屋島城(読み)やしまじょう

改訂新版 世界大百科事典 「屋島城」の意味・わかりやすい解説

屋島城 (やしまじょう)

讃吉(岐)国山田郡に築かれたいわゆる朝鮮式山城の一つ。《日本書紀》天智6年(667)11月条にみえ,大和の高安たかやす)城,対馬金田(かなだ)城とともに,朝鮮半島における白村江の敗戦後の国内防備のために築城された。現状は明確ではないが,現在の高松市屋島の北嶺南嶺の谷部西側に残る塁状遺構が屋島城にかかわる遺跡といわれている。塁状遺構は1980年の測量調査によれば,標高100~110mの斜面に塊石,板石を谷部をふさぐように積んだもので約90mが残る。上端幅約4m,基底幅約9mで,勾配をもって積まれ,1.5~4mの高さがある。水門や城門は崩壊がはげしく明確でない。
山城(さんじょう)
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百科事典マイペディア 「屋島城」の意味・わかりやすい解説

屋島城【やしまじょう】

香川県高松市屋島の北嶺にある古代朝鮮式山城(さんじょう)。国指定史跡。《日本書紀》の667年の記事に讃岐国山田郡の屋島城などを築くとあり,663年の白村江(はくそんこう)の戦で敗れたのち国内防備のために築造された。中世まで屋島は切り立った絶壁に囲まれた島で,標高100m前後の地点に基底部幅約15m,高さ外側約12m・内側約2mの石塁(せきるい)総延長45mのほか,水門跡と推定される痕跡などがある。→高安城

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「屋島城」の意味・わかりやすい解説

屋島城
やしまじょう

香川県高松市東北部の屋島に築かれた城。7世紀白村江戦いののち,天智天皇は唐,新羅侵攻に備え,天智6(667)年に讃岐の屋島に城を築いた。のち 12世紀の源平合戦(→治承の内乱)のときには,京都から西走した平氏が元暦1(1184)年2月の摂津一ノ谷の戦いに敗れて屋島城に拠った。しかし翌年 2月,源義経のために城を落とされ,長門に逃れた。

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