日本大百科全書(ニッポニカ) 「従軍慰安婦問題」の意味・わかりやすい解説
従軍慰安婦問題
じゅうぐんいあんふもんだい
日中戦争および太平洋戦争時に、旧日本軍が従軍慰安婦を置いていたとされる問題。1991年(平成3)8月、韓国人の金学順(きんがくじゅん/キムハクスン)は実名で記者会見し、旧日本軍によって従軍慰安婦としての扱いを受けたことを明らかにした。同年12月には金学順を含むソウルの「太平洋戦争犠牲者遺族会」の会員35名が日本政府に対して個人補償を求めて東京地裁に提訴した。そのときの証言は、従軍慰安婦をめぐって日本の国内はもとより周辺アジア諸国や国連など国際社会に大きな波紋を投じた。
従軍慰安婦とは「日中戦争及び太平洋戦争中に集められ、戦地で、将兵の性的欲求に応ずることに従事した女性」(日本国語大辞典)とされる。ただし、当時このことばは使われていなかったとされている。現実に太平洋戦争時に旧日本軍当局は占領地域内での日本軍兵による性的不祥事や性病などの予防のために慰安所を設営・管理した。慰安所には日本のほか、朝鮮半島を中心に中国、台湾、フィリピンなどの女性が集められたが、その数は8万人とも20万人ともいわれる。日本政府は軍の関与に関して否定的姿勢をとっていたが、1992年には韓国で対日批判が噴出し、金泳三(きんえいさん/キムヨンサム)政権も真相の究明を要請するなど、問題究明に取り組まざるをえなくなった。軍による組織的強制連行を示す証拠は確認されなかったものの、1993年7月に行われた韓国での元慰安婦16人の聞き取り調査の結果、翌8月に政府はそれが「総じて本人たちの意思に反して行われた」ことを認め、謝罪の意を表明した。また同年11月の日韓首脳会談で当時の首相細川護熙(ほそかわもりひろ)が改めて日本の植民地支配について謝罪、これに対し金泳三は一定の評価・理解を示し、「これ以上過去にこだわることのない、新たな日韓関係の構築」を提案、この問題は政府間においては、いちおうの決着をみている。しかし個人補償の要求は継続しており、政府は1995年7月に元従軍慰安婦を支援するための「女性のためのアジア平和国民基金」(略称「アジア女性基金」。2007年3月末解散)という任意団体を発足させ、支援事業を行った。それに対して元慰安婦支援団体からは、あくまでも国による補償が必要だとして反発があった。
一方、国連では1992年から慰安婦問題の検討を人権委員会で始め、1994年4月には「女性に対する暴力問題」特別報告官ラデイカ・クマラスワミRadhika Coomaraswamyを任命して問題の究明にあたらせた。1996年3月には同氏の最終報告書が人権委員会に提出されたが、そのなかで慰安所制度の国際法違反、元慰安婦への個人補償、すべての資料の公開、公開の書面による謝罪など、日本政府に対して六つの勧告を行っている。また国際労働機関(ILO)も「慰安所」に関して「強制労働に関する条約に違反する戦時性的強制被害者として特徴づけられる」として意見を表明、さらにアメリカ下院議会でも慰安婦問題に対し、日本政府へ公式謝罪を求める決議を2007年7月に採択している。
こうした国際社会での批判のなかで、近年日本国内ではそれらの批判に疑義を呈す一方、「慰安婦強制」を否定し、教科書から同問題の言及を削除すべきとする主張も存在している。いずれの主張をとるにせよ、問題の徹底的究明と補償を怠るべきではない。
[青木一能]
『吉見義明編『従軍慰安婦資料集』(1992・大月書店)』▽『秦郁彦著『慰安婦と戦場の性』(1999・新潮社)』▽『吉見義明著『従軍慰安婦』(岩波新書)』