山中温泉(読み)やまなかおんせん

日本歴史地名大系 「山中温泉」の解説

山中温泉
やまなかおんせん

[現在地名]山中町湯の出町

水無みずなし山の東麓に湧出する無色透明の石膏芒硝性の温泉で、泉源の総湯(現共同浴場)を中心に江戸時代以来温泉街が形成されている。泉源温度摂氏四八・二度、カルシウムナトリウムなどを含む硫酸塩泉で、弱アルカリ反応を示す。山中温泉縁起(医王寺文書)によると天平年間(七二九―七四九)行基によって発見され、狩野遠久がこの湯を守り、さらに治承年間(一一七七―八一)長谷部信連によって再興されたという。確実な史料では蓮如御文に「文明第五九月下旬第二日至于巳之刻加州山中湯治之内書集之訖」とあり、越前吉崎よしさき(現福井県金津町)に移っていた蓮如が山中で湯治している。付近には蓮如にかかわる伝承が多く、この地域の旧仏教系寺院の大半が、その来錫によって真宗に改宗したと伝える。なお「蓮如上人仰条々」によれば、蓮如より「山中ノ湯」が中風に効くと聞いた島田しまだ(現小松市か)の唯道は、山科本願寺から直接当地に至り、三日三晩入り続けたという。天正八年(一五八〇)八月には柴田勝家が当地での乱妨狼藉・陣取・伐木などを禁じて温泉を保護している(北徴遺文)。「梵舜日記」によると慶長八年(一六〇三)豊国とよくに神社(現京都市東山区)の社僧神龍院梵舜は、兄吉田兼見の女房衆とともに山中湯に湯治に出かけ、九月八日から一四日間も滞在している。この頃には相当著名になっていたようである。

〔湯ざやと湯本〕

近代まで温泉街の湯宿には内湯がなく、浴客は湯ざや(総湯)で入湯するか汲湯をして各宿に持帰って入った。湯ざやに本格的な浴室が建てられたのは元和七年(一六二一)とみられ(「湯方品々留書」田向文書)、明和四年(一七六七)の湯御普請一巻(南保文書)によると建物は梁行五間二尺・桁行七間で外濠をめぐらし、浴漕は男女別で上湯・下湯・三番湯に分けられていた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「山中温泉」の意味・わかりやすい解説

山中温泉
やまなかおんせん

石川県南部、加賀市(かがし)にある温泉。加賀温泉郷の一つ。大聖寺(だいしょうじ)川沿いにあり、中世地頭(じとう)長谷部信連(はせべのぶつら)が傷ついた白サギの浴するのをみて再興したと伝える。蓮如(れんにょ)や芭蕉(ばしょう)も入湯した。泉質は硫酸塩泉。渓流沿いに遊歩道があり、また民謡山中節」を伝える。JR北陸本線加賀温泉駅からバスの便がある。

[矢ヶ崎孝雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山中温泉」の意味・わかりやすい解説

山中温泉
やまなかおんせん

石川県南西部,加賀市中部にある温泉。加越山地に発する大聖寺川の谷にあり,川岸旅館が軒を並べる。北陸の有名な観光温泉地の一つ。8世紀に僧行基が発見したといわれ,古くから名湯として知られる。泉質は硫酸塩泉。泉温は 50℃前後。付近には鶴仙渓の渓谷美,スキー場があり,上流には我谷ダムがあって,年間を通じて観光客を集める。温泉みやげに始められた山中塗と民謡山中節で知られる。加賀温泉郷に属する。

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デジタル大辞泉プラス 「山中温泉」の解説

山中温泉

石川県加賀市にある温泉地。泉質は硫酸塩泉。一帯は鶴仙渓の景勝地。約1300年前の開湯とされる歴史ある温泉地で、松尾芭蕉も訪れている。地域団体商標

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事典・日本の観光資源 「山中温泉」の解説

山中温泉

(石川県加賀市)
日本百景」指定の観光名所。

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