平国香(読み)タイラノクニカ

デジタル大辞泉 「平国香」の意味・読み・例文・類語

たいら‐の‐くにか〔たひら‐〕【平国香】

[?~935]平安中期の武将高望たかもちの子。初名、良望。常陸大掾ひたちだいじょうとして関東に威を振るったが、おい将門まさかどに殺された。

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精選版 日本国語大辞典 「平国香」の意味・読み・例文・類語

たいら‐の‐くにか【平国香】

  1. 平安中期の武将。高望王の子。本名良望。常陸大掾になり、のち鎮守府将軍となるが甥の平将門に殺された。承平五年(九三五)没。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「平国香」の意味・わかりやすい解説

平国香
たいらのくにか
(?―935)

平安中期の武将。桓武(かんむ)天皇の曽孫(そうそん)高望王(たかもちおう)(平高望)の子。良望(よしもち)とも称す。889年(寛平1)、父高望王の臣籍降下(しんせきこうか)、任上総介(にんかずさのすけ)に伴って東下(とうげ)し、やがて常陸大掾(ひたちだいじょう)、鎮守府(ちんじゅふ)将軍を歴任した。常陸国(茨城県)真壁(まかべ)郡内の石田(しだ)に宅(たく)を構えて、南は筑波(つくば)郡、北は新治(にいはり)郡にかけての一帯勢力下に置いた。931年(延長9)以来の舎弟平良兼(よしかね)(下総(しもうさ)介)と甥(おい)平将門(まさかど)の対立一族内に波及し、前常陸大掾源護(まもる)一族をも巻き込み、将門との交戦は深刻化した。935年(承平5)2月、将門は伯父国香の勢力圏である筑波、真壁、新治の三郡内へ襲撃をかけ、諸所の小宅や農民の舎宅を焼き巡り、国香の石田宅(しだのたく)をも襲ったため、国香は焼死した。いわゆる承平(じょうへい)・天慶(てんぎょう)の乱の始まりである。

[糸賀茂男]

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改訂新版 世界大百科事典 「平国香」の意味・わかりやすい解説

平国香 (たいらのくにか)
生没年:?-935(承平5)

平安時代前期の武将。本名を良望(よしもち)という。桓武天皇の曾孫高望王の子。常陸国大掾に任じ,鎮守府将軍を兼ねた。常陸,下総,下野などの諸方面に勢力を扶植した坂東桓武平氏の中心人物であったが,婚姻や所領に関する一族の内紛の結果,935年2月,真壁郡野本付近で弟良将の子将門と合戦し,敗死した。いわゆる平将門の乱の発端となった事件である。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「平国香」の意味・わかりやすい解説

平国香【たいらのくにか】

平安中期の武将。桓武天皇の玄孫(げんそん)。高望(たかもち)王の子。初め良望(よしもち)という。常陸大掾(ひたちだいじょう)ののち鎮守府(ちんじゅふ)将軍となったが,甥(おい)の平将門(まさかど)に殺された。→承平・天慶の乱
→関連項目平貞盛

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朝日日本歴史人物事典 「平国香」の解説

平国香

没年:承平5(935)
生年:生年不詳
平安中期の東国の武将。名は良望。桓武天皇の曾孫高望の子。将門の伯父。父について東国に下り土着したと考えられる。常陸国石田荘(茨城県明野町)に居を構え筑波山を見て育った。常陸大掾を務める。承平5(935)年,弟良兼(将門の妻の父)が女性をめぐる争いから将門と対立した際,これを助けるため援軍を出したが,かえって将門に石田の館を襲撃され戦死した。京にあった子貞盛は事件を聞き急ぎ下向,天慶3(940)年将門を打ちまかした。事件の顛末は『将門記』に詳しい。

(朧谷寿)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「平国香」の解説

平国香
たいらのくにか

?~935.2.-

平安中期の武将。本名は良望(よしもち)。高望の子。常陸国を本拠とし,常陸大掾(だいじょう)・鎮守府将軍に任じられた桓武平氏の中心的人物。平氏の祖とされる。一族間の争いにより兄弟の良兼に加勢し,935年(承平5)甥の平将門(まさかど)と戦ったが,常陸国石田館(現,茨城県筑西市)で敗死。この報を聞いた子の貞盛は将門に敵対,平将門の乱の発端となる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平国香」の解説

平国香 たいらの-くにか

?-935 平安時代中期の武人。
平高望(たかもち)の子。父にしたがい関東に土着,常陸大掾(ひたちのだいじょう),鎮守府将軍となる。一族間の内紛にまきこまれ,甥(おい)の平将門(まさかど)に常陸(茨城県)真壁郡の石田館をせめられ,承平(じょうへい)5年2月焼死。平将門の乱のきっかけとなった。初名は良望。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「平国香」の意味・わかりやすい解説

平国香
たいらのくにか

[生]?
[没]承平5(935).2. 常陸
平安時代中期の武将。高望王の子。常陸大掾から鎮守府将軍となった。平良将の遺領をめぐって良将の子で甥にあたる将門と争い殺された。これが承平・天慶の乱の発端となり,子の貞盛が一族とともに将門を討った。

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旺文社日本史事典 三訂版 「平国香」の解説

平国香
たいらのくにか

?〜935
平安前期の武将
平氏の祖高望 (たかもち) の子。常陸大掾 (ひたちだいじよう) ,のち鎮守府将軍。高望が上総介となって土着してから勢をふるったが,高望死後,遺領などをめぐって一族の内紛が発生。甥の将門 (まさかど) に殺され,これが承平・天慶の乱のきっかけとなった。

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世界大百科事典(旧版)内の平国香の言及

【桓武平氏】より

…賜姓平氏のうち桓武天皇の皇子・皇孫に系譜をもつものの称(図)。桓武平氏に葛原(かつらはら)親王流・万多(まんだ)親王流・仲野親王流・賀陽(かや)親王流などがあり,さらに葛原親王流も高棟(たかむね)王流と高望(たかもち)王流とに分かれる。しかし,一般にはこれらの諸流のうちとくに高望王流の平氏を桓武平氏という場合が多い。
[東国の諸平氏]
 葛原親王の子高見王(高棟王の弟)の子が高望王で,彼は889年(寛平1)8月に平姓を与えられ,上総介になったことから,その子孫が東国地方に繁衍(はんえん)する基が開かれた。…

【常陸国】より

…旧国名。常州。現在の茨城県の大部分(下総国に属する南西部を除く。なお,北西部は陸奥国白河郡依上(よりかみ)郷(保)に属したが,太閤検地以後常陸国久慈郡に編入された)を占める。
【古代】
 東海道に属する大国(《延喜式》)。古く〈常道〉と表記されたこともある。国府は現在の石岡市石岡に置かれ(石岡小学校付近に国庁跡を比定する説が有力),国分寺,国分尼寺,総社も同市にあった。大化前代には新治(にいはり),筑波(つくば),茨城(うばらき),仲(なか),久自(くじ),高(たか)の6国造が置かれた地域で,また大和朝廷によって宇治部,額田部(ぬかたべ),八田部,多治比部,刑部(おさかべ),藤原部,孔王部(あなほべ),日下部(くさかべ)など多くの部が設定された。…

※「平国香」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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