明治時代の政治結社。2度結成された。
(1)自由民権政社。征韓論に敗れて下野した前参議板垣退助,後藤象二郎,副島種臣,江藤新平や政府高官の由利公正,岡本健三郎,小室信夫,古沢迂郎(滋)が新しい反政府運動を起こそうとして1874年1月12日に結成した。〈天の斯民を生ずるや,之に附与するに一定動かすべからざるの通議権理を以てす。……同志の士と相誓ひ,以て我人民の通議権理を主張し,以て其天賜を保全せんと欲す。即ち君を愛し国を愛するの道なり〉という〈本誓〉をかかげ,1月17日には民撰議院設立建白書を政府に提出し新聞に公表して,自由民権運動の口火をきった。江藤が佐賀の乱に走ったため結社は事実上崩壊。75年2月愛国社となる。
(2)民権派の大同団結運動の主唱者後藤象二郎が1889年3月黒田清隆内閣に入閣するに及んで大同団結運動は分裂の危機を迎えた。板垣退助はこの分裂を回避するため,89年12月に愛国公党の結成をよびかけた。だが,大井憲太郎ら大同協和会はそれを拒否して90年2月に自由党の再興大会を開き,また河野広中ら大同俱楽部も同調しなかった。そこで板垣,植木枝盛,栗原亮一らが中心となって愛国公党を組織し,地租軽減,保安条例廃止,新聞出版集会条例改正,条約改正などをかかげて5月5日に結党大会を開いた。だが,同時に三派の融合運動も進められて5月14日にはその合同を目ざす庚寅俱楽部が生まれ,8月4日愛国公党と自由党は解散し,8月27日に三派が合同した立憲自由党が結党された。
執筆者:後藤 靖
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(1)1874年(明治7)1月12日結成された自由民権政治結社。征韓論に敗れて下野した前参議の板垣退助(たいすけ)、後藤象二郎(しょうじろう)、副島種臣(そえじまたねおみ)、江藤新平(しんぺい)らが中心になって結成し、民撰(みんせん)議院設立建白書を左院に提出、士族および豪農商の代表者からなる議会を設立せよと主張した。しかし、江藤が佐賀の乱(1874)に加担したため、この結社は崩壊した。
(2)1890年(明治23)5月、板垣退助らが組織した政党。大同団結運動は、後藤象二郎が黒田清隆(きよたか)内閣に入閣したのを契機に分裂した。板垣は分裂を阻止しようとしたが果たさず、1889年12月に愛国公党の結成を決意し、翌年5月5日創立大会を開いた。板垣は大同協和会および大同倶楽部(くらぶ)との合同を望み、5月15日に3派は庚寅(こういん)倶楽部を組織し、愛国公党は8月に解党した。第1回総選挙後に立憲自由党となる。
[後藤 靖]
『板垣退助編『自由党史』(岩波文庫)』▽『後藤靖著『天皇制形成期の民衆闘争』(1980・青木書店)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
1874年(明治7)1月,征韓論争に敗れて下野した板垣退助・後藤象二郎・副島(そえじま)種臣・江藤新平と,政府高官の由利公正(きみまさ)や小室信夫・古沢滋(しげる)らが東京で結党した政治結社。民撰議院設立建白書を左院に提出し,国民的な運動としての自由民権運動の出発点となる。75年には解党。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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