受けて天台密教を体系化し、真言宗の東密(とうみつ)に対する台密(たいみつ)を大成した。
[中尾良信 2017年5月19日]
(西口順子)
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…平安時代の僧,安然の著で,日本における古代悉曇学の集大成。8巻。…
…この課題は,弟子の慈覚大師円仁,智証大師円珍らに継承され,彼らは相次いで入唐して組織的な密教を将来した。安然(あんねん)は,天台系の密教の大成者といわれる。天台系の密教は,両部に《蘇悉地経》を加えた三部の相承を基本とする点を特色とし,東密に対して台密と呼ばれる。…
※「安然」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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