国際労働機関International Labour Organizationの略称。第1次大戦のベルサイユ平和条約によって,国際連盟(1920発足)とともに1919年に設けられた国際機関であって,第2次大戦後は国際連合との協定によって国連の社会政策分野を担当する専門機関になった。本部ジュネーブ。加盟国数178ヵ国(2005年9月現在)。
ILOの創設には100年の前史があった。ロバート・オーエンがナポレオン戦争後の列強会議に提出した覚書(1818),フランスの工場主ダニエル・ルグランが行った条約による労働条件規制への努力(1840-53),1900年パリ万国博覧会の折に結成された国際労働立法協会による国際労働局の設置(1901,バーゼル)などがあった。しかし直接の契機は,第1次大戦中に開かれた労働組合の国際会議が平和条約の中に労働条項を含めることを主張したことにある。平和予備会議はこれを受けて,またロシア革命など当時の政情不安におされて,国際労働立法委員会(委員長はアメリカ代表サミュエル・ゴンパーズAFL会長)を設けて原案を起草させた。それが平和条約第13編〈労働編〉(のちにILO憲章になる)に採用されて,労働者の国際的保護のための機関としてILOが生まれたのである。日本はその設立に参画し,また八大産業国の一つとして,いわゆる常任理事国であったが,1938年に脱退,51年に復帰し,再び常任理事国になっている。第2次大戦末期の1944年にフィラデルフィアで開かれた総会は〈ILOの目的に関する宣言〉(いわゆるフィラデルフィア宣言。のちにILO憲章の付属書となる)を採択して,戦後の進むべき方向を確定した。そこにはILOの基本原則として,(1)〈労働は商品ではない〉(労働非商品説),(2)〈一部の貧困は全体の繁栄にとって危険〉(連帯性の原則),(3)永続する平和の基礎は〈社会的正義〉(経済優先主義の否定),(4)労働者代表,使用者代表,政府代表の平等参加(三者構成の原則)の四つの労働哲学が明示された。さらに具体的には,〈ILOの厳粛な義務〉として,完全雇用と生活水準の向上,雇用の確保,職業訓練と労働移動の便宜供与,最低賃金・労働時間などの労働条件の改善,団体交渉権と労使協力,社会保障,生命と健康の保護,児童の福祉と出産保護,栄養・住宅およびレクリエーション,教育と職業の機会均等の10項目の促進が掲げられた。
ILOの内部機構として,まず国際労働総会,理事会,国際労働事務局(その略称もILO)がある。総会は,各加盟国から政府2人,使用者1人,労働者1人の代表(これを完全代表制という)と議題ごとの顧問で構成される。総会は毎年開かれ,国際労働条約および勧告の制定(国際労働立法)とその実施状況の審査とが重要な任務になる。理事会は,政府側28人(うち10人は十大産業国からのいわゆる常任理事),使用者側14人,労働者側14人の正理事(合計56人)と副理事(政府側18人,使用者側14人,労働者側14人)の総計102人で構成され,常任理事以外は3年ごとに各側グループで互選される。普通は年3回開かれ,政策や予算が事実上決められる。国際労働事務局はジュネーブにおかれ,会議の事務局の仕事,技術援助,調査研究を担当する。このほか各種の会議や常設的委員会がある。(1)地域別にアメリカ(大陸),アジア・アフリカ,ヨーロッパの地域会議が最近は5年ごとに開かれ,それぞれ地域特有の問題が審議される。(2)重要な産業ごとに産業別の委員会が設けられ,当該産業の労働基準について審議される。なお戦前からの合同海事委員会は労使だけの構成で,そこで扱われたものには海事総会で条約化されたものも多い。(3)社会保障など特定事項には専門委員会や顧問部会がある。(4)労働組合権侵害事件を処理するための理事会〈結社の自由委員会〉と準司法機関の〈結社の自由事実調査調停委員会〉は1950年に設けられ,政府を相手どって国際提訴の道を開いた点で66年の国際人権規約(A,B,C各規約)を上回る。なお国連関係の国際公務員について,その苦情処理のため国際行政裁判所が別途設けられている。(5)付設の機関として,ジュネーブの国際労働研究所,トリノの国際高等技術職業センターのほか,国際社会保障協会(ISSA(イツサ))の事務局は実質的にILO本部の一部局でもある。
