大正・昭和期の漫画家,画家
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漫画家。北海道函館(はこだて)に生まれる。3歳のときから東京・京橋で育ち、1903年(明治36)商工中学校を卒業後、武内桂舟(けいしゅう)、徳永柳州、藤島武二(たけじ)について洋画の指導を受けた。06年東京美術学校西洋画科に入学、在校中帝展へ『トンネル横町』を出品入選した。10年美校卒業後、和田英作のもとで新築の帝国劇場の天井画、舞台背景・装置の仕事に携わり、ついで12年東京朝日新聞社に入社、漫画に筆を振るった。その洒脱(しゃだつ)で洗練された画調と、人間味に富んだユーモラスな文章は大衆の人気を集めた。また権力に抗する庶民的な感覚は、政治漫画において鋭く発揮され、それまでポンチ絵と見下されていた漫画を庶民の芸術として認めさせ、今日一般化した社会・政治風刺の漫画、戯画の先鞭(せんべん)をなす功績を残した。著書に『世界漫画漫遊』『弥次喜多(やじきた)再興』(ともに1924)『一平全集』全15巻(1929~30)などがある。小説家、歌人として有名な岡本かの子はその妻、画家岡本太郎は息子。
[永井信一]
漫画家。函館に生まれる。妻のかの子は小説家,子の太郎は画家。藤島武二に師事,1910年東京美術学校西洋画科卒業,帝国劇場の舞台美術に従事したが,12年東京朝日新聞社に入社し,漫画を描く。人間生活の機微にふれた鋭い描写と軽妙な警句(漫文)によって従来のポンチ絵的な漫画の形式を一変させ,また政治漫画にも一時期を画する。19年ころより妻かの子とともに参禅し,その作風にも仏教の影響があらわれる。22年ヨーロッパに遊び,24年《世界漫画漫遊》を出版。また文壇風刺の《文芸漫画》に才筆をふるうなど,漫画の芸術化,現代化に努めた。《一平全集》15巻がある。
執筆者:匠 秀夫
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…かの子は兄の影響をうけ,《明星》に新体詩や和歌を発表,《スバル》の同人にもなった。1910年に画家岡本一平と結婚したが,性格上の衝突など夫婦間の問題に悩み,ついに仏教にたどり着く。この間,《青鞜》に参加,また《かろきねたみ》(1912),《愛のなやみ》(1918)などの歌集を刊行した。…
…英仏漫画家の政治風刺は,日本人に刺激を与え,《団々珍聞(まるまるちんぶん)》に本多錦吉郎,小林清親の時事漫画があらわれ,《時事新報》の北沢楽天(1876‐1955)が,1905年に漫画雑誌《東京パック》を創刊するに至って,政治風刺を主眼とする漫画の流れがあらわれた。その際に,《鳥獣戯画》をはじめ《地獄草紙》《餓鬼草紙》《病草紙》,江戸時代に入っての浮世絵,大津絵,鳥羽絵,さらに南画,禅画等における漫画的手法が掘り起こされて,大正時代に入っての岡本一平,近藤浩一路,池部鈞,前川千帆,宮尾しげをの漫画があらわれる。岡本一平が1921年に《朝日新聞》に連載した《人の一生》は漫画入り小説として日本最初の作である。…
※「岡本一平」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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