中国、河南(かなん)省北端にある地級市。4市轄区、内黄(ないこう)など3県を管轄し、林州(りんしゅう)市の管轄代行を行う(2016年時点)。人口611万4000(2014)。1949年、安陽県の市街部を母体に市に昇格した。京広線と京広高速鉄道、晋豫魯(しんよろ)鉄道(呂梁(りょりょう)―日照(にっしょう))が通過し、崗子窰(こうしよう)(邯鄲(かんたん)市磁(じ)県)へ通じる安李(あんり)線の起点でもある。2016年には、晋豫魯鉄道と安李線とを結ぶ連絡鉄道の建設が始まった。石炭や鉄鉱石を産することから、安陽鋼鉄集団の中型鉄鋼コンビナートがあるほか、農業機械、工作機械、電機工業などが発達している。また、黄河(こうが)流域ワタ作区の主産地にあり、ワタや小麦の集散地である。
西郊の小屯(しょうとん)村には殷(いん)の都の跡である殷墟(いんきょ)(2006年世界遺産の文化遺産に登録)があり、甲骨文が多数出土したことは有名である。秦(しん)代に安陽県が置かれ、北周の時代に鄴(ぎょう)県に変わったが、隋(ずい)代以降ふたたび安陽県となった。五代においては彰徳軍、明(みん)・清(しん)代には彰徳府が置かれたため、中華人民共和国成立前まで彰徳と俗称された。
[駒井正一・編集部 2017年12月12日]
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中国河南省の市で,商(殷(いん))の時代の後期の都があった。19代の王盤庚(ばんこう)が殷に遷ってから最後の紂王(ちゅうおう)までここに都が置かれたので,秦漢以来殷墟(いんきょ)と呼ばれている。項羽(こうう)が秦の将軍章邯(しょうかん)と殷墟で会盟している。歴史的な地名の安陽は,春秋・戦国時代の青銅製の布銭に記されているが,場所は複数あり特定できない。魏晋から殷墟の地が安陽県となった。安陽市小屯(しょうとん)村の洹河(えんが)南岸には宮殿,北岸の武官村には墓などの遺跡がみられ,甲骨文字も大量に発見されている。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…中国,河南省の北東部,東と南とを黄河に囲まれた地域の古名。だいたい今日の安陽・新郷2地区を占め,古代文化の発生地の一つである。戦国時代には魏国の領土で,漢代その西部に河内郡がおかれ,のち懐州とも称し,明・清時代には懐慶府といわれた。…
…それは彩色土器という特色のある土器をともなう文化で,当時すでに稲作の行われていたことも知られている。歴史時代に入ると,安陽の殷墟は最初の甲骨文字の出土地として有名で,殷代後期の都の所在地であった。今日の省都である鄭州はそれに先立つ殷代中期の代表的遺跡で,広大な城壁の存在が当時の都であったことを示している。…
※「安陽」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
東海沖から九州沖の海底に延びる溝状の地形(トラフ)沿いで、巨大地震発生の可能性が相対的に高まった場合に気象庁が発表する。2019年に運用が始まった。想定震源域でマグニチュード(M)6・8以上の地震が...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新