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愛国公党 あいこくこうとう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

愛国公党
あいこくこうとう

日本の政党。 1874年1月,征韓論に敗れて下野した副島種臣後藤象二郎板垣退助江藤新平の前参議ヨーロッパより帰国した由利公正小室信夫岡本健三郎,古沢滋らとともに結成した日本最初の政党。

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愛国公党
あいこくこうとう

日本の政党。 1890年5月,板垣退助が主唱して結成した政党。後藤象二郎の入閣によって大同団結運動大同倶楽部大同協和会 (のち「再興自由党」と改称) の2つに分裂したのをみた板垣は,最初自由党の名のもとにこれを統一しようとしたが,結局不可能と判断して愛国公党の結成に方向を転じた。

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デジタル大辞泉の解説

あいこく‐こうとう〔‐コウタウ〕【愛国公党】

明治7年(1874)板垣退助らを中心に結成された日本最初の政党。天賦人権論自由思想を唱え、自由民権運動の口火を切ったが、佐賀の乱後消滅。
明治23年(1890)大同団結運動の分裂後、板垣退助が組織した政党。同年、立憲自由党に発展。

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百科事典マイペディアの解説

愛国公党【あいこくこうとう】

(1)征韓論に敗れた板垣退助後藤象二郎らが,1874年1月東京で結成した日本最初の政党。民撰議院設立建白を提出して自由民権運動の口火を切るが,自然消滅。(2)大同団結運動分裂後の,1889年12月に板垣退助が組織した政党。
→関連項目植木枝盛小室信夫坂崎紫瀾自由党(日本)林有造

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世界大百科事典 第2版の解説

あいこくこうとう【愛国公党】

明治時代の政治結社。2度結成された。(1)自由民権政社。征韓論に敗れて下野した前参議板垣退助,後藤象二郎副島種臣江藤新平や政府高官の由利公正,岡本健三郎,小室信夫,古沢迂郎(滋)が新しい反政府運動を起こそうとして1874年1月12日に結成した。〈天の斯民を生ずるや,之に附与するに一定動かすべからざるの通議権理を以てす。……同志の士と相誓ひ,以て我人民の通議権理を主張し,以て其天賜を保全せんと欲す。

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大辞林 第三版の解説

あいこくこうとう【愛国公党】

日本の最初の政党。1874年(明治7)征韓論で下野した板垣退助・江藤新平らが結成。民撰議院設立建白書を左院に提出して自由民権運動の口火を切ったが、約三か月で消滅。
1890年(明治23)板垣退助が組織した政党。第一回総選挙後、自由党・大同俱楽部と合同して立憲自由党となる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

愛国公党
あいこくこうとう

(1)1874年(明治7)1月12日結成された自由民権政治結社。征韓論に敗れて下野した前参議の板垣退助(たいすけ)、後藤象二郎(しょうじろう)、副島種臣(そえじまたねおみ)、江藤新平(しんぺい)らが中心になって結成し、民撰(みんせん)議院設立建白書を左院に提出、士族および豪農商の代表者からなる議会を設立せよと主張した。しかし、江藤が佐賀の乱(1874)に加担したため、この結社は崩壊した。
(2)1890年(明治23)5月、板垣退助らが組織した政党。大同団結運動は、後藤象二郎が黒田清隆(きよたか)内閣に入閣したのを契機に分裂した。板垣は分裂を阻止しようとしたが果たさず、1889年12月に愛国公党の結成を決意し、翌年5月5日創立大会を開いた。板垣は大同協和会および大同倶楽部(くらぶ)との合同を望み、5月15日に3派は庚寅(こういん)倶楽部を組織し、愛国公党は8月に解党した。第1回総選挙後に立憲自由党となる。[後藤 靖]
『板垣退助編『自由党史』(岩波文庫) ▽後藤靖著『天皇制形成期の民衆闘争』(1980・青木書店)』

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