コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

東南アジア とうなんアジア Southeast Asia

翻訳|Southeast Asia

6件 の用語解説(東南アジアの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

東南アジア
とうなんアジア
Southeast Asia

アジア大陸南東部のインドシナ半島と,その南東方に広がるマレー諸島から成る地域。大部分が熱帯に属する。シンガポールマレーシアを除き,稲作中心の農業が経済を支え,そのほかキャッサバ,トウモロコシタバコサトウキビココヤシコーヒーなどの栽培が盛ん。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

とうなん‐アジア【東南アジア】

アジア南東部、インドシナ半島マレー諸島からなる地域の総称。ミャンマータイラオスカンボジアベトナムマレーシアブルネイシンガポールインドネシアフィリピン東ティモールの諸国がある。SEA(Southeast Asia)。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

東南アジア【とうなんアジア】

アジア南東部の地域の総称。用法は一定しないが,普通,インドシナを含むベトナムラオスカンボジアミャンマータイが大陸部を構成し,マレーシアインドネシアシンガポールフィリピンブルネイ東ティモールが島嶼部となる。
→関連項目アジア

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典 第2版の解説

とうなんアジア【東南アジア South‐East Asia】

アジアの南東部を指す。西からミャンマー,タイ,ラオスカンボジアベトナムの5ヵ国が東南アジアの大陸部を形成し,マレーシア,シンガポール,インドネシアブルネイフィリピンの5ヵ国が東南アジアの島嶼部を形づくっている。かつて〈南洋〉ないし〈南方〉と称していた地域を,〈東南アジア〉と呼ぶようになったのは比較的新しく,太平洋戦争後のことである。〈東南アジア〉(あるいは〈東南アジヤ〉)という語自体は,1930年代の末ころから,一部の研究者の間で用いられたことがあるが,一般には普及しなかった。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

とうなんアジア【東南アジア】

アジア南東部、インドシナ半島とマレー諸島からなる地域の総称。ミャンマー・タイ・ベトナム・ラオス・カンボジア・マレーシア・シンガポール・フィリピン・インドネシア・ブルネイの諸国を含む。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

東南アジア
とうなんあじあ
Southeast Asia

アジアの南東部を占める地域。北はミャンマー(ビルマ)北部(北緯28度30分)から南はチモール島南西部(南緯11度)まで、西はミャンマー西部(東経92度20分)から東はアルー諸島(東経135度50分)まで、南北5200キロメートル、東西5000キロメートルの広大な範囲にわたる。地域的には大陸部のインドシナ半島部と、その南に散在するマレー諸島部の二つに分けられる。国としてはベトナム、ラオス、カンボジア、タイ、マレーシア、シンガポール、ミャンマー、インドネシア、東チモール、フィリピン、ブルネイを含む。その地理的位置はまさに東西交通の関門にあたる。ユーラシア大陸東西の文明地域が互いに結び付こうとするとき、陸路をとればシルク・ロードのように高山、砂漠などの大きな自然的障害物に遭遇するが、海路をとればインド洋南シナ海などはマラッカ海峡で容易に結合される。東南アジアはこうして諸民族にとっての自然的通過地域となり、その複雑な民族、文化の形成に大きく作用した。また東南アジアはアジア、オーストラリア両大陸の接点でもあり、それはこの南部海域が「アジア・オーストラリア地中海」とよばれることにも表れている。その政治的、戦略的重要性はこの地域を一貫してきた特質である。
 気候的には熱帯、亜熱帯に属しているが、この地方の住民は古くからこれらの気候に適応したさまざまな生産生活を営み、独自の原始文化を形成してきた。一方、豊かな香料をはじめ熱帯の多くの特産物は早くから外来諸民族をこの地域に流入させることになり、それとともに異文化との接触をもたらした。なかでも紀元前後から流入したインド文化の影響は大きなものがあった。同時にベトナム方面には中国文化の影響も大きかった。近代になっては欧米諸国の植民地拡大政策によって、各地の古くからの民族王朝はタイを除きすべて滅びて欧米の植民地と化した。そして19世紀後半には石油その他の地下資源の開発や大農園の経営も加わって、世界に占めるこの地域の経済的価値はいっそう大きくなった。第二次世界大戦を契機として地域の諸民族は植民地体制を脱し、独立を回復した。東南アジアには民族の差異により多数の国々が分立しているが、その多様性にもかかわらず歴史的、文化的にはある共通性、統一性が認められる。このためにこの地域は世界でも特色あるまとまった一地域として認識されている。[別技篤彦・福島光丘]

