京都でつくられた古典人形。木彫りの人形に金銀や胡粉(ごふん)絵具を極彩色に盛り上げるように塗って仕上げてある。華麗な感じの工芸的な人形で,この製作様式は仏像彫刻の技法にみられる点などから,江戸時代に人形製作が流行期を迎えると,仏師たちが人形つくりに転じたか,あるいは余技としてこの人形を生んだともいう。嵯峨は京都の地名で,作品は大黒,えびす,唐子(からこ)などが多い。多くは10~15cm程度の大きさで,江戸中期から登場した。一説には,貿易商角倉了以(すみのくらりようい)が晩年京の西郊嵯峨に隠棲してこの種の人形を愛好し,製作を奨励したことから名付けられたともいう。やがてこの技法は江戸にも伝わり,京都製とは別に〈江戸嵯峨〉の名が生まれ,また厚味のあるその彩色法から〈置上げ人形〉とも呼ばれた。江戸では新たに丹前姿の遊女や若衆,奴(やつこ)などの風俗人形がつくられ,首を振ったり舌を出したりするしかけ人形も現れた。幕末に衰退し,大正時代に復活したことがあるが,現在は京都,東京ともに廃絶している。
執筆者:斎藤 良輔
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木彫りの人形に、金銀や胡粉(ごふん)絵の具を極彩色に盛り上げるように塗って仕上げた、華麗な感じの工芸的人形。一説には、江戸時代初期、貿易商角倉了以(すみのくらりょうい)が晩年京都の西郊嵯峨に隠棲(いんせい)し、この種の人形を愛好して製作を奨励したところから名づけられたという。木彫りに極彩色の様式は、仏像彫刻の仏師の技法にみられ、仏師たちが、江戸時代に入って流行期を迎えた人形の製作に移職、あるいはその余技から生まれたともいう。しかし嵯峨人形の名は、明治期に当時の趣味家が、雲母摺(きらず)りの嵯峨本や金糸などを用いて織った佐賀錦(にしき)などから連想して命名したものらしい。人形の多くは小柄で約10センチメートルから15、16センチメートル、布袋(ほてい)、大黒(だいこく)、恵比須(えびす)、唐子(からこ)(中国風の児童)などが多い。この技法は京都から江戸に伝わり、新たに丹前(たんぜん)姿、若衆、奴(やっこ)、美人など今様(いまよう)風俗物が製作された。京都製とは別な趣があったので江戸嵯峨の名が生まれた。幕末に衰退し、現在は京都、東京ともにつくられていない。
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…もと京都賀茂神社の雑掌が元文年間(1736‐41)にくふうしたといわれ,賀茂人形ともいわれる。嵯峨人形は,木彫に金箔,群青,ロクショウなどの岩絵具で彩色を施した精巧な小人形。京都嵯峨で作られたのでこの名がある(のちには江戸でも作られた)。…
※「嵯峨人形」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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