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栗山潜鋒 くりやませんぽう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

栗山潜鋒
くりやませんぽう

[生]寛文11(1671).山城,淀
[没]宝永3(1706).4.7. 江戸
江戸時代中期の儒者,史学者。名は愿。字は伯立。通称は源介。潜鋒は号。山崎闇斎の門下桑名松雲に学ぶ。元禄1 (1688) 年,後西天皇の皇子八条宮尚仁親王の侍読となり,著書『保建大記』を献上。

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デジタル大辞泉の解説

くりやま‐せんぽう【栗山潜鋒】

[1671~1706]江戸中期の儒学者。山城の人。名は愿。山崎闇斎の門下。徳川光圀に招かれ、「大日本史」の編纂に従事。著「保建大記」「倭史後編」など。

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百科事典マイペディアの解説

栗山潜鋒【くりやませんぽう】

江戸中期の儒者,史学者。名は愿(すなお),字は伯立(はくりゅう)。山城(やましろ)国淀(よど)藩の儒者長沢良節(りょうせつ)の子。若年にして奇才を称せられ,18歳で《保平綱史(ほうへいこうし)》(のちの《保建大記(ほうけんたいき)》)を著す。
→関連項目大日本史

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

栗山潜鋒 くりやま-せんぽう

1671-1706 江戸時代前期の儒者。
寛文11年生まれ。京都で山崎闇斎(あんさい)門下の桑名松雲にまなび,尚仁親王の侍読となる。元禄(げんろく)6年から常陸(ひたち)水戸藩につかえ,彰考館で「大日本史」の編修にあたる。10年27歳で彰考館総裁となった。宝永3年4月7日死去。36歳。山城(京都府)出身。本姓は長沢。名は愿。字(あざな)は伯立。通称は源介。別号に拙斎。著作に「保建大記」「倭史後編」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

栗山潜鋒

没年:宝永3.4.7(1706.5.18)
生年:寛文11(1671)
江戸中期の儒学者。水戸藩士。名は愿,字は伯立,通称は源介,潜鋒また拙斎と号した。山城国(京都)の人。貞享1(1684)年京都で崎門学者桑名松雲に学ぶ。元禄6(1693)年江戸へ出て藩主徳川光圀に仕え,彰考館に入って『大日本史』編纂に従事。8年大番組で200石。10年には小納戸役に進み,27歳で彰考館総裁に抜擢された。13年光圀が死去すると中村篁渓と共に葬儀を掌り,義公という諡号の決定にも関与した。保元から建久に至る歴史を論じた主著『保建大記』は名高い。ほかに『倭史後編』などの著がある。<参考文献>吉田一徳『大日本史紀伝志表撰者考』,『水戸市史』中巻(1)

(鈴木暎一)

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世界大百科事典 第2版の解説

くりやませんぽう【栗山潜鋒】

1671‐1706(寛文11‐宝永3)
江戸中期の史学者。名は愿(すなお),字は伯立,通称は源介,潜鋒は号。山城国淀藩の儒者長沢良節の子で,初め成信と称した。18歳のとき《保平綱史》(のちの《保建大記(ほうけんたいき)》)を著し八条宮尚仁親王に献じた。1693年(元禄6)水戸藩に仕えて徳川光圀の厚い信頼を受け,27歳で彰考館総裁となり,《大日本史》編纂に尽力した。ほかに《弊帚集》《倭史後編》などの著書がある。【鈴木 暎一】

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大辞林 第三版の解説

くりやませんぽう【栗山潜鋒】

1671~1706) 江戸中期の儒者。名は愿すなお。山城の人。徳川光圀に招かれ、「大日本史」の編纂に従事。彰考館総裁。著「保建大記」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

栗山潜鋒
くりやませんぽう
(1671―1706)

江戸中期の歴史家。名は愿(げん)、通称源八、潜鋒のほか伯立、拙斎(せっさい)などの号がある。父は山城国(やましろのくに)(よど)藩の学者長沢良節。14歳のとき京都に出て崎門(きもん)学派の桑名松雲(しょううん)に学んだ。1693年(元禄6。一説に元禄5)23歳で水戸(みと)藩に仕え、彰考館(しょうこうかん)編修として『大日本史』の編纂(へんさん)に従った。水戸前藩主徳川光圀(みつくに)の信頼厚く抜擢(ばってき)され、27歳の若さで彰考館総裁となった。36歳で没し、江戸駒込(こまごめ)の竜光寺に葬られた。著書に『保建大記』『倭(わ)史後編』、文集に『弊帚(へいそう)集』などがある。[瀬谷義彦]
『平泉澄著「栗山潜鋒と谷秦山」(平泉澄著『国史学の骨髄』所収・1932・至文堂) ▽久野勝弥著「潜鋒栗山愿」(水戸史学会編『水戸史学先賢伝』所収・1984・水戸史学会)』

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世界大百科事典内の栗山潜鋒の言及

【保建大記】より

…江戸前期の儒者栗山潜鋒の著。2巻。…

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