児童劇(読み)じどうげき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

児童劇
じどうげき

児童演ともいう。児童が演じる演劇,または,児童に見せる目的でおとなが中心となって演じる演劇。おとなが児童を観客として演じる児童劇は,川上音二郎・貞奴夫妻が先鞭をつけ,明治末期から大正末期にかけて巌谷小波,坪内逍遙らの活動をもとにして発展した。この動きは学校劇運動を呼起し,児童が演じる児童劇が学校教育に組入れられた。第2次世界大戦後は,俳優座の翻訳劇『森は生きている』をはじめ,各劇団が盛んに児童劇を手がけるようになった。ことに 1964年5月から劇団四季が日生劇場などの主催で始めた日生名作劇場は,その質の高さで知られる。

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百科事典マイペディアの解説

児童劇【じどうげき】

児童が演ずる劇,あるいは児童に見せる劇。日本では1903年に巌谷小波川上音二郎が欧米の見聞をもとにお伽(おとぎ)芝居を創始,次いで童話劇が生まれた。これらは成人をまじえた一座が大劇場で演じたが,大正末期に坪内逍遥は一般児童の心理に適合し,児童が自発的に演じられるような児童劇を提唱,以後学校劇もその一部としながら発展した。現在は児童のみの,あるいは成人をまじえた,多くの児童劇団がある。

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世界大百科事典 第2版の解説

じどうげき【児童劇】

児童のために演じられる演劇を総称して児童劇,または児童演劇という。小学校で児童自身が演じる劇をふつう〈学校劇〉というが,この分野も含めて児童劇とする考え方もある。世界各国に同じようなものが見られ,その多くは日本同様,一種の教育的な目的(演劇教育)をもって行われている。 日本における児童劇は,川上音二郎一座が,1903年(明治36)に東京の本郷座で上演したおとぎ話の劇化であった《浮れ胡弓(こきゆう)》などの〈お伽(とぎ)芝居〉に始まるとされている。

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大辞林 第三版の解説

じどうげき【児童劇】

児童が演じる劇。特に、自発的創造的な演劇活動を通して児童の人間形成に役立てようとするもの。学校劇。
児童を観客対象とする劇。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

児童劇
じどうげき

児童のために演じられる演劇の総称。この場合の児童とは3歳から18歳まで(幼児、小学生、中学生、高校生)をさし、広範囲に児童青少年演劇ととらえられることが多い。「東京都優秀児童演劇選定」の対象は、高校生向きも含まれる。
 児童劇は大人の劇団、または大人と児童の協力で演じられる。観客の対象は児童ではあるが、「親と子がいっしょに見る演劇」という性格もある。学校で児童が演じる劇は「学校劇」とよばれ、幼児の「劇遊び」を含めて教育的目的(演劇教育)のもとに行われている。[横溝幸子]

子供と演劇

子供が演劇にかかわるようになった歴史は古い。ヨーロッパでは14世紀ごろから教会に少年聖歌隊が生まれ、少年劇団がつくられたが、これは今日の児童劇とは異なる。
 日本では平安中期の童舞(どうぶ)、小咒師(こすし)、児童舞楽、平安末期から鎌倉・室町にかけての稚児延年(ちごえんねん)、稚児猿楽(さるがく)などがある。若衆歌舞伎(わかしゅかぶき)や能、狂言は子役(子方(こかた))が活躍した。宝暦(1751~63)以降、子供芝居として京坂(けいはん)に「ちんこ芝居」「首振り人形」が誕生したが、これは歌舞伎の子役たちの修業であった。[横溝幸子]