自然

東南アジアの自然構造の複雑さはその地形図を見る者の目を驚かすほどである。世界の屋根ヒマラヤ山脈が東に延び、インド、ミャンマー、中国の国境地帯から南に転じてアラカン山脈、シャン高原、アンナン山脈などを形成し、シャン高原はさらに南下してマレー半島の骨格をつくる。これらの山地は地質時代に隆起を繰り返し激しい開析作用を受けたため、そこを流れるイラワディ川、サルウィン川、チャオプラヤー川、メコン川、ソンコイ川などの上・中流部は急峻(きゅうしゅん)な峡谷を形成した。しかしその下流には広大なデルタが形成されて人間の活動に有利な舞台を提供することになった。一方インド、ミャンマーの境界をなすアラカン山脈はベンガル湾に現れてアンダマン諸島、ニコバル諸島となり、さらにスマトラ島に延び、続いてジャワ島およびそれ以東の島々に及んで大・小スンダ列島を構成することになる。また東南アジア東部には数千の島々からなるフィリピン群島があり、これらの諸列島とアジア大陸との間にはボルネオ島、スラウェシ(セレベス)島などの大陸的な大島がある。マレー諸島西部のいわゆるスンダ海棚(かいほう)では沈水のプロセスがまだ若いため、大島の浅い海岸に沿って広大な湿地帯が展開している。スマトラ島東岸、ボルネオ島南岸の大湿原はその例である。これに対して大・小スンダ列島の外側、インド洋に面する海底は急傾斜で深海に連なり、またフィリピンの東方には世界の最深点の一つであるフィリピン海溝が存在する。
 こうした地形は東南アジアで島嶼(とうしょ)部分の地盤がきわめて不安定なことを物語る。ヒマラヤ大褶曲(しゅうきょく)山系に沿って延びてきたテチス構造線は大・小スンダ列島で大小数百の火山を生む。また日本から台湾を経て延長する環太平洋構造線はフィリピンを貫いて、東南アジアのこの部分は世界の二大地質構造線、あるいは火山帯の通る地域として知られ、いまなお絶えず噴火、地震活動が激しい。1883年のクラカタウ火山、1991年のピナツボ火山の爆発など、その規模も世界的なものが多い。しかし一面においてこれら火山の存在は土壌の肥沃(ひよく)さをもたらし、生産力の重要な基盤ともなっている。
 東南アジアが赤道を中心に南北に広がることは気候的にも特殊な性格を与える。すなわち熱帯雨林気候と典型的なモンスーン気候の二つをもつことである。気温は常時高温であり、大きな年較差はほとんどみられない。人間の生活気候の点からみた場合、一般的には大陸部より島嶼部のほうがしのぎやすいということはできる。赤道直下には常時多雨地域があり年降水量が4000ミリメートルを超える所もあるが、その他の地域では降水量は季節風により左右され、乾期と雨期が明瞭(めいりょう)に区分される。乾雨両期の現れ方は赤道の南北で異なり、雨期が大陸部では5~10月であるが南部では11~3月である。インドシナ半島内部や小スンダ列島東部などでは乾期が長く、寡雨によるサバンナ的景観さえ随所にみられる。東南アジアの降雨形式は一般にスコールの形をとり短時間に多量の雨が集中して降るため、しばしば低地に氾濫(はんらん)をおこしやすい。またこのため土壌分解が進んで紅土(ラテライト)を生ずる所も多いが、これによる肥沃度の回復は火山性土壌にまつところが大きい。
 こうした気候環境のため一般に豊かな植物に覆われている。メリルによるとマレー諸島だけで4万5000種もの異なる植物があり、彼はここを「植物の天国」とよんだほどである。またこの多品種植生は、この地域がアジア系植物とオーストラリア系植物との接点であることにもよる。植物はまた地形とも結び付いて垂直的にも多様さを示す。海岸低地のマングローブ樹林から高度3000メートル以上の高山地帯の冷温帯的植物まで実に複雑な種類がある。要するに東南アジアの自然はあらゆる面で複雑な様相を示し、ここでの人間の生活もまたこれに対応する形で展開されてきたのである。[別技篤彦・福島光丘]

