安土(あづち)桃山時代~江戸初期の武将。天正(てんしょう)4年11月7日生まれ。父は島津義弘(よしひろ)。幼名を米菊丸(よねぎくまる)、初名を忠恒(ただつね)、通称を又八郎(またはちろう)という。1606年(慶長11)前将軍家康より「家」の字を得て家久となる。文禄(ぶんろく)の役で兄久保(ひさやす)が没し家督継承者と決まり、渡海、軍功があった。1599年義久より家督を相続し、伏見(ふしみ)で伊集院忠棟(いじゅういんただむね)を討ち、伊集院忠真(ただざね)らの庄内(しょうない)の乱を鎮圧し、1600年関ヶ原の戦いで西軍方となった父義弘の弁護に努め、1602年家康から領国を安堵(あんど)され、鹿児島に鹿児島城を築き本城とし、島津藩(鹿児島藩)の創業に成功した。1609年琉球(りゅうきゅう)を従え、1624年(寛永1)には自ら藩主妻子を江戸居住とした。寛永(かんえい)15年2月23日没。墓は鹿児島市の福昌寺(ふくしょうじ)墓地にある。
[三木 靖]
『山本正誼編『島津国史』(1972・鹿児島県地方史学会)』
(上原兼善)
(福島金治)
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安土桃山時代・江戸初期の大名。戦国大名島津義弘の三男。初名忠恒。徳川家康の1字を受け家久。従三位権中納言。法号慈眼。文禄・慶長の役で活躍,関ヶ原の戦後家康との交渉にあたり,西軍方の島津氏の地位保全に成功,外様大名として73万石を安堵された。慶長内検の実施,琉球征覇,藩主の妻子の江戸在府,有勢家臣の統制など近世薩摩藩の基盤作りに意を用いた。
執筆者:三木 靖
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1576.11.7~1638.2.23
江戸初期の大名。鹿児島藩初代藩主・島津家18代当主。日向国生れ。島津義弘の三男。初名又八郎忠恒。少将・中納言に叙任。陸奥守・薩摩守・大隅守を称する。1599年(慶長4)3月伊集院忠棟を破り,その子忠真の庄内の乱を鎮圧した。1609年3000人余の軍勢を送って琉球を侵略,徳川家康から琉球を与えられた。翌年8月琉球国王尚寧(しょうねい)を駿府(現,静岡市)・江戸に伴っている。
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…鎌倉時代から江戸時代まで南九州を領有した有力な大名。惟宗姓。のち藤原姓から源姓を名のるに至る。系図では初代忠久を源頼朝庶子,惟宗広言養子とするが,近衛家家司惟宗氏の出で京都から鎌倉に移り頼朝より厚遇をうけたものであろう。1185年(文治1)島津荘下司となり,翌年地頭に補任され,97年(建久8)には薩摩・大隅両国の家人奉行人(守護)に任命された。日向国についても同様であったらしい。1203年(建仁3)比企氏の乱で三国の守護・地頭職を失ったが,薩摩分のみはまもなく回復した。…
…一方,会津に帰国した上杉景勝は城の修築や道路の補修など領内の整備に努めたが,このことは当時は一般に戦争の準備と受けとられた。
[戦の経過]
家康は1600年4月,使者を派遣して弁疏のために上洛するよう景勝に要求し,他方では上洛拒絶に備えて諸大名に会津攻めの動員令を下し,島津家久に伏見城の留守を命じた。景勝は上洛を拒絶し,家康は福島,池田,細川,黒田,浅野,加藤(嘉明),藤堂,山内などの諸大名を率いて東下し,7月21日江戸を出陣し,同24日下野小山で三成挙兵の報に接した。…
…こうして16世紀末期には,日本との関係がにわかに緊張するようになった。
[島津侵入事件と琉球]
関ヶ原の戦(1600)により天下を手中にした徳川家康は江戸に幕府を開いて強力な封建国家(幕藩制国家)を樹立したが,薩摩藩主島津家久は,かねてよりの琉球の無礼を正すという名目で琉球出兵を家康に願い出,許可された。1609年(慶長14)薩摩軍3000余は戦意のうすい琉球に侵入しこれを征服した。…
…すなわち,06年3月島津氏は琉球の奄美大島に侵攻する大島入(おおしまいり)の談合をもった。これは前年8月15日,肥前平戸の松浦氏が7月28日幕府から同地に漂着した琉球船の送還と懸案の来聘問題で琉球の打診を命じられたと島津氏に通報したことが,島津家久と父の義弘にこれまでの対琉球関係を維持するために来聘問題解決の手段としての武力行使を決意させたからである。しかし談合は義弘の兄義久と談合衆のサボタージュにあって不調で,家臣団は外征に消極的だった。…
※「島津家久」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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