平瀬村(読み)ひらせむら

日本歴史地名大系 「平瀬村」の解説

平瀬村
ひらせむら

[現在地名]甲府市平瀬町

かた山北麓、山宮やまみや村北東のあら川上流東岸にある。対岸は巨摩郡吉沢きつさわ(現敷島町)西岸にも人戸・耕地があり、「甲斐国志」によればかつては巨摩郡亀沢かめざわ(現同上)に属したという。村名は荒川が流れをここで緩め平地となって川幅も広がることによるといい、慶長六年(一六〇一)検地帳(県立図書館蔵)にも、こいけ平・すけ平など平の付く小字が多くみえる。枝郷に針新居はりあらい根石平ねいしだいら上野うえのがある(甲斐国志)。天正一〇年(一五八二)八月一一日の徳川家印判状写(金桜神社文書)では、御岳衆の相原内匠助友貞に平瀬のうち七〇貫文が宛行われている。また同年八月二七日には初鹿野伝右衛門昌久の本領替地として「小尾奈」(帯那)のうち平瀬七〇貫文などが安堵されており(「徳川家康判物写」記録御用所本古文書)、平瀬が広義帯那おびな郷に含まれていたことがわかる。同一七年一一月二三日の伊奈忠次知行書立写(金桜神社文書)では検地の結果として御岳衆惣中の知行地として平瀬郷一千七九俵六升二合五勺が定められた。


平瀬村
ひらせむら

[現在地名]白川村平瀬

白川街道御母衣みぼろ村の北に続き、しよう川に白山の東斜面に源を発する大白おおしら川が合流する地点にある。白山登山口にあたり大白川沿いに頂上へ九里。大白川は支流といっても水脈は太く、水が白濁しているためにその名が付き、白川郷の名もそこからきたといわれる。村名の由来は、大白川が当地辺りでようやく穏やかな瀬をつくるようになることによるという(斐太後風土記)。金森氏時代の高は二一石余(飛騨国中案内)。元禄飛騨国検地反歩帳の高は一二石余、田一反余・畑三町八反余。元禄一〇年(一六九七)再び高山別院照蓮しようれん(現高山市)領となり、のち幕府領分六石余が加わった(「岐阜県史」など)。前掲国中案内の家数七、うち道場(作左衛門)一・百姓四・門屋二。


平瀬村
ひらせむら

[現在地名]山村平瀬

ともえ川に沿い、東は立岩たていわ村・平沢ひらさわ村・栃立とちだち村・黒岩くろいわ村、南は神殿かんどの村、西はかじ村・大沼おおぬま村、北は現足助あすけ町に接する。集落は谷地形の中の河岸段丘上に点在。県道東大沼―足助線、県道東大見―岡崎線、県道平瀬―善夫線が通る。


平瀬村
ひらせむら

[現在地名]大塔村平瀬

日置ひき川に沿う盆地の緩斜面に散在する山間集落で、北は近露ちかつゆ(現中辺路町)、南は下川下しもがわしも村、東は和田わだ村、西は大内川おおうちがわ(現中辺路町)。「続風土記」に「広見川大内川村中にて落合ひ、瀬やゝ広きより平瀬の名あり」と記される。


平瀬村
ひらせむら

[現在地名]緒方町上年野かみとしの 平瀬

上年野村の南西、緒方川東岸にある。正保郷帳に村名がみえ、田高六八石余・畑高二七石余、緒方郷に属し、柴山有と注記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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