国際労働立法,技術援助,調査研究の三つが重要である。国際労働立法については節を改めて述べる。技術援助が重要な活動になったのは,1950年以後のことである。その受益国はいわゆる発展途上国であって,アフリカ,アジア,ラテン・アメリカ,中近東の順に多い。技術協力のテーマは,ILO所管の社会政策全般にわたるが,雇用安定(職業紹介)組織,職業訓練,安全衛生,社会保障,生産性向上と経営開発,労働者教育,小規模工業などが目だつ。財源は国連開発計画(UNDP)など多く外部による。調査研究では,ILOは戦前には労働問題研究のメッカであったし,その出版物は貴重な資料源として今でも欠かせないものである。そこで最近重視されている雇用(失業)と労働条件の二つに触れる。前者については,69年のILO総会は創立50年を記念して〈世界雇用計画(WEP)〉を企画し,76年には〈世界雇用会議〉を主催して,2000年を目標に〈基本的ニーズの充足を目標にした雇用志向の開発戦略〉を打ち出した。このWEPで行われる援助(雇用使節団の派遣など)と調査研究は開発と雇用とのデリケートな関係に対し新しい光をあてつつある。他方,労働条件の分野で1976年に始まった〈国際労働条件・作業環境改善計画(PIACT)〉はQWL(〈労働の質〉,いわゆる働きがい)や労働環境を含めたもので,その基本理念は〈労働は,労働者の生命と健康が尊重されるものでなければならない。労働は,労働者に休息と余暇のための時間を残すものでなければならない。労働は,労働者が自分の能力を発揮でき社会に奉仕できるものでなければならない〉の3点に要約される。そのねらいは現代にふさわしい労働観を普及させることにある。
ILOは1969年の創立50周年にノーベル平和賞を授与された。労働者の国際的保護のための地道な努力がこの栄誉を受けた理由であるが,ILOの威信も無関係でないとすれば,初代総長(1919-32)のフランス人アルベール・トーマに触れるべきであろう。トーマの高い見識と卓越した指導力が今日のILOの基礎を築いた。たとえば彼の人間優位の経済観はILOの労働哲学(経済優先主義の否定)として戦後に引き継がれた。ILOがときに先駆性と先見性を発揮するのも彼のよき遺産といってよい。しかし,今日のILOはさまざまな難問をかかえている。戦後は1954年にソ連が再加盟したことによって,東西対立がときに頭をもたげることもある。アメリカがILOから一時脱退(1977-80)した(そのためILOは一時財政問題が深刻化した)のは,東側に対する条約の適用が甘いとする不満からでもあった。しかし難問はむしろ南北問題にある。ILOの加盟国は今では南の発展途上国が大部分であるため,〈労働者による要求,使用者による批判,政府による観察〉とかつていわれた一種の分業体制があまりうまく作用しなくなった。いうまでもなく三者構成の仕組みは,労働組合と使用者団体が政府から真に独立した存在であることが前提になるからである。多国籍企業問題を60年代にいちはやく取り上げたILOが〈多国籍企業と社会政策に関する原則の三者宣言〉(1977)は出したものの,肝心の条約化にまで進められない理由はこの点にある。またこの新しい事態に対応するため63年の総会は機構改革に着手したが,いまだに審議中である。しかし国連の場合とは違って,三者構成のILOでは,政府間の対立は労使それぞれがグローバル(世界)性を保つかぎり緩和の可能性があるといえよう。
1919年の第1回総会から1982年の第68回総会までに採択されたILO条約は158,勧告は166を数える(96年11月末までに180の条約,187の勧告を採択)。そのうち条約は加盟国の批准によってその国に対し国際法上の拘束力をもつものであるため,その内容は最低基準とみてよい。批准の総数は82年1月1日現在で4955(日本は36)であったから,この拘束力の網の目は狭義の国際労働法ということになる。他方,勧告は法的拘束力を予定せずに国内法規または労働協約の指針に供するのが狙いであるから,その内容は理想的水準と先進的な国の平均的な慣行との妥協点に近い。条約と勧告の国内実施状況は毎年の総会で三者構成の委員会によって検討される。そのため,事前に国際法または労働問題専攻の学者からなる条約勧告適用専門家委員会の手によって審査がなされる。この際,条約については,関係国の国内法規がその国の批准した条約の規定に沿うものでない場合には,当該国政府に対し是正処置が求められる。これらの条約と勧告は《国際労働条約および勧告集,1919-81年》(1982)に事項別に収録され,基本的人権,雇用,社会政策,労働行政,労働関係,労働の条件,社会保障,婦人の雇用など14の項目に大分類されている。これはILOの広義の〈国際労働法の範囲と体系〉を示すものでもある。
主要な問題について簡単に述べる。まず〈基本的人権〉のうち〈結社の自由〉と〈労働関係〉との関係である。〈結社の自由〉には1948年〈結社の自由及び団結権保護条約(87号条約)〉をはじめ団結権関係の諸条約と勧告が計九つある。他方〈労働関係〉では,51年〈労働協約勧告(91号条約)〉,81年〈団体交渉条約(154号条約)〉のほか調停,労使協力,企業内コミュニケーション,苦情処理など八つの条約と勧告がある。87号条約は,労働者(または使用者)が事前の許可なしに団体を結成する権利などを定め,国家(ことに政府)に対し団体への不介入を要求する。つまり結社の自由とは,個人または団体が国家との関係でもつ権利であるから基本的人権ということになる。他方〈労働関係〉は,もっぱら労働者(または組合)と使用者(または使用者団体,公務員については使用者としての政府も)との間の関係に限っていることになる。つぎに〈労働の条件〉のうち〈労働時間〉をみると,1919年の8時間制条約(1号条約)をはじめ12の条約と勧告が収められる。その大部分は30年代に採択された業種別条約であって,今では上述した産業別委員会の結論のほうが役に立つ場合が多い。なお62年の〈労働時間短縮勧告(116号勧告)〉は週40時間制の世界的普及の契機になったものである。また〈労働の条件〉のうち〈福祉〉に収められた1961年の〈労働者住宅勧告(115号勧告)〉は,日本の企業で持家政策が普及する契機にもなった。このように勧告形式の国際基準もそれなりの効果を発揮してきたのである。最後に条約の批准については,日本の批准数は,法律本位の国フランスに比べてはもとより,コモン・ロー(判例)本位でボランタリズム(労使による自治主義)のイギリスに比べてもはなはだ少ない。日本はILO条約の批准の点では経済先進国の中で最低の部類に属する。
執筆者:高橋 武
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国際労働機関(International Labor Organization)の略称。1919年(大正8)のベルサイユ条約によって,国際連盟と緊密な関係をもつ機関として同年発足。本部はジュネーブ。労働者の権利保護,労働条件改善など,正当な労働基準を世界的に広めることを目的とし,総会・理事会・事務局をおいた。46年(昭和21)国際連合の専門機関となる。日本は設立当初から加盟国だったが,38年に脱退,51年に再加盟した。
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…第1次大戦勃発後,行政参加,企業国有化の好機として軍需物資調達計画の立案に協力,のちに軍需相に就任した。戦後は,戦時経済に関する国際的権威として評価を得て,国際連盟の枠内で経済復興を担当,この間,国際労働機関ILOの設立に尽力して,死に至るまで初代事務局長を務めた。【相良 匡俊】。…
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