『日本書紀』の雄略(ゆうりゃく)天皇即位前紀に初見するが、令(りょう)制以前の詳細は不明で、令制では親王と内親王の護衛や雑役を勤めた下級官人。舎人(とねり)の一種。式部省が六位以下の人の子、または庶人から採用し、一品(ぽん)に帳内160人を授け(二、三、四品(ほん)には逓次(ていじ)に20人を減じた)、三関国、大宰府(だざいふ)管内、陸奥(みちのく)、石城(いわき)、石背(いわせ)、越中(えっちゅう)、越後(えちご)からは採用しなかった(「軍防令」)。資人(しじん)(京官の諸臣に賜る舎人)とともに8年ごとに勤務評定を受け叙位され、また文武の才能をもつ帳内は貢挙され、試験に及第すると内位に叙された(「選叙令」)。
[井上 薫]
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「とねり」とも。古代,親王・内親王に与えられた従者。本主に近侍して雑務に従った。令制では,親王には一品160人,二品140人,三品120人,四品100人と品階に応じた支給人数を定め,内親王の場合半減とした。六位以下の子や庶人からとることとされたが,軍事的に重要な国の者は禁じられた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…〈つかえたるひ〉ともよむ。毎年の勤務評定をうける前提条件であり,評定対象になる官人のうち,内・外長上(ちようじよう)は年間に240日以上,交替勤務する分番は140日以上,また有品(うほん)親王の公的従者である帳内,五位以上の貴族官人の公的従者である資人は,ともに200日以上の出勤を必要とした。欠ければ,その年度は評定の対象外とされた。…
…雑任には,中央諸官庁の史生(ししよう),伴部(ともべ),使部(しぶ),官掌(かじよう)や省掌などの掌類,大舎人(おおとねり),東宮舎人,中宮舎人らの舎人や兵衛(ひようえ)などがあり,大宰府・諸国などの史生も雑任であった。また親王の公的従者である帳内(ちようない),五位以上の貴族官僚の公的従者である資人も,この雑任に準ずる下級職員であった。雑任には官位相当の規定がなく,令制では,毎年の勤務評定の成績を8年分総合して叙位されたが,706年(慶雲3)の格(きやく)によって,その総合される年数が2年分短縮されて,叙位される機会が早くなった。…
…国造またはその一族は舎人直(とねりのあたい)として舎人を統率し,舎人部は舎人の管掌下に舎人の資養物を貢進することなどを負担し,舎人直―舎人―舎人部という階層関係がみられた。《日本書紀》における,大化以前関係の記載にみえる〈帳内〉(雄略即位前紀),〈兵衛〉(用明1年5月条),〈資人〉(崇峻即位前紀)のいずれにも〈とねり〉という古訓がつけられているが,それらの名のもとに制度が整っていたかどうかは疑問で,《日本書紀》の編者が,その撰述年代における知識をもって,大化以前の当該記事を修飾したものとされる。 令制以後については673年(天武2)5月,仕官する者をまず大舎人(おおどねり)寮に収容し,その才能を試験したのち適当な職務につかせた。…
…諸官庁の構成のなかで,雑任(ぞうにん)クラスの下級職員は,いずれも番上である。すなわち,中央諸官庁,大宰府,諸国などの史生,中央の伴部,使部,官掌・省掌などの掌類,大舎人・東宮舎人・中宮舎人らの舎人(とねり),兵衛,および親王の公的従者である帳内(ちようない),貴族官僚の公的従者である資人などは,いずれも番上であり,また大宰府や諸国府に勤務した下級職員たちも番上であった。そして式部省に籍を置く散位六位以下は散位寮に番上し,地方諸国の外散位は国府に番上したのであり,国府に番上した下級職員たちとともに外分番ともよばれた。…
※「帳内」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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