日本の児童演劇


誕生と発展
日本における児童劇は、ドイツから帰国した巌谷小波(いわやさざなみ)が「お伽芝居(おとぎしばい)」を提唱し、1903年(明治36)、川上音二郎一座が東京・本郷座で『狐(きつね)の裁判』『浮かれ胡弓(こきゅう)』を上演したのが始まりである。その後、川上音二郎は久留島武彦(くるしまたけひこ)らの童話作家と図り、「お伽芝居」という子供の劇団を組織、日曜・祝祭日に「有楽座お伽芝居子供日」を興行し、児童劇発展に寄与した。そのほかにも、石川木舟(もくしゅう)、天野雉彦(きじひこ)の「家庭劇協会」、衣川孔雀(きぬがわくじゃく)、山川浦路(うらじ)の「近代劇協会」、市川寿美蔵(すみぞう)、河原崎長十郎(かわらさきちょうじゅうろう)の「小寿々女座(こすずめざ)」、岡田八千代、青山圭男(まさお)らの「芽生座(めばえざ)」など多くの劇団が童話劇を上演した。これらは児童本位の芸術運動ではあったが、理論的統一が欠けていた。なお、メーテルリンクの童話劇『青い鳥』の日本初上演は1920年(大正9)の民衆座第1回公演(東京・有楽座)で、初代水谷八重子のチルチル、夏川静江のミチル、友田恭助(きょうすけ)の犬という豪華配役であった。
 童話劇から脱皮、子供のための子供による児童劇を確立したのは坪内逍遙(しょうよう)である。1922年、有楽座で第1回公演『田舎(いなか)のねずみと東京のねずみ』を上演。理論の裏づけのために多くの脚本「家庭用児童劇」「学校用小脚本」などをつくり、自ら演出指導した。学校の教科書に脚本が掲載されるようになったのは、逍遙の児童劇運動の功績である。逍遙に続く児童劇団の活躍は浅野歳郎(としろう)(1898―1961)の「浅野児童劇学校」、落合聡三郎(そうざぶろう)(1910―95)の「学校劇研究会」があるが、児童の役は児童によって演じられるべきだと児童演劇のリアリズム追求を試みた宮津博(ひろし)(1911―98)による劇団東童の設立(1928)は、児童演劇史上、大きな足跡を残した。
 第二次世界大戦後、新劇の劇団である俳優座、文学座、民芸が児童劇を上演。俳優座こども劇場におけるマルシャーク作『森は生きている』(1954)の成功は、児童劇団や新劇団に大きな影響を与えた。1964年(昭和39)からスタートされた劇団四季によるニッセイ名作劇場「こどものためのミュージカル・プレイ」は中断することなく続き、98年(平成10)7月の全国の招待児童数は500万人を突破した。前進座青少年劇場も毎年全国巡演を行うなど、大人の専門劇団の活躍が目だつ。[横溝幸子]
現状
前述の劇団を含めて、児童青少年を対象とする劇団は、人形劇団などを加えて200を超えているが、職業劇団として日本児童・青少年演劇劇団協同組合(児演協)に加盟する劇団は2002年現在76劇団にすぎない。テレビや舞台に子役を貸すだけの児童劇団やアマチュア劇団もあるため、全体的把握は困難である。2001年は児演協加盟76劇団が385本を上演した。同年の公演回数は2万0536回、観客動員数は743万人であり、公演回数、観客動員数ともに減少傾向にある。児童劇団の収入のうち、7割は学校公演から得ているが、週5日制の実施で公演を中止する学校が増え、同時に少子化現象で公演収入が減少し、劇団経済の逼迫(ひっぱく)が創造面に影響を及ぼしてきた。
 「児童に優れた演劇を」と1948年(昭和23)設立された児童劇作家協会が、58年に「日本児童演劇協会」と改称。同協会が文化庁の助成を得て行う「児童演劇地方巡回公演」「児童演劇全国離島巡回公演」「盲・聾(ろう)・養護学校児童青少年巡回公演」は、児童演劇普及に成果をあげた。劇作家のための「斎田喬(さいだたかし)戯曲賞」、児童劇団にかかわる女性のための「O(オー)夫人児童演劇賞」、児童演劇助成の「落合聡三郎児童青少年演劇基金」がある。鑑賞運動体である「子ども劇場全国センター」も、児童演劇向上のために重要である。児童演劇の独自性を求め、教育における役割をどう考えるか、多くの課題が残されている。児童劇の内容は童話、家族、戦争、社会問題をテーマとしたものが多く、戦争の悲惨さを描いた名作として知られる中沢啓治(けいじ)(1939― )原作の『はだしのゲン』はミュージカルにもなった(1996・木山事務所初演)。[横溝幸子]

世界の児童演劇

旧ソ連や東欧諸国の国立児童劇場が芸術的に高水準の児童劇を上演してきた。しかし、ソ連崩壊で国の支援が減り、先細り状態になった。欧米諸国の劇団は独自の劇場をもち、地域に根を下ろし、実験的試みも多い。アメリカは大学の劇団、コミュニティ・シアター、博物館、美術館などが財団や州、市の助成で多彩な児童劇を上演。400以上の大学で学ぶ演劇芸術専攻の学生が、児童劇団の人材として育っている。
 日本に置かれている国際組織には、国際児童青少年演劇協会(ASSITEJ(アシテジ))日本センター、日本ウニマ(国際人形劇連盟日本センター)、国際演劇協会(ITI)日本センターがある。アシテジは1965年に結成された青少年のための演劇専門家の世界組織で、79年にアシテジ日本センターが設立され、36番目の加盟国となった。2002年現在、正会員世界63か国、準会員9か国の計72か国が加盟。演劇の芸術的水準向上を目ざし、3年ごとに世界的規模の青少年演劇フェスティバルと国際会議が開催される。ストックホルム大会(1990)でアシテジはフランスの芸術至上主義派と中国、アメリカ、イギリス、オーストリアなどの演劇教育派が対立した。またアジア、アフリカの台頭により、ヨーロッパ的な専門性の発展というアイデアの見直しを迫られ、アシテジは非ヨーロッパ諸文化へと目を向け始めた。1999年のアジア大会に続いて、2002年に韓国のソウルで第14回世界大会が開催され、韓国の12劇団のほか、海外13か国の劇団が参加、日本からは4劇団5作品が参加した。[横溝幸子]
『富田博之著『日本児童演劇史』(1976・東京書籍) ▽日本児童演劇協会編・刊『日本児童演劇の歩み――児童劇・人形劇・学校劇80年の年表』(1984) ▽日本児童演劇協会編・刊『児童演劇地方巡回公演30年のあゆみ』(1990) ▽多田徹著『ぼくのロングマーチ――児童演劇50年』(1995・大月書店) ▽児童演劇研究プロジェクト著『劇団 子ども 社会――児童演劇の現状と課題』(1996・芸団協出版部) ▽日本児童演劇協会編・刊『日本児童演劇協会50年史』(1998) ▽落合聡三郎著『聞き語り 少年演劇の歩み』(2000・日本児童演劇協会) ▽芸団協・芸能文化情報センター編『教育と芸術・新たな関係――海外の事例に学ぶ』(2002・芸団協出版部) ▽『少年演劇』(年2回発行・少年演劇センター) ▽『児童演劇』(月刊機関紙・日本児童演劇協会) ▽『アシテジ』(季刊誌・アシテジ日本センター) ▽日本子どもを守る会編『子ども白書』各年版(草土文化) ▽「子ども舞台芸術ガイド」編集委員会編『子ども舞台芸術ガイド』各年版(芸団協出版部)』

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世界大百科事典内の児童劇の言及

【演劇教育】より

…また,日本の近代的な児童文化・児童文学の創始者といわれる巌谷小波はドイツでの見聞をもとに,1903年ころから〈学校芝居〉を提唱し,そのための脚本を発表した。さらに,大正期の新教育運動の中で,あるいはその影響のもとに,私立成城学園の学校劇運動や,坪内逍遥による児童劇運動などが始められ,演劇教育は一定の普及をみた。しかし,24年には,〈学校劇禁止令〉として知られる文部省による禁止措置がとられ,第2次大戦後民主教育が発足するまで学校教育の中に正当な市民権を与えられなかった。…

【子ども劇場】より

…児童・青少年のための専用劇場。〈児童劇場〉〈青少年劇場〉などと呼ぶこともある。成人のための一般の劇場と比べて,その歴史はきわめて新しい。…

【童話劇】より

…後者の代表例としては,メーテルリンクの《青い鳥》,バリーの《ピーター・パン》などがある。 童話劇が観客として児童をおもな対象とする以上,これは〈児童劇〉の一つであるが,一方,童話は児童の独占物ではなく,たとえば《青い鳥》における幸福の象徴的表示,《ピーター・パン》における永遠の童心の追求などは成人にも共鳴をあたえる普遍的なテーマでもある。現実世界からの脱却,夢幻へのあこがれという点についても,これは児童のみの心的傾向ではない。…

※「児童劇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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