明治〜昭和期の気象学者 中央気象台長;東京帝国大学教授。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
気象学者。千葉県布佐(ふさ)(我孫子(あびこ)市)に生まれる。1899年(明治32)東京帝国大学物理学科卒業後、中央気象台に入り、1904年(明治37)予報課長となり、翌年の日本海海戦時の予報を担当した。1920年(大正9)海洋気象台台長(神戸)、1923年から第4代中央気象台台長と海洋気象台台長を兼任した。日本の気象学、気象事業の育ての親で、学位論文となった『梅雨(ばいう)論』のほか、日本の気候、東北凶冷の研究などが有名。全国の気象官署の国営化、暴風警報と海洋観測法の確立などの事業を成し遂げ、また中央気象台附属測候技術官養成所(気象大学校の前身)を設立した。著書の『気象学講話』(1908)、『雨』(1916)、『気象学』(1927)、『気象器械学』(1931)などは版を重ね、後進に多大な影響を与えた。1949年(昭和24)文化勲章受章。
[根本順吉]
気象学者。第4代中央気象台台長。千葉県布佐生れ。1899年に東京帝国大学理科大学物理学科を卒業,ただちに中央気象台に入った。1904年には予報課長となり,日本海海戦のおりの天気予報を出した。20年には神戸に海洋気象台を創設し,その台長となり,23年には中央気象台台長となり,41年まで在職した。行政的手腕に優れ,1910年には諸外国に先がけ,無線による海上の気象電報の交換をはじめるなど,日本の気象事業の発展につくし,日本の海洋学,地震学の発展にも貢献した。予報と関連し,東北凶冷,台風発生などの研究を行い,10年には〈梅雨論〉を出し,翌年これにより理学博士の学位をえた。博学で《気象学》など多くの著書を出し,日本の気象学の発展に大きく貢献した。24年にはイギリス王立気象学会からサイモンズ金牌を贈られ,31年には帝国学士院会員となり,49年には文化勲章を授与された。
執筆者:高橋 浩一郎
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…明治時代には産業気象的なものが多かったが,87年に出された北尾次郎の颶風に関する論文は,これを力学的に解析したもので,世界第一級のものであった。1908年には岡田武松は《気象学講話》を自費出版し,教科書として使用され日本の気象学の基礎づくりに大きく貢献した。また,彼はこの頃,梅雨を論じたが,これは第2次世界大戦後,大気大循環の立場から新しい進展を見た。…
※「岡田武松」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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