政治

第二次世界大戦後、東南アジア諸国の多くは、植民地時代の低開発で貧富格差の大きな経済社会構造を引き継ぎ、政治的に不安定な状況にあった。国際的には東西対立の冷戦構造のもと西側陣営に組み込まれた。1959年に始まり75年にアメリカの敗戦で終結したベトナム戦争は、インドシナ諸国だけでなく、その他の東南アジア諸国の政治・経済に大きな影響を及ぼした。地域内においても領有権などをめぐりフィリピン、インドネシア、マレーシア、シンガポールの対立が激化した。しかし1967年にこの4か国にタイを加えた5か国により、反共を軸とする地域協力促進のための東南アジア諸国連合(ASEAN(アセアン))が設立された。70年代前半には特恵制度など域内経済協力とともに、ヨーロッパ、アメリカ、アジアの域外諸国との対話を開始し、政治協力も地域協力に含まれるようになり、先進国に対して連合体として協調対応する方向が強まった。冷戦体制崩壊後、93年には経済発展促進のためASEAN自由貿易地域(AFTA(アフタ))が、94年にはアジア太平洋地域の安全保障問題を多国間で討議するASEAN地域フォーラム(ARF)が設立された。1984年にブルネイ、95年にベトナム、97年にラオス、ミャンマーがそれぞれASEANに加盟したが、このとき承認されていたカンボジアの加盟は直前の政変のため見送られた。しかし、98年のASEAN首脳会議により加盟が承認され、99年正式加盟を果たし、東南アジア共同体構想の第一歩となる「ASEAN10」が実現した。
 当初のASEAN設立に加わった諸国は、第二次世界大戦後の混乱を脱したのち、ほかの開発途上国に比べ高い経済成長を実現し、東南アジアは世界経済発展の中心の一つとなった。他方、インドシナ諸国では、東西冷戦体制下で超大国の干渉を受けたため長く戦乱が続いた。ミャンマーでは鎖国政策がとられ、経済発展から取り残されてきたが、ベトナムのドイモイ(刷新)政策のように経済発展に向け、1980年代後半以降は政策転換が行われた。
 1960年代以降に経済開発と政治的安定を標榜(ひょうぼう)し多くの国で独裁体制、権威主義体制あるいは半民主主義体制がとられ、なかでもシンガポール、インドネシア、マレーシアおよびタイは高い持続的成長を実現した。しかし98年5月、32年もの長期間政権を担当してきたインドネシアのスハルト大統領が、アジア通貨危機による経済悪化を引き金とする政情不安から辞任し、東南アジアに残された独裁政権はミャンマーの軍事政権だけとなった。また、タイでは通貨危機の最中に憲法改正が行われ、経済発展の一方で腐敗した政治の改革が目ざされ、マレーシアでもブミプトラ政策(マレー系民族優遇の新経済政策)の見直しが検討されるなど、各国とも経済発展と民主化の促進を中心課題に据え、既存の政治経済制度の再検討、改革が課題となった。[別技篤彦・福島光丘]

経済・産業

世界銀行は1人当りの国民総生産(GNP)に基づき世界の各国を経済グループに分類している。1997年現在、東南アジア諸国のうち低所得経済(765ドル以下)にミャンマー、ベトナム(310ドル)、カンボジア(300ドル)、ラオス(400ドル)が、低位中所得経済(766~3035ドル)にインドネシア(1110ドル)、フィリピン(1200ドル)、タイ(2740ドル)が、上位中所得経済(3036~9385ドル)にマレーシア(4530ドル)が、高所得経済にブルネイ、シンガポール(3万2810ドル)が含まれており、地域格差は大きい。
 戦後独立から1960年代ごろまで多くの東南アジア諸国の経済の中心は農業であった。就業人口のうち農業に従事する者は60~70%に及んでいた。しかし、工業化の進展により農林漁業の総生産に占める割合は、低所得経済では50%台だが、その他の経済では10~20%台に大きく減少し、就業人口も前者の70%台に対し、後者では30~60%台に低下した。
 中心的な農作物は自給を目的とする米作で、これには焼畑と水田の二つのパターンがある。焼畑は、土壌侵食、森林破壊などをおこしやすいため各国でその制限につとめているが、伝統的農法の一つであるため、交通の隔絶した山地、政府の統制力のまだ不十分な一部の地域でいまだに行われている。これに対して水田耕作は本来湿潤アジアの自然にはもっとも適した土地利用形態であり、外来文化のもたらした技術とも結合して、交通の便利な半島部の大河のデルタ地帯や、島嶼部ではジャワ島、スマトラ島、ルソン島などの低地に広まっている。ことに半島部の大河デルタは近代になって著しく水田が拡張され、「アジアの穀倉」として大きな輸出能力をもつに至った。しかし国内消費の増加、輸出農作物との競合、政治的問題などから輸出能力は著しく減少した。
 一般に東南アジアの農業は人口の過剰、伝統的土地制度の残存などで経営規模が零細で、近代化も不十分であるが、高収量品種の導入、化学肥料の投入増加を中心とする「緑の革命」による技術の普及のため技術普及事業が推進され、灌漑(かんがい)などに対する施設投資と相まって農業の生産性は上昇してきた。1970~90年における大部分の国の農林漁業の成長率は約3%で開発途上国の平均を上回り工業の発展を支えた。
 プランテーションは、熱帯の自然環境と豊富な労働力を先進諸国の科学と資本が高度に利用して成立したもので、ことに東南アジアでは「世界の宝庫」たらしめた典型的なプランテーションとして評価されてきた。マレーシア、インドネシアの天然ゴム、インドネシアのコーヒー、タバコ、インドネシア、フィリピンのサトウキビなどはその例である。しかしその経営は植民地体制と不可分の関係にあったため、第二次世界大戦後は諸国の独立に伴い多くの地方で著しく変化した。インドネシアでは戦前、全国で2400を数えた農園は1960年代には半数以下となった。プランテーションの生産物であるゴム、コーヒー、コプラ、ヤシ油、トウモロコシ、砂糖、パーム油などはかつて外貨獲得のための重要輸出品であったが、80年代に一次産品価格が大幅下落して以降、多くの国で工業製品にその地位をとってかわられている。
 鉱業では植民地時代から開発されたものに錫(すず)(マレーシア、インドネシア)、石油(インドネシア、ミャンマー、戦後にマレーシア、ブルネイ、ベトナム)、ボーキサイト(インドネシア)、石炭(ベトナム)、鉄(マレーシア、フィリピン)、銅(フィリピン)、銅とともに産出する金や銀(フィリピン)、第二次世界大戦後に開発された天然ガスなどがある。農園作物と同様経済におけるその重要性は低下している。
 林業も重要な輸出産業であったが、森林破壊が急激に進行したため多くの国で木材の伐採・輸出が禁止または制限されるに至っている。
 水産業は沿海地方では重要な食料源になっている所もあるが、概して小規模である。1980年代以降、日本向けのエビの養殖や水産物加工が行われるようになった。
 工業は1970年代ごろまでは総生産の30%に満たなかったが、早くから工業化に取り組んでいたシンガポールに続いて、とくに80年代以降マレーシア、タイ、インドネシアの3か国が工業化主導により7~9%もの持続的な高い経済成長を達成し、東南アジアの新興工業経済地域(NIES(ニーズ))の地位を確立した。北東アジアの香港(ホンコン)、韓国、台湾とシンガポールを加えた「4匹の竜(虎)」とともに、これら3か国の経済成長は「東アジアの奇跡」と称されるようになった。戦乱、政治の不安定あるいは経済政策の失敗のため取り残されていたフィリピン、インドシナ三国も90年代に経済開発に本格的に取り組み始めた。
 NIES3か国の1人当り実質所得は1960~85年の間に2倍以上に増加し、ほかの開発途上国に比べ所得不平等は大幅に改善され、絶対的貧困も大きく減少した。この成功の原因として、世界銀行の報告書『東アジアの奇跡』は、政府が経済の基礎的条件整備を適正に行ったことをあげている。そのもとで財政赤字の抑制などマクロ経済の安定促進、人的資本への高い投資、安定した安全な金融制度、価格統制の欠如、外国技術への開放性、国際貿易への指向、非伝統的輸出を促進する貿易政策など市場に友好的な政策がとられた。なかでも急速に伸びた人的資本の蓄積と高水準の国内貯蓄に支えられた高水準の投資が重要であった。
 第二次世界大戦後、この3か国は歴史的には豊富な一次産品に依存する輸出に頼り、他方、工業では、ほかの多くの開発途上国と同様に、輸入代替政策が、1970年ごろから同時に輸出振興政策がとられ始めた。さらに80年ごろから日本をはじめとする北東アジア諸国からの外国資本導入を柱とする積極的な輸出振興政策が実施され、工業製品輸出が以後の高成長の牽引(けんいん)車となった。とくに85年以降はドル安・円高を背景に大量の外国投資が流入し、成長が加速された。輸出では、一次産品にかわって、衣類、履き物、集積回路などの労働集約製品が急速に成長し、機械、電気製品のシェアも急速に高まった。3か国の輸出の世界輸出に占める割合は1965年の1.5%から90年には2.4%、製品輸出では0.1%から1.5%に伸びた。しかし、これら東南アジアNIESは、成長に伴う賃金上昇などの生産コスト上昇のため、中国をはじめ後発のフィリピン、ベトナム、あるいは南アジア諸国の追い上げに直面し、経済構造の高度化を迫られた。さらに、97年7月に発生したタイのバーツ危機に端を発するアジア通貨・金融危機は、これら3か国の経済に大きな打撃を与えた。[別技篤彦・福島光丘]

社会

東南アジアの人口は今日4億9020万人(1996年、世界総人口の8.5%)を超え、大陸部に約1億9550万人、島嶼部に2億9470万人が住む。1936年の総人口は約1億4000万人であったから、60年間に3.5倍に増加したことになる。世界の熱帯のうちでもきわめて人口の集中する地域であり、その増加率は60年代には3%前後と高かったが、経済発展とともに低下がみられるようになった。しかしその分布、密度は極度に均衡を欠き、ベトナムのトンキン・デルタやジャワ島のように農業地帯としては世界でも有数の稠密(ちゅうみつ)な地域もあれば、僻地(へきち)の山間部など人口のきわめて希薄な地域も多い。住民の種族的分布もまた複雑を極める。地域本来の住民としておもなものは次のように分けられる。
(1)オーストロアジア系 モン人―ミャンマー(ビルマ)南東部、クメール人―カンボジア、ベトナム人―ベトナムなど。
(2)シナ・チベット系 ビルマ人―ミャンマー中部・南部、カレン人―ミャンマー南東部、カチン人―ミャンマー北西部、ミャオ人―ミャンマー北東部など。
(3)タイ・カダイ系 シャン人―ミャンマー東部、タイ人―タイ、ラオ人―ラオスなど。
(4)オーストロネシア系(マレー・ポリネシア系) (イ)プロトマレー系 バタック人―スマトラ島北部、ダヤク人―ボルネオ島中央部、トラジャ人―スラウェシ島中部、イゴロット人―ルソン島北部など。(ロ)第二次マレー系 マレー人―マレー半島・スマトラ島東部、ジャワ人―ジャワ島中部、ミナンカバウ人―スマトラ島西部、スンダ人―ジャワ島西部、ブギス人―スラウェシ島南西部、タガログ人―ルソン島南部、ビサヤ人―ビサヤ諸島など。
 このほかネグリト、ベドイド(マレー半島)などの少数民族も混じる。これらの各民族が歴史の各時代にそれぞれ東南アジアの諸地域に移動、居住したところへ、比較的新しい時代にさらにインド人、アラブ人、中国人(華僑(かきょう))、ヨーロッパ人など外来の諸民族が入り込み、現在のような複雑な住民構成をつくりあげた。その結果として先住民族と外来民族との社会的対立さえ各地で起こっている。
 また東南アジアの農村社会は、一般に血縁的住民からなる小さい自然村が中心である。それらは共通の信仰により結ばれ、共同の祭儀に生きている。慣習が尊重され、家父長、族長、長老会議などが指導権をもっている。そして地域によっては隣組組織さえ発展している。たとえ貧しくてもそれをともにするいわゆる「共貧社会」が成立し、一般的な相互扶助制度によって一つにまとまった生活を営んでいるのが特色である。こうした社会構造はしばしば都市にまで浸透している。東南アジアでもほかの開発途上国の例にもれず都市化が進み、総人口に占める都市人口の割合は1980~95年の間に2~3%にとどまったベトナムとタイを除く国では10%程度増加している。大都市では貧困層の集中するスラムが形成され、交通事情の悪化と並んで大きな問題になった。
 民族的複雑性は宗教的多様性にも通じる。東南アジア先住民の心情の基盤をなすのは、巨大な自然環境のなかでの生活と関連をもつアニミズム的観念で、あらゆる自然現象を神格化しまた祖霊を崇拝する心であった。そこへ紀元前後から西方よりヒンドゥー教、仏教が入ってきた。これらは東南アジアと類似の風土をもつインドで成熟した、いわばアニミズムを基盤とした高等宗教である。したがってその浸透は東南アジア先住民の原始信仰ともよく融和して、急速に全地域へ拡大するに至った。ヒンドゥー教はとくにジャワ島、スマトラ島で栄え、いまもバリ島で信仰されている。また仏教は小乗仏教(部派仏教)を主とし、インドシナ半島西部でいまも国教的地位を占め強い勢力をもっているが、ベトナムだけは中国から逆移入された大乗仏教が中心となっている。そしてこれら外来宗教はいまも原始宗教と融合して各地で日常生活を支配する多くの儀礼となって存在する。さらにイスラム教は14世紀以来西方から入り、主としてマレー半島部やマレー諸島方面に広まった。しかしそこでは既存のアニミズム、ヒンドゥー教、仏教などのため、若干の地域を除けば西アジアのイスラム教のような純粋性はもたず、むしろ既存の諸宗教と融合した弾力性のある性格に変わっている。16世紀以来欧米人のもたらしたキリスト教はフィリピンを中心に広まり、同国は東南アジアで唯一のカトリック教国となっている。しかしそこでも庶民の心底にはなおアニミズムが生きているようである。要するにこれら外来の諸宗教は、一般に東南アジア諸民族のいわば心の表面を覆うにとどまっている。このことは、全地域を通じてアニミズムを中心とする呪術(じゅじゅつ)が、庶民の日常生活になお大きな勢力をもつことでも理解される。[別技篤彦・福島光丘]

文化

東南アジアの文化はその歴史を反映して、基盤をなす原始文化のうえに外来の各種の要素が重なったことが特色である。すでに宗教の項で述べたように、その原始文化はアニミズム、祖霊崇拝を基盤として生まれた。伝統的芸術もすべてこれらと結び付く。たとえば新石器時代の芸術のデザインは祖霊の姿、「生命の樹(き)」その他呪術的なシンボルを示すものが多い。またこの地域の芸術として独特の地位を占めるワヤン劇(影絵芝居)も、インド文化到来以前からここに存在した祖霊崇拝に始まることは定説となっている。非ヨーロッパ的音楽の代表といわれる神秘的リズムに満ちたガムラン音楽についても同様である。インドシナ半島部を中心として、紀元前5世紀ごろ青銅器を伴ったいわゆるドンソン文化が発達したが、ハイネ・ゲルデルンなどは一般に文様の装飾化傾向が強められたのはこれによるとしている。
 紀元前後からは東南アジア一帯に優れたインド文化が流入し、その影響は絶大なものがあった。それは単に水稲栽培の技術を教え、バティック(更紗(さらさ))織の方法を革新させて物質文化面での生活を一新させたばかりでなく、文字を伝え、ヒンドゥー教、仏教を伝えたことで精神文化面にも新しい光を与えた。アンコール・ワットをはじめ、ボロブドゥール、プランバナンなどの世界的宗教遺跡もその結果生まれた。また各地にはインドの古典文学である『ラーマーヤナ』と『マハーバーラタ』の二大叙事詩が伝えられ、東南アジアでのインド文化のパイロット的役割を果たした。ジャワ島では伝統的ワヤン劇に新しい素材を加えることになった。これらのインド文化の伝統はいまも各地の芸術、文化に生きている。東南アジアにはその後もイスラム文化、中国文化、欧米文化が次々に流入したが、インド文化の影響はなお大きい。このため中国文化が優越的地位を占めるベトナムを除けば、他地域はほとんど実質的にインド文化圏の延長と考えられる。しかもなおこれら外来文化に対して伝統的な基礎文化の特色は依然として強いものがある。こうした複雑な文化構造の特質は東南アジアを理解する第一の条件であるといえる。[別技篤彦・福島光丘]
『渡辺光編『世界地理3 東南アジア』(1971・朝倉書店) ▽貿易研修センター編『地域研究講座5 東南アジア』(1970・ダイヤモンド社) ▽別技篤彦著『アジア社会誌――東南アジア編』(1972・古今書院) ▽世界銀行著、白鳥正喜監訳『東アジアの奇跡――経済成長と政府の役割』(1994・東洋経済新報社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

東南アジアの関連キーワードカレン族ミャンマー印度支那CLMVミャンマーと東南アジア諸国連合(ASEAN)旧国民党軍ミャンマーのゾウ在日ミャンマー人アジア・ハイウェーカレン[州]

今日のキーワード

信長協奏曲(コンツェルト)

石井あゆみによる漫画作品。戦国時代にタイムスリップした現代の高校生が病弱な織田信長の身代わりとして生きていく姿を描く。『ゲッサン』2009年第1号から連載開始。小学館ゲッサン少年サンデーコミックス既刊...

続きを読む

コトバンク for iPhone

東南アジアの関連情報