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福岡県八女市吉田に所在する前方後円墳。空濠らしき周濠がめぐり,後円部の後方の堤外に方形の別区がある。全長135m,後円部径60m,前方部幅92mをはかり,九州では屈指の大型古墳である。江戸時代末に矢野一貞が著した《筑後将士軍談》によれば,前方部後円部ともに石室の痕跡があったという。ただし,この点について現在では異論もある。墳丘には埴輪を樹立し,埴輪列の内側に,阿蘇泥溶岩の凝灰岩製の石人石馬を配したらしい。また,別区にも埴輪や石人石馬の樹立をみる。石人石馬はおもに九州西部に分布するが,岩戸山古墳のそれは,多種多数にわたる点で,群を抜く。《筑後国風土記》が詳述する,上妻県(かみつやめあがた)の筑紫君磐井の墳墓には,岩戸山古墳をあてるのがふさわしい。磐井が528年(継体22)に誅せられたおり,石人石馬が打ちこわされたという。この伝承が正しいなら,岩戸山古墳は存命中に築かれたことになる。
執筆者:川西 宏幸
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福岡県八女(やめ)市吉田にある前方後円墳。八女市北部の東西に延びる人形原(にんぎょうばる)台地の中央に位置している。近くには武装石人が立っている石人山(せきじんやま)古墳、装飾古墳の乗場(のりば)古墳などがある。この古墳の規模は全長約135メートル、後円部径約60メートルで、周囲には空濠(からぼり)と周堤をもっている。注目されるのは、後円部北側に1辺43メートルの別区とよばれる施設をもつことで、ほかに例をみないものである。石人山古墳とともに江戸時代から注目され、527年(継体天皇21)に乱を起こした筑紫国造(つくしのくにのみやつこ)磐井(いわい)の墳墓地と考えられている。石人・石馬が多量に飾られており、特異な形態と絶対年代を知ることのできる古墳として一段と重要性を増している。1955年(昭和30)国の史跡に指定された。
[佐田 茂]
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福岡県八女(やめ)市吉田の八女古墳群中にある古墳後期の前方後円墳。周濠・周堤を含む総長170m,墳長135m,後円部径約60m,高さ18m。前方部も同高で幅はもっと広い。2段築成。埋葬主体は未掘で不明。北東部の周堤に1辺43mの方形の別区とよぶ造出しがある。墳丘と別区から,円筒形象埴輪や石人(せきじん)・石馬をはじめ各種の石造品が発見され,「筑後国風土記」逸文との対比から,継体天皇22年誅殺とある筑紫君磐井(いわい)の墓とされる。実年代と被葬者の判明するまれな例として貴重な古墳。国史跡。
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…《筑後国風土記》によれば,磐井の墓は上妻県(八女郡)の南2里にあり,墓の北東角には衙頭と称した一別区の存在したことがわかる。これらの点は福岡県八女市の岩戸山古墳の状況と合致しており,《筑後国風土記》のいう磐井の墓が岩戸山古墳を指すことはまちがいないところである。【川口 勝康】。…
…もっぱら阿蘇溶結凝灰岩を材料として作り,赤・青・白などの簡単な彩色をのこすものがある。分布は九州北半に集中し,福岡県に岩戸山古墳など3ヵ所,熊本県にチブサン古墳など9ヵ所,大分県に臼塚古墳など2ヵ所がある。ほかに鳥取県石馬ヶ谷(いしうまがたに)古墳にある石馬(角セン安山岩製)を,特例としてこのうちにふくめる。…
※「岩戸山古墳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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