宗安寺(読み)そうあんじ

日本歴史地名大系 「宗安寺」の解説

宗安寺
そうあんじ

[現在地名]彦根市本町二丁目

弘誓山天白院と号し、浄土宗。俗に赤門あかもん寺ともいう。本尊阿弥陀如来立像(県指定文化財)は胎内に阿弥陀経などを納め、文永七年(一二七〇)閏九月一日仏子阿澄の奥書を有する。天保七年(一八三六)の彦根城下絵図(彦根市立図書館蔵)では元川もとかわ町の西、上魚屋かみうおや町の南裏手に広い境内がみえる。彦根藩祖井伊直政の室東梅院の両親の菩提所。初め上野箕輪みのわ(現群馬県箕郷町)にあって安国寺と称したが、直政の移封に伴い高崎たかさき(現同県高崎市)を経て、慶長六年(一六〇一)佐和山さわやま(現彦根市)南麓に移り、宗安寺と改称した。

宗安寺
そうあんじ

[現在地名]高知市宗安寺

南流するかがみ川の西岸、小高い地に緑に囲まれている。臨済宗妙心寺派。朝日山と号し、本尊は釈迦如来。天和年間(一六八一―八四)の火災で旧記は失われたが、寺伝では大同二年(八〇七)の開創といい、古来、長浜の雪蹊ながはまのせつけい寺、五台ごだい山の吸江ぎゆうこう寺と並ぶ土佐の臨済宗三大禅寺の一であった。戦国時代には朝倉あさくら城主本山梅慶の菩提寺となった。本山氏滅亡後も長宗我部氏に保護されたようで、天正一七年(一五八九)の朝倉庄地検帳によると、寺中一反四四代二歩で宗安寺村のほとんどが宗安寺分であり、尾立ひじ村・朝倉村などにも寺領を有している。

宗安寺
そうあんじ

[現在地名]久留米市寺町

寺町てらまち通の東側に連なる寺院の最も南にある。北側は本泰ほんたい寺。広岳山と号し、浄土宗。本尊は阿弥陀如来。元和七年(一六二一)柳川玉樹ぎよくじゆ院の前住莫伝が寺町に寺地拝領して開かれたとも(校訂筑後志)、元和元年乗誉の創建ともいう(久留米市誌)。鎮西派善導ぜんどう寺末。久留米藩初代藩主有馬豊氏が島原の乱の際、当寺の隠室に宿陣して兵を集め、凱旋のとき褒美として当寺が草創されたという(校訂筑後志)

宗安寺
そうあんじ

[現在地名]浜松市市野町

近世の本坂通から北方約一キロ、小字本村ほんむらにある。万松山と号し、曹洞宗。本尊は十一面観音。永禄元年(一五五八)可睡斎(現袋井市)九世潜龍慧湛の開山とされる。実質的にはその弟子市野いちのの旧家大村氏によって開かれ、これを当地に屋敷を有した幕府代官市野真久が援助したという。近世の寺領は一三石六斗余(松平忠頼領郷村帳など)、末寺二二ヵ寺を有した(遠江国風土記伝)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「宗安寺」の解説

宗安寺

滋賀県彦根市にある浄土宗の寺院。山号は弘誓山、院号は天白院。本尊は阿弥陀如来。群馬県にあった安国寺が、井伊直政の移封に伴い移転して改称したもの。赤門寺とも呼ばれる